バッタもん日記

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おじいさんは山へしばかりに −日本における森林の利用と破壊の歴史− その3 気候と植生と歴史

はじめに

前回の記事から随分と時間が経ってしまいましたが、連載を再開します。

日本の国土は南北に長いため緯度により気候が大きく異なり、亜寒帯から亜熱帯まで多様な気候帯が存在します。さらに富士山のような高山もあるため、標高でも気候が変わります。また、森林が成立するには十分な気温と降水量が必要となります。そして日本は降水量に恵まれているため、国土のほぼ全てで森林が成立します。つまり、森林の種類を決定する最大の条件は、気温です。
今回は、日本における気候と植生の関係を解説します。

1.日本の植生の分類

日本の植生を地図で示すと、下の図のようになります。


画像出典:環境省 自然環境局 生物多様性センター

植生が緯度や標高の影響を受けていることがよくわかると思います。ここでは、日本は東西で植生が異なることに留意して下さい。以下に、各植生の特徴をごく簡単に述べます。
なお、気候は連続的に変化するため、気候帯に明確な境界線はありません。そもそも同一地域でも気温や降水量は毎年変動します。今年は去年より暑いとか雨が多いとか。そのため、当然ながら植生にも明確な境界線はありません。中間状態の植生も普通に見られます。さらには、気温に対する適応性が高く、複数の気候帯に渡って広範囲に分布する樹種もあります。
詳細を知りたい方は、連載終了後に参考文献を一括で掲載しますので、連載終了を気長にお待ち下さい。植生の種類や構成、分布には気温や降水量だけでなく、積雪量(冬に乾燥するか、雪折れや雪崩が起こるか、など)、人間による破壊など、多種多様な要因が影響するため、研究者の意見も様々です。

(1)亜寒帯針葉樹林

日本は概して温暖な地域に位置するため、寒冷な気候条件化で成立する亜寒帯針葉樹林は、北海道の一部と高山帯でしか見られません。樹種はエゾマツ、トドマツ、嘘松コメツガなどが中心です。
世界的にはシベリアのタイガやドイツのシュヴァルツヴァルト(黒い森:Google画像検索)が有名です。

(2)冷温帯落葉広葉樹林夏緑樹林)

東日本の大部分と、西日本の高標高地域に成立する植生です。中心となる樹種は、落葉樹のブナやミズナラです。世界自然遺産に登録された白神山地のブナ原生林が有名ですね。ブナ林は西日本では山岳地帯に断片的にしか存在しませんので、地球温暖化により消滅してしまうと予測されており、保全対策が必要と考えられます。我が郷里、兵庫県神戸市の象徴である六甲山でも、山頂近くのブナ林が消滅の危機にあります。
参考:国土交通省 近畿地方整備局 六甲砂防事務所 六甲山系電子植生図鑑
参考:国立研究開発法人 森林研究・整備機構 温暖化でブナ林はどのように変わるのか

(3)暖温帯・亜熱帯広葉樹林照葉樹林

東日本南部の沿岸部、西日本の大部分に成立する常緑の森林です。シイ類やカシ類、クスノキなどが主体です。中心となる樹木が常緑樹で葉が厚く光沢があり、明るく見えることから命名されました。樹冠(樹木の最上部、英語では「crown」)がブロッコリーのようにモコモコになるので遠目でもすぐわかります。特に5月頃になると、鮮やかな淡い黄色の花を咲かせるため、カリフラワーのように見えます。照葉樹林の起源は中国南西部の雲南省周辺だとされており、日本は分布の北限に当たります。
この森林の東北地方における北限は、太平洋側では宮城県牡鹿半島日本海側で秋田県男鹿半島だとされています。日本海側の方が照葉樹林が北まで分布する理由は、日本海側の暖流の対馬海流と、太平洋側の寒流の千島海流の影響だとされています。

 
撮影:2015年9月22日、神奈川県鎌倉市高徳院

 
 
撮影:2018年6月2日、千葉県千葉市ZOZOマリンスタジアム周辺
何でや! 阪神関係ないやろ!

