バッタもん日記

人生は短い。働いている暇はない。知識と駄洒落と下ネタこそ我が人生。

「奇跡のリンゴ」という幻想 −印象操作(補足)−

前回の記事では、木村秋則氏が農協の指導を守らず、規定以上に農薬を使用していたとの内容を、書籍(百姓が地球を救う 東邦出版)から引用しました。正確を期すために、対象箇所を広げ、また関連する箇所を含めて再度引用します。言葉足らずで誤解を招く部分があったかも知れませんので。

P35-37
女房が農薬にすごく弱い体質だということがわかりました。
一日畑に出て作業すると、目の縁や耳の後ろ、二の腕の柔らかい部分などがただれて、翌日はいうに及ばず1週間ほど寝込むこともあったのです。
これでは畑に連れていくことはできません。
「お前は来なくていいよ、家にいなさい」
とおやじとふたりで農薬を撒布していました。
わたしたちは男同士という勢いもあり、農協から配られるマニュアルなど横に置いておいて、希釈率は2割増し、3割増しが日常茶飯事。水500リットルに石灰ボルドー500ミリリットル入れるところを、1000ミリリットル入れたりと、倍以上に濃くすることもしょっちゅうでした。
「どうせ撒くなら、強くした方がいいよね」
とものすごく強度なムードで撒いていました。
虫を殺す殺虫剤と、菌を殺す殺菌剤、この2種類の同時撒布もしていました。パラチオンと石灰ボルドー液を同時に撒くのです。
(中略)
もう時効でしょうから懺悔のつもりで告白しますが、劇薬である水銀も使っていました。いまは使用禁止ですが、当時はまだ売っていて、強力な殺菌剤になったのです。(中略)それを石灰ボルドー液のなかに混ぜて、より一層効果を得るのです。
(中略)
わたしの畑では1年に16回、近くを走る道路のアスファルトも白く変わるほど(引用者注:石灰ボルドー液を)散布していました。

P47-49
自宅では女房が寝込んでいました。
農薬に痛めつけられて、顔や体がウルシのかぶれたように真っ赤になっているのです。
(中略)
繊細で過敏な体質の女房は、どれほどヒリヒリ熱かったことでしょう。
(中略)
その幸せを一緒に築き上げてきた最愛の人が、「人間には害はありません、安全です」といわれる農薬に苦しみ、いま目の前に横たわっている。

妻は農薬撒布作業に参加していないのに、体調不良の原因が農薬だと判断した根拠は何でしょうか。当然ながら、全く説明はありません。農薬が原因だったとして、それが木村氏が農薬を使い過ぎていたことと無関係であるとなぜ言えるのでしょうか。農薬を過度に撒布すれば、農薬が衣服や体に付着して周囲に悪影響を及ぼす可能性もあります。木村氏が規定通り正しく農薬を使用していたら、妻が体調を崩さなかった可能性は否定できません。後からならば何とでも言えますが。
農薬の安全性に疑問を呈していますが、農協の指導を守らず野放図に農薬を使っていた人間にそんなことを言う資格があるのでしょうか。農薬は規定に従い、正しく使用して初めて効果と安全性が保障されるのです。妻の健康を害したことに対する反省はあっても、規定を守らなかったことに対する反省はないようです。

蛇足かと思いますが、念のために補足しておきます。