バッタもん日記

人生は短い。働いている暇はない。知識と駄洒落と下ネタこそ我が人生。

ドキッ! 死体だらけの平安京! ポロリもあるよ! ―命の重さの日本史―

はじめに

私はノーテンキな進歩主義者です。人類は少しずつ、一進一退を繰り返しながらも精神面で進歩し続けていると固く信じています。その根拠の一つは、街中で歩きたばこや立小便や痰吐きなどの下品な行為を見かけることが減った、というような日常の些細な感覚です。そして最大の根拠は、「命が大事にされるようになったこと」です。具体的に数値で見ると、日本における殺人事件は減り続けています。

参考:平成12年版 警察白書
   平成29年版 犯罪白書

日本人は長い年月を経て、命を大事にするようになりました。言い換えれば、昔の日本人は命を大事にしない蛮族であったということです。平然と殺し合いをしていました。歴史家の言葉を引用します。

光源氏が王朝時代の貴公子の理想像であることについて、これまでのところ、その優れた容姿や豊かな才能などが取り沙汰されるのが普通であった。だが、実のところは、理不尽な暴力事件を起こさないというただそれだけのことでも、光源氏は十分に理想的な貴公子と見なすことができるのである(繁田、2005)。


紛争解決の方法として相手を殺すことを即座に選ぶ武士たちが作った鎌倉幕府は、まさに蛮族の政権であり(細川、2011)


また、日本人は子供も大事にするようになりました。今や親が子供を殴ったら逮捕されて実名で報道される時代です。昔の日本人は子供に無関心で冷淡でした。生活に困れば捨てたり売り飛ばしたりするのは当然の習慣でした(斉藤、2012;柴田、2013)。昭和初期の東北地方の大飢饉の際には、困窮した親が娘を売り飛ばすことが社会問題になりました(下重、2012)。命を大事にすることと子供を大事にすることは、密接に関係しています。

今回は日本人の「命」に対する認識の変遷を考えたいと思います。

1.平安京バーバリアン

(1)中世日本人の凶暴性と生命の軽視

中世の日本人は過酷な生活を強いられていました。災害や疫病、飢饉や戦争など、日々生き残るだけで精一杯でした。貧しい者、弱い者からどんどん死んでいきました(黒田、2006;清水、2008)。その結果、人の命が非常に軽くなりました。いつ死ぬかわからないのですから、命を大事にする意味がなかったのです(清水、2006)。人々は実にお気軽に殺し合いをしました平安京の人々の行動を端的に表現すると、

  • すぐ怒る
  • すぐ刃物を振り回す
  • すぐ殺す
  • すぐ徒党を組む
  • すぐ個人間の喧嘩が組織間の抗争に発展する

となります。
中世人は非常に気位が高く、気に入らないことがあると名誉を傷付けられたと感じ、命を賭けてでも名誉を回復すべきだと考えていました。特に、笑われることや馬鹿にされること、恥をかかされることを極端に嫌っていました。また、庶民は個人ではあまりに無力であったため、貴族や武家や寺社などの有力な組織に服属することで、自衛を図りました。ゆえに、個人の些細な揉め事が際限なく拡大してしまい、都を揺るがす大抗争に発展して朝廷や幕府が仲裁に乗り出すこともよくあったようです。当時は朝廷や幕府の統治機構が無力で、人々は生命や財産、名誉を自らの実力で守らねばなりませんでした。この概念を「自力救済」と呼びます(五味、2004)。
要するに中世の日本人はみんなヒャッハーだったわけです。平安京は常に死の危険がある都市でした(清水、2006)。もっとも、中世の世界史を見ると、十字軍とかモンゴル帝国とか、当時の地球には蛮族しかいなかったのではないかとも思いますが。仁、仁、仁義好かん。