(4)中間温帯林

上に述べたように、気候は連続的に変化します。それに伴い、植生も連続的に変化します。そのため、分類しにくい植生も存在します。ここでは、暖温帯と冷温帯の中間地域でのみ成立する植生を説明します。
冷温帯の森林の中心となるブナは「冬の寒さに強く(特に積雪を好む)、夏の暑さに弱い」という特徴があります。一方で暖温帯の森林の中心となるシイ類、カシ類は「夏の暑さに強く、冬の寒さに弱い」という特徴があります。ここでよく考えると、「夏暑く、冬寒い」という気候条件化では、冷温帯落葉広葉樹林も暖温帯常緑広葉樹林も成立しないことになります。日本列島の内陸部の各地にこのような地域が存在します。
森林学者の間でもまだ見解は統一されていないようですが、このような地域では中間温帯林と呼ばれる植生が成立します。クリやコナラ、クヌギなどの落葉広葉樹、モミやツガなどのような常緑針葉樹などが中心です。

2.日本の植生と歴史に関するあれこれ

(1)日本人を養ったドングリ

日本の植生は、大部分がブナ・ミズナラを中心とする冷温帯落葉広葉樹林か、シイ・カシを中心とする暖温帯落葉広葉樹林です。ここで挙げた樹種は全てブナ科に属し、堅果(ドングリ、いわゆるナッツ)を産出します。日本の森林にはブナ科以外でもトチやクルミなど、堅果を産出する樹種が多く、森の民である日本人を養ってきました。なお、樹種によっては、堅果は長時間水や灰汁に漬けたり煮たりしてアクを抜かないと食べられないこともあります。

(2)縄文時代の人口分布

考古学者によると、縄文時代の遺跡は東日本が多く、西日本が少ないとされています。これは、縄文時代は東日本の人口が多く、西日本が少なかったことを意味すると考えられています。その理由として、以下のような説明がなされています。

(2-1)縄文時代の植生

縄文時代の前期から中期にかけての時期の日本は現代よりも温暖だったとされています。そのため、現在では冷温帯落葉広葉樹林が分布している東日本の大半の地域で、クリやコナラを中心とする中間温帯林が分布していたようです。つまり、当時の日本は大まかに分けると、

東日本:中間温帯林(クリ・コナラ)
西日本:暖温帯常緑広葉樹林(シイ類・カシ類)

という森林環境にありました。また、遺跡の発掘調査の結果から、縄文人堅果を中心とした食生活を送っていたことがわかっています。*1ここで、中間温帯林は、暖温帯常緑広葉樹林に比べて堅果の生産量が多いという特徴があります。特にクリの堅果は大きく、アク抜きが不要ですので、非常に重要な食料となります。よって、森林の堅果の生産量が原因で、東日本の人口が多かったのだろうと推測されています。

(2-2)サケ・マス論

北日本では今も昔も秋から冬にかけてサケやマス(以下、サケ類)が川を遡上します。これが野生動物の重要な餌となることは周知の通りです。

話はそれますが、東京湾では放射性セシウムの蓄積が確認されています。河川が陸上の物質を海へと運ぶからです。
参考:東京湾への放射性セシウム流入続く 河口付近の泥に集積(朝日新聞)

このように、陸上の物質は河川により最終的には海へと流出してしまいますので、陸上の生態系は物質を失って貧しくなる一方です。ところが、サケ類は川で生まれて海で育ち、また川に戻ることで、自らの体を以って物質を海から川へと送り返していることになります。サケ類の体は窒素、リン、カリウムなどの栄養塩類が非常に豊富です。動物に捕食されたサケ類は動物を養い、糞や食べ残しの遺骸は土に帰って森林を養います。サケ類の遡上は非常に精緻に形成された地球の物質循環システムの一環と言えます。最近では、森林を整備することで漁獲量が増えることに気付いた漁業界が林業界と提携する事例が増えています。サケ類の遡上と森林の関係は、逆に漁業資源を保全することが林業に好影響を与えることを意味します。