(2)死体の遺棄

平安京では死後埋葬されるのは一部の貴族や富裕層のみで、庶民の死体は空き地や川原に捨てられました疫病や飢饉で死者が大量に発生すると、平安京は死体だらけになりました(安田、2007)。さらに、貴族は死者による「穢れ」を恐れていました。この「穢れ」の概念は複雑で、家屋内で死者が出ると「穢れ」に感染してしまい、謹慎して出仕を停止せねばなりません。そのため、親族や使用人などが死にそうになると、屋敷を追い出されてしまい、野垂れ死にを強要されました。なお、死体が屋内にある限り穢れは周辺に伝播しないと考えられていたので、一人暮らしの人間が孤独死した場合、死体は放置されました(勝田、2003)。
このように平安京は死体があふれていたわけですが、この死体を空き地や川原に運ぶ役目を負っていたのは検非違使という役人でした。ゲームの平安京エイリアンでお馴染みですね。
捨てられた死体は犬やカラス、トビなどの動物により食い荒らされますので、平安京は動物だらけでした。ゾンビがくるりと輪を描いた。そのため、動物が死体を運ぶ途中でポロリと落としていくことがよくありました。天皇の住居の近くで死体が見付かったために貴族が頭を抱える、という事態もあったようです。興味深いことに、死体の部位(全身か頭か手足か)、鮮度(死にたてか腐敗しているか白骨か)などで穢れの重さが変わるため、貴族は邸内で死体が見付かると、専門の識者に穢れの重さを尋ねたそうです(勝田、2003)。
なお、貴族や皇族でも死後に埋葬されるのは成人のみで、子供の遺体は庶民と同様に空き地や河原に放置されたようです。

コラム 「もうかりまっか?」「墓地墓地でんな」

上に述べたように、死体を運ぶ役目を負っているのは役人でしたが、広大な平安京で死体が見付かるたびに役人を呼んでいたのでは際限がありません。貴族は邸宅周辺で死体が見付かった場合、他者(主に「非人」とされた被差別者)に金品を渡して死体を運ばせることが普通でした。また、死者が身に付けている衣服や装飾品などは、死体を運んだ者が取得することが認められていました。そのため、非人の組織が「死体運び屋ギルド」のようになっており、抗争まで起こっていたようです(勝田、2003)。

(3)敗者への追い打ち

本能寺の変の直後の山崎の戦い(1582年)で豊臣秀吉に敗れた明智光秀が、逃走中に落ち武者狩りに遭って殺害されたことは有名です。中世では、戦いに敗れて逃げる武士が襲われ、所持品を奪われたり殺されたりすることがよくありました。また、政争に敗れて流罪に処されることは、事実上の死罪でもあったようです。目的地に到着する前に殺されることが多かったからです。
室町幕府第十五代にして最後の将軍、足利義昭織田信長により京都を追放されました。その際に追い剥ぎに遭い、所持品を奪われたようです。同様に、第九代将軍候補であった足利義視も、応仁の乱において京都から敗走する際に、落ち武者狩りに遭って刀を奪われています。将軍家ですらこの惨状です。
さらに、大名が京都を追放された際には、屋敷の周辺の住人が殺到し、資産を略奪することが横行していたようです。当時の社会では、「幕府に逆らって失脚したのだから、法の埒外に置かれてありとあらゆる権利を失った。資産を奪われようが殺されようが止むを得ない」という通念があったようです(清水、2006)。失脚したら人権を失う社会は怖すぎます。
中世の人々は、敗者にかける情けなど持ち合わせていませんでした

コラム 違う、僧じゃない

中世は過酷な時代でした。仏にすがりたくなるのは当然のことです。実際に、中世の日本人は信仰心が厚かったことがわかっています(五味、2004)。仏教には苦しむ衆生に寄り添う使命がありました。You are my 僧 僧 いつもすぐそばにある。
しかし、衆生がヒャッハーになっているような状況で、僧侶が品行方正の聖人君子でいられるかと言うと、無理な話です。僧侶も負けず劣らずヒャッハーで、すぐに刃物を振り回す有様でした(繁田、2008)。挙句に集団で武装して神輿を担いで都をのし歩き、朝廷を恫喝(強訴)する始末です(衣川、2010)。物騒な仏僧。寺院は広大な荘園を領有し、金融業や食品加工業(主に酒造)にも参入していたので経済力があり、誰の手にも負えませんでした。中世の人々は、平然と人を殺しながらも呪いや祟りを恐れるという非常に矛盾した精神の持ち主でした。そして僧侶は呪術的な力を持つと考えられていました。僧兵は暴力と呪術の二つの力を用いました。
永享4年(1432)に、金閣寺の僧侶と北野天満宮の僧侶が金閣寺で周辺の住人を巻き込んで殺し合いになりました。激高した金閣寺北野天満宮を攻撃しようとしました。当時の室町幕府第六代将軍、足利義教が事態を把握し金閣寺をなだめたことで、紛争は終結しました(清水、2006)。ここで、足利義教が「万人恐怖」「悪将軍」とまで称された暴君であり、比叡山延暦寺を焼き討ちしたことを鑑みると、この騒動は登場人物が外道ばかりでむしろ微笑ましい逸話であると言えましょう。