話を戻しますと、東日本は川を遡上するサケ類が食料として利用可能であり、人口扶養力が高かったと考えられています。サーモン豊作。これが、縄文時代に東日本の人口が多かった理由の一つと考えられています。この説明を「サケ・マス論」と呼びます。しかし、この理論は批判も多いようなので、詳細な説明はしません。サケ・マス論を避けます。フヒヒwwwサーモンwww。縄文時代の遺跡からサケ類の骨がほとんど見付からないことが大きな問題となりますが、そもそもサケ類の骨は細くて軟らかく、そのまま食べられてしまったり土壌中で微生物により分解・消失してしまったりするので発見されにくいのです。

(2-3)三内丸山遺跡

青森市の郊外で発見された三内丸山遺跡は、縄文時代の集落の跡だとされています。人口は最大で数百人に達したとされており、それだけの人口を養うために高度な食料生産技術があったようです。眼前の青森湾は優れた漁場であり、海産物の消費量が多かったことが確認されています。それに加えて、クリの栽培を行っていたことが特筆に値します。クリは食料としても木材としても優秀だったようです。
土壌中の花粉を分析すると、クリの密度が非常に高く、クリの純林と言える森林が成立していたようです。天然林ではこのような状況は考えられないので、クリの播種や他の樹種の伐採などの管理が行われていたと考えられます。また、クリの残骸の遺伝子を分析すると、遺伝的多様性が低く、堅果が大きく生産量が多い系統が選抜されていたと推測されています。つまり、クリの栽培が行われていたことはほぼ確実です。
なお、花粉分析の結果から、縄文時代後期以降に利用する堅果はクリからトチに変化したようです。トチはクリと比べて、寒冷な気候に適している、アクが強いので高度なアク抜きの技術が必要となる、などの特徴があります。気候が寒冷化し、アク抜きの技術が発達したことで、トチが選ばれたようです。滝川栗捨てる。

(2-4)農業の開始による人口分布の変化

縄文時代の後期になると、東日本の遺跡が急速に減少します。人口が急速に減少したものと思われます。その原因は寒冷化(およびそれに伴う植生の変化)による堅果生産量の低下や、渡来人がもたらした伝染病ではないかと見られています。しかし、縄文時代の人骨からは天然痘結核(カリエスの乙女たち)などのような重大な伝染病の痕跡はまだ見付っていませんので、人口減少の原因は今後の考古学者による研究の進展を待ちましょう。
一方の西日本では逆に人口が増加しており、中国や朝鮮から農業技術が導入されて食料生産量が増えたからではないかと見られています。ただし、日本のいつどこでどのような農業が始まったかについては、まだまだ研究が必要です。

(3)黒ボク土

主に火山灰を起源とする「黒ボク土」という土壌が、日本列島の広範囲を覆っています。名前の由来は、「色が黒くて握ったり踏んだりしたときの感触がボクボクしているから」というよくわからないものです。ボクボク笑っちゃいます。
黒ボク土の大きな特徴は、大量の有機物(植物の残骸)を含むことです。しかもその植物はおそらく樹木ではなく草であろうとされています。根拠は「プラント・オパール」です。プラント・オパールとは、主にイネ科の草が生成するケイ素(ガラス)の塊で、日本語では「植物珪酸体」と呼ばれ、種ごとに特有の形を持ちます。イネ科の草の葉は淵が鋭く、指先に切り傷を負った経験がある方も多いと思います。葉の細胞がケイ素の結晶を含み、硬いからです。古代の遺跡中のプラント・オパールを分析することで、農業の起源を探る研究が世界各地で行われています。日本を含む東アジアでも、水田稲作がいつどこで始まったかという研究が盛んに行われています。
さて、黒ボク土が多量のプラント・オパールを含むということは、日本列島の広範囲に草原が長期的に成立していたということです。冒頭で述べたように、日本の「本来の植生」は森林です。草原が広がっていたということは、古代から森林破壊が広範囲かつ長期的に行われていたことを意味します。その目的は、農地開発や肥料、家畜の飼料の供給などが考えられます。

(4)スギ・ヒノキ林は「本来の植生」ではないのか?
(4-1)スギ・ヒノキの植林

太平洋戦争後、経済復興のために広大な面積でスギ・ヒノキの植林が行われました。この植林はわざわざ広葉樹林を伐採してまで強行されたために現在では非常に強い批判を受けています。ここで、私個人としては、『スギ・ヒノキ林は「本来の植生」ではない』という批判に対してあまりスッキリしない思いを抱いております。「確かにある程度はその通りではあるが、言い過ぎではないか」といったところです。もっとも、スギやヒノキが嫌われる最大の理由は花粉症ではありますが。

(4-2)「本来の」暖温帯常緑広葉樹林はスギやヒノキを含む

縄文時代の遺跡の調査から、スギやヒノキが木材として重視されていたことがわかっています。例えば、720年に成立した日本書紀では、スギは船に、ヒノキは建築に適した材木であることが述べられています。法隆寺伊勢神宮などの古代の社寺にもスギやヒノキの材が大量に使用されています。特に伊勢神宮は20年ごとに建て替えますので、膨大な数のスギやヒノキが伐採されました。また、現在、暖温帯落葉広葉樹林が成立している地域の土壌中の花粉を分析すると、スギやヒノキの花粉がよく発見されるようです。これらの事実は、スギやヒノキがありふれた樹木であったことを示します。ところが、現在の暖温帯常緑広葉樹林では、スギやヒノキはほとんど存在しません。これは何を意味するのでしょうか。最近では、以下のような説が注目されているようです。

現在広く受け入れられている理解では、関東より九州にかけての暖温帯の極相はアカガシ属やシイ属などが優先する照葉樹林である.(中略)本来は地域や立地によっては照葉樹に温帯性針葉樹を混交したものであった――その混交の程度、林分構造はなお不明であるが――と考えたい(中略)その後の歴史の中で、人々が選択的かつ徹底的に伐採利用した結果、平地や低標高域の植生から温帯性針葉樹が抜け落ちてしまった後の姿を見て、暖温帯の極相を照葉樹林であると理解し、一方で奥山に伐採を免れて残存したむしろ分布周辺域にあたるヒノキやスギの個体群を見て、それらの樹種を冷温帯的な森林の構成種であると誤認してきたのではないだろうか。
出典:大住克博(鳥取大学)森林の変化と人類、森林科学シリーズ1、共立出版、P.79

非常に説得力のある説明だと思います。藤原京だの平城京だの長岡京だの、遷都を繰り返しせばスギやヒノキが枯渇するのも当然です。日本全土にスギやヒノキの純林に近い人工林が広がってしまっている現状は確かに深刻ですが、スギやヒノキが日本に存在してはいけない邪悪な樹木であるかのような言説は否定すべきです。スギやヒノキも立派な日本の樹木です。ただ、植え過ぎがいけないのです。

(5)本当の植生教えてよ

この記事を執筆するに当たって、森林生態学(日本生態学会編、共立出版)という書籍を参考としております。この書籍は冒頭部分で用語の定義の考察にページを割いており、さすがは学会編集の教科書、と感服しました。もっとも、わざわざ定義を考察するということは、定義が難しいということの裏返しです。最大の問題は、既に人類の影響を受けていない森林は地球上に存在しないので、厳密な意味での「極相林」「天然林」「原生林」が存在しないことです。実際に、「極相林」「天然林」「原生林」などの定義もかなり曖昧でした。
この記事でも、日本人が古代から森林破壊を行っていたことを述べました。はっきり言いまして、「本来の植生」の定義なんてできません。例えば「本来の植生」を「現在の気候条件が100年続いた場合に成立する最終的な安定した植生」と定義した場合、現在は地球温暖化が急速に進行中なので、「本来の植生」が何だかわからなくなってしまいます。100年後は現在より気温が上昇し、暖温帯地域の一部は亜熱帯へ、冷温帯地域の一部は暖温帯へと移行している可能性もあります。その場合の「本来の植生」はどのような森林でしょうか。答えはありません。同書から引用します。