コラム 平安京スカトロパラダイスオーケストラ

日本人は昔から排泄物を肥料として利用しています。これは都市の衛生管理、物質循環による持続的農業、という観点からは、非常に優れたシステムです。ただし、都市の排泄物を農民が回収して農村に運ぶ制度が確立されたのは江戸時代ですので、中世までは都市にうんこがあふれていました。都人は気軽に路上で排泄していました。貴族は使用人に邸内のうんこを気軽に道路の側溝に遺棄させていました。輸送手段である牛や馬も路上で垂れ流していました。つまり、平安京は死体とうんこにまみれた都市だったのです(安田、2007)。
時代は下って、江戸時代の京都では街の各所に尿を回収する桶が設置されていました。「東海道中膝栗毛」で有名な戯作者の十返舎一九は、京都で若い女性が桶に放尿する様子を見て驚いています(三俣、2010)。あなたに女の子の一番排泄なものをあげるわ。若い娘はだっぷん。
専門的な話になりますが、尿はその名の通り窒素化合物である尿素を含んでおり、窒素に関して化学肥料に近い性質を持ちます。尿にうんこを混ぜるとうんこ中の微生物の作用により尿素アンモニアに変化し、空気中に逃げてしまいます。わかりやすく言うと、うんこを混ぜると尿の肥料としての価値が下がる、ということです。尿だけを回収するのは非常に合理的です。昔の人々の知恵には頭が下がります。

コラム 奥さん米屋です

中世の日本は極端な京都至上主義で、人・物・金の大半が京都に集まりました。そのため、食料の流通を担う米商人が大きな影響力を有していました。そして中世は飢饉が多発し、米価が慢性的に高くなっていました。そこで、米不足を煽ってさらに米価を高騰させるため、米商人が結託して京都に通じる道路を武力で封鎖するという酷い悪行があったそうです。当然ながら京都では飢饉が起こり、餓死者が多発することになります。しかし、米商人はそんなことは全く意に介しませんでした(清水、2008)。

コラム 一休さん死ぬ死ぬ詐欺

室町時代の僧侶である一休宗純はアニメ作品で有名です。しかし史実の一休は、あんな好人物ではなかったようです。皮肉や風刺などの露悪的で人を食ったような言動を繰り返す一方で、記録に残るだけでも二度自殺未遂を行っています。気に入らないことがあると「死んでやる」と騒いで我がままを押し通していたようです(清水、2006)。一休は後小松天皇のご落胤と言われており、無下に扱うわけにはいかなかったのです。

コラム 貴族の暴力

現代の日本人の貴族に対する印象は、『「麿は嫌でおじゃる」とか言いそう』「怠惰で無力」「武士に負けた」くらいでしょうか。しかし、武家の棟梁である源氏と平氏はいずれも臣籍降下した皇族の末裔の貴族であり、武士の起源の一つは貴族です。武士と貴族は厳密に区別できる存在ではありませんでした。貴族の暴力性だって相当なものです。貴族による暴力事件は決して珍しいものではなく、殺人すらありました(繁田、2005;2007)。
例えば、清少納言の兄である清原致信は、利権を巡って関与した殺人の報復で殺されています。源氏の配下の武士が白昼堂々と邸宅を襲撃して殺害する、という凄惨な事件でした。また、清少納言の最初の夫である橘則光は、夜道で強盗に襲われた際に返り討ちで三人を斬殺したそうです。普段から刃物の扱いに慣れていて、他人を殺すことに抵抗がないからこそできることです。