極相の植生とは抽象的、観念的なものであり、現実にはめったに見られるものではない
出典:森林生態学(共立出版)、P.x

(6)シイ類の分類

シイ類は暖温帯地域の植生の中心となる樹木です。日本ではスダジイとコジイ(ツブラジイ)の2種類が分布しています。*2上に述べたように、このグループの起源は中国の雲南省周辺で、その地域には多様なシイ類が分布しています。日本のスダジイとコジイの分類に関して、研究者の意見が割れているようです。両者を同種とする見解と、別種とする見解があります。両者の中間的な個体が広く見付かっているからです。
私が個人的に非常に面白いと思う点は、シイ類がどこにでもある大木だということです。知床半島白神山地小笠原諸島、山原や西表島のような、いかにもな土地にのみ生息する、いかにもな生物では決してありません。シイ類は樹高が高く樹径が太く、大量の枝葉を茂らせる常緑樹なので、非常に見栄えがします。そのため、ある程度の規模や歴史のある庭園、寺社ならば大抵植えられています。東京では、都心の皇居や明治神宮新宿御苑で見られます。それくらいありふれた大木なのに、分類がはっきりしない。こういう点も生物学の魅力と言えましょう。

(7)照葉樹林文化論

縄文時代の日本の森林と文化の関係を論じる上で避けて通れないのが、「照葉樹林文化論」です。照葉樹林の起源である中国の雲南省から日本に至るアジアの広大な地域で、文化や思想などに広い共通点が見られる、とする壮大な理論です。照葉樹林を称揚する。ただし、この理論の考察だけで書籍が何冊も出せる上に、時代とともに理論の内容も変遷していますので、私にはとても論じる能力はありません。よって触れません。既に考古学者による批判も多いようですしおすし。

(8)東大の赤門はイカ臭い

クリの花と言えば、独特の匂いで有名です。クリ以外のブナ科の樹木も、同様の匂いを発します。虫媒花なのであの匂いで昆虫を呼んでいるものと思われます。東大の赤門の傍らにはスダジイの木が植えられており、毎年5月頃に大量に花を咲かせて強烈な匂いを放っております。下の写真を撮影している間、あまりのイカ臭さに、中年男であるにもかかわらず、「ここに長時間いたら前カリフォルニア州知事のように妊娠してしまうのではないか」という貞操の危機を覚えました。

 

 
撮影:2018年5月、東京都文京区、東京大学本郷キャンパス   撮影:2014年4月21日、東京都文京区、東京大学本郷キャンパス
撮影:9999年9月、東京都文京区、東京大学本郷キャンパス   撮影:なんで、たわしが東大に!?

おわりに

現代に生きる我々は、ついつい環境問題を近代以降に初めて起こった問題と考えがちです。しかし、今も昔も環境問題は存在します。日本人は縄文時代から森林を破壊していたことは間違いありません。無知に基づく過去の美化は禁物です。黄金時代などありはしません。
前回の記事でも強調しましたが、どのような植生をどのような目的でどのような手段で守るのか、深く考える必要があります。例えば、里山を維持するにしても、農業に里山が必要とされていない以上、自治体の予算を使って、経済価値のない環境を維持する大義名分は何かを考えねばなりません。
私はいわゆる「極相林至上主義」「潜在植生至上主義」「照葉樹林至上主義」には否定的です*3生態学では、生物多様性には「種の多様性」「遺伝子の多様性」「生態系の多様性」の3つのカテゴリがあるとされています。さらに、植生には種類に応じて様々な社会的価値があります。もちろん現在の環境から推測される「本来の植生」を守ることも重要ですが、各植生の価値の比較検討を経た上で、植生そのものの多様性も維持していきたいものです。

*1:遺骨の窒素の放射性同位体を分析することで食性がわかるようです。

*2:マテバシイは和名に反してシイ類ではありません。

*3:だから私は宮脇昭氏の著書は買いません