2.戦国時代

(1)乱妨 怒りの略奪

中世は災害や飢饉が多発していましたので、食料は常に不足していました。食料が足りなければ他者から奪い取る、が戦国時代の常識でした。戦場での破壊や略奪を当時は「乱妨」や「濫妨」(読みはいずれも「らんぼう」)と呼んでいました(藤木、2005)。
戦国大名と直接の主従関係にある武士ならば、戦いで勲功を挙げることで恩賞をもらえたり出世できたり、という大きな動機がありますが、足軽などの末端の戦闘員にはそんな動機はありません。報酬の代わりが略奪でした。大名は末端の兵による戦場での略奪を黙認していましたので、略奪は事実上の野放しでした。
甲斐(山梨県)の戦国大名である武田信玄は戦の強さで有名ですが、戦場での悪辣ぶりも抜きん出ていました。武田家の歴史を伝える資料である「甲陽軍鑑」では、「うちの御屋形様は戦上手なので戦場での略奪が捗ってみんなリッチでハッピーでウェーイ」のような酷い記述があるほどです(藤木、2005)。盗人武田家しい。信玄の宿敵である越後(新潟県)の上杉謙信も同様であり、関東に出陣して北条氏と戦闘を行った際には北条領内の村々で過酷な略奪を行っています(黒田、2006)。
中国地方の有力な大名である毛利氏に伝わっていた戦術指南書である「永禄伝記」では、毛利元就のロクでもない戦法を解説しています(藤木、2005)。

  • 春には田植え前の稲の苗を荒らせ。畑の未熟な麦も荒らせ。
  • 夏には収穫前の麦を奪え。田植え後の水田を荒らせ。
  • 秋には田畑の収穫物を奪え。
  • 冬には倉庫の収穫物を奪え。家を焼け。農民を餓死・凍死させろ。

戦国大名より山賊の頭目と表現したほうが正しそうですね。何が三本の矢だ。

(2)奴隷狩り

戦場となった村々で略奪の対象となったのは食料や家財、家畜などの資産だけではありませんでした。人間も略奪されました。人々は拘束され、奴隷として売り飛ばされたり身代金と引き換えに解放されたりしました。大規模な戦闘の際には奴隷商人が軍に追随し、奴隷市が開かれたほどです(藤木、2005;下重、2012)。

(3)農民が求めた戦争

戦国時代は災害や飢饉、疫病が多発していたため、農民は普通に農業を営むだけでは生活が成り立ちませんでした。ゆえに、戦争に生きる術を求めました。兵士になって戦場で死んでしまえば口減らしができます。食料や資産を略奪したり奴隷を売り飛ばしたりすれば収入になります。戦争が生き延びるための手段になってしまっていたのです(藤木、2005)。

(4)農民の紛争

上に述べたように、農民は戦国時代において、「武士に虐げられるだけの無力な被害者」というわけでは決してありませんでした。農民も武士に負けず劣らず凶暴でした。共有資源、共有地である水や山林(燃料・肥料)、草原(肥料・家畜の飼料)の利用権を巡って村同士の紛争が絶えませんでした。しかも、どの村もすぐに周辺の村々に支援を求めたため、村同士の紛争は地域間の紛争に容易に発展してしまいました(黒田、2006;清水、2008)。

コラム 訴訟より戦争

戦国大名にとって、配下の武将や領民が蛮族では統治もままなりません。そこで、領内で法制度を整備しようと試みる戦国大名が各地で現れました。いわゆる「分国法」で、甲斐の武田家の「甲州法度之次第」などが有名です。分国法をまとめると、「他人と揉めても殺すな。大名に訴えろ」となり、私闘の禁止と訴訟の提起が強調されていました。自力救済の否定です。しかし、武田家も含めて分国法を整備した大名は滅亡するか、あるいは分国法を忘却してしまうかのどちらかでした。法による支配は戦国の世にはなじみませんでした
大名は遠征を繰り返すため、本拠地にいる期間は長くありません。訴訟は大名の権限なので、大名が不在では訴訟が滞り、長期化してしまいます。武将や領民にとって、訴訟とは金と時間がかかるだけで紛争解決の手段としては無意味でした。むしろ、戦争に参加して功績を挙げ、恩賞を受け取るほうが効率的でした。大名も法制度を整備するより対外戦争により領土を拡張する方が武将や領民を喜ばせられることを知っていました。

むしろ、この時代の勝者に必要なのは「天下布武」を掲げて、外へ繰り出すイノベーションだった。対外戦争は領国内の些末な訴訟問題すらも解消してしまう万能薬であり、戦争に勝利しつづけてさえいれば、そもそも彼らに法制度の整備など不要だったのである。(清水、2018)

戦国時代の日本は本当に修羅の国だったようです。金次第で何でもする強盗団とも傭兵団ともつかないような連中が跋扈していたようですし(藤木、2005)。

(5)秀吉の平和

豊臣秀吉織田信長の支配体制を受け継ぎ、天下を統一しました。強大な軍事力により諸大名を服属させることで、戦争を全廃したのです(黒島、2018)。
しかし、「戦争がなければ生き残れない」という経済状況や、「戦場で殺戮や略奪を行いたい」という人々の衝動はそう簡単には解消できません。
そこで、まず秀吉は京都の聚楽第伏見城方広寺の大仏殿、大坂の大坂城など、大規模な建設事業を展開することで、働き口を増やしました。同様に、全国の大名により、城下町の建設や治水、鉱山開発などの土木事業が行われました(藤木、2005)。
さらに、朝鮮への侵略を行い、戦場で暴れたいという衝動を解放させました。日本兵は朝鮮の各地で凄惨な略奪を行ったことが記録に残されています。兵站(補給)を担った商人は実は奴隷商人や海賊でもあったのではないかと推測されています(藤木、2005)。
ところで、この朝鮮侵略の際に日本に連行された技術者の貢献により、日本の産業技術が大きく発展し、江戸時代の経済発展につながりました。何しろ、秀吉が直々に「技術者を拉致して献上せよ」と諸大名に命じているほどです(中野、2008)。特に、当時は大名の間で茶道が人気があったため、茶道具である陶磁器の需要が高まっており、多数の陶工が日本に連行されました。この時代に陶磁器の名産地が全国各地に生まれたのはこれが理由です(清水、2019)。
江戸時代に再開された朝鮮通信使の大きな目的の一つは拉致された朝鮮人の返還交渉でした(中野、2008)。現在、日韓関係が大きく悪化していますが、背景にはこういう凄惨な歴史があることは覚えておくべきでしょうね。
話は逸れますが、戦国時代を引き起こした張本人である足利幕府の第八代将軍、足利義政銀閣寺や龍安寺などの建築事業を積極的に行い、東山文化を育てた一方で、幕府の財政を破綻させたとされています。しかし、これは単なる個人の道楽ではなく、貧民に職を与えるための公共事業でもあったのではないか、との評価もあるようです(藤木、2001)。

コラム しまづけ

このコラムは、島津家の軍の外道な日常を淡々と描く物です。過度な期待はしないでください。
島津家の軍と言えば、関ヶ原の戦いなどでの勇猛果敢ぶりが知られています。しかし実際は、勇猛果敢などという言葉では表現できないほどの鬼畜の集団だったようです。
戦国時代末期、九州の覇権を巡って、大友氏と薩摩氏が激しく争っていました。薩摩軍が大友領の豊後(大分県)に侵攻した際、大規模な奴隷狩りを行いました。奴隷は肥後(熊本)に連行され、売却されたようです。この奴隷狩りの凄惨さは秀吉の知るところとなり、秀吉から島津家に対して「肥後から連行された奴隷を返還せよ」との命令が出されました(藤木、2001)。
また、島津軍は後の文禄・慶長の役においても、大規模な奴隷狩りを行い、多数の朝鮮人を日本に連行しています。そのため、当主の島津義弘石田三成に略奪と奴隷狩りを停止するように警告されています(藤木、2005)。

コラム 秀吉の耳鼻狩り

秀吉は国内を平定すると、アジア各国への侵略を目指しました。最初の目標は朝鮮で、二度に渡り侵攻しました。日本兵による過酷な略奪は上に述べたとおりです。同時に、秀吉は自らが日本の支配者であることを日本中に知らしめようとしました。その一環として、京都の方広寺に、文禄5年(1596年)に発生した慶長伏見地震により倒壊した大仏の代わりに信濃善光寺如来像を移送させました。併せて、同寺の近隣に鼻塚を建設し、朝鮮の人々の霊を弔いました。こう書けば聞こえがいいのですが、実際の理念はとんでもないものでした(清水、2019)。

  • 自分が慈悲深い支配者であることを強調したい
  • 敵国である朝鮮人の死者を埋葬しよう
  • 朝鮮から首を運ぶのは重い上に腐敗するので難しい
  • 耳や鼻なら軽いし腐らない
  • 朝鮮で捕縛した人々の耳や鼻を削ぎ落として日本に送らせよう

「歴史を現代の価値観に基づき評価してはならない」とよく言われますが、これはあまりに酷すぎるのではないかと思います。秀吉の残虐性は当時でも際立っていたようです。敵対者を一族郎党含めて皆殺しにした、しかも残忍な方法で処刑した、という記録が多数あります。
なお、耳や鼻を削ぎ落とすことは日本の伝統的な刑罰であり、秀吉の蛮行もその一環でした。それでも当時の慣習より明らかに残忍な行為でしたが。この刑罰を最終的に廃止したのが徳川綱吉です。

コラム マーニラ マニラ マーニラ求人

戦国時代には主人を持たない傭兵が多数いました。彼らは金次第で日本中の戦場を渡り歩きました。上に述べた奴隷も日本中に売り飛ばされて行きました。戦国時代の後半になると、日本はアジア広域での貿易網に参入します。当時の日本はアジアにおける武器と傭兵と奴隷の大きな供給地となったようです。その結果、日本の傭兵、奴隷、商人、労働者など、様々な人々が生活の術を求めてアジア各地に移住しました。その一例がフィリピンの首都、マニラです。マニラで日本人は大きな集団となり、その凶暴性のために嫌われていました。同時期に秀吉がアジア諸国への恫喝を繰り返しており、朝鮮侵略とも相まって、フィリピンを支配していたスペインは日本人を強く警戒していました(藤木、2005)。

3.「徳川の平和」と「家」

(1)天下泰平による人口増加

徳川家康が天下を統一し、やっと日本に平和が訪れました。政治が安定して戦争がなくなったことで経済が発展し、人口が増えました。非常に大まかな推測ですが、17世紀初頭(江戸時代初頭)の人口は1,500万人前後で、100年後の18世紀初頭の人口は3,000万人以上にまで達したとされています。100年で人口が倍増というのは大変な増加率です(鬼頭、2007)。
また、この時期に幕府は大規模な農地開発と治水工事を行いました。さらに農業技術の発展により、農業生産力は飛躍的に増加しました。そのため、農民が長男以外の子供や、使用人に農地を分割して与え、独立させることが増えました。以前は結婚して家庭を持てるのは長男だけでしたが、長男以外の子供や使用人も結婚して独立し、家庭を構えることができるようになりました。これも人口増加の大きな要因です。この現象を歴史家は「小農の自立」と呼んでいます(渡辺、2015;沢井・谷本、2016)。
なお、この「小農の自立」は早い話が「農民の核家族化」であり、我々は核家族化を最近の現象ととらえがちですが、決して新しい現象ではありません。少子化も同様です。さらに、晩婚化や行政による児童手当も江戸時代後半に記録があります。

(2)名君犬公方?

徳川幕府第五代将軍綱吉(在位期間:1680-1709)は、「生類憐みの令」で有名です。かつては、『変てこな坊主に「前世で犬を殺したから子宝に恵まれないのだ。犬を保護しろ」とか何とか吹き込まれて極端な動物愛護に傾倒し、庶民を苦しめた暗君』だという評価が一般的でした。ところが最近では、極端に表現すると『戦国時代の悪風をいまだに払拭できず蛮族のままの日本人を啓蒙し、生命を尊重する慈愛の精神を定着させようとしたそれなりの名君』との評価が高まっているようです(清水、2019)。何しろ戦国時代がとっくに終わっている大坂冬の陣と夏の陣(1614-1615)でも、徳川軍の兵が大坂の町で大規模な略奪を行ったことが記録されています(藤木、2005)。蛮族を文明化するには時間がかかります。
生類憐みの令は多数の法令の総称ですが、動物だけでなく、乳児や病人、高齢者などの人間の弱者の保護も強調されています。特に重要な点は、捨て子の禁止および保護に関する項目が多いことです。当時の日本では、捨て子が横行していました(柴田、2013)。
綱吉は儒教と仏教の精神に基づき、「生きとし生ける者全てを大事にせよ」と言いたかったのだろうとされています(根崎、2006;福田、2010)。やり方は少々極端で偏執的でしたが。釣りを禁止なんてしたら庶民に嫌われてバカ殿呼ばわりされてしまうのは当然です。

(3)重くなった命

江戸時代前期には、農業技術の向上、農地面積の拡大、商品作物の導入などにより、農民の生活水準は大きく向上しました。飢饉も減りました。畳や綿の衣類が普及したのもこの時期です(永原、2004)。栄養や衛生など、出産と育児の環境が改善されたため、乳幼児死亡率が大きく下がりました。以前は「子供は死ぬのが当たり前」でした。さらに、天下泰平の世が実現したため戦争がなくなりました。人はそう簡単には死ななくなりました。遂に日本では命が重くなったのです。

コラム 暴れん棒将軍 家斉&家慶

徳川幕府第十一代将軍、家斉とその息子である第十二代将軍、家慶は日本史に燦然と輝く種馬野郎であったことが知られています。特に家斉は、オットセイの生殖器の粉末を服用していたため、「オットセイ将軍」との異名を取りました。記録に残っているだけでも、家斉は53人、家慶は27人の子供を設けたとされています。ただし、家斉の子供53人のうち、無事に育って成人した者は半分もいません。家慶の子供27人はさらに悲惨で、成人した者は四男で第十三代将軍の家定だけです(山本、2011)。日本で最高の出産・養育環境が与えられたであろう将軍の子供ですらこの惨状です。
この親子を主人公にした以下のようなエロバカ時代劇が制作されたら面白そうです。

  • 上様が江戸城を抜け出して徳田珍之助と名乗り江戸の町で大乱交スワップブラザーズ
  • 上様の決め台詞は「この陰嚢が目に入らぬか」と「余の竿を見忘れたか」
  • 上様はお手付きの女性の出産の際に自ら介助する(マツケン産婆)

コラム 女好きの大正天皇

平成が終わり、令和の時代を迎えましたが、現天皇の曽祖父である大正天皇に対する国民の関心は低いままです。せいぜい「病弱・無能」くらいの印象しかないと思います。いわゆる「遠眼鏡事件」はデマであろうとされていますが。
その大正天皇は、明治天皇と側室との間に三男として生まれました。三男なのに皇位を継いだということは、長男と次男が夭逝したということです。明治天皇は皇后との間に子供ができず、側室との間に15人の子供を得ましたが、そのうち無事に育ったのは5人だけです。特に男子は5人生まれて無事に育ったのは大正天皇だけです。
このように、天皇は皇后との間に男子が生まれなかったり、生まれても夭折したりする恐れがあるため、側室を娶るのが慣習でした。早い話が天皇が女官に手を出すのは当たり前だったわけです。しかし、大正天皇は皇后との間に昭和天皇を含む4人の男子を得たため、側室を娶りませんでした。後に昭和天皇が正式に側室制度を廃止しました。しかし、大正天皇は一夫一妻制度が気に入らなかったようで、隙あらば華族の女性や女官に手を出そうとしたようです(原、2015)。
大正天皇の父である明治天皇も、そのまた父である孝明天皇の唯一の成人した男子でした。皇族の男系男子しか皇位継承件を認められない近代天皇制は最初から崖っぷちでした。
それにしても、江戸時代の将軍家と明治時代の天皇家はいずれも当時としては最高の出産・育児環境を提供できたはずなので、これほどまでの乳幼児死亡率の高さは非常に不可解です。どのような事情があったのでしょうか。

(3)「家」の成立と「子宝」

中世において「家」という概念があるのは貴族や武士など、特権階級だけでした。その理由は、庶民は「死亡率が高く、子孫が死に絶えた」「土地と家業への帰属意識がなかった」からです。庶民には「家」を守るという考えがありませんでした。ここでは「家」とは、土地と家業を継続する家系を意味します。親は子供に無関心で、平気で捨てたり売り飛ばしたりしました。
江戸時代初期まで、過酷な年貢や労役(土木事業や戦闘の際の輸送への従事)に耐え切れず、農民が逃亡することは珍しくありませんでした。また飢饉や疫病により、後継者が全滅して家系が途絶えてしまうこともよくありました。しかし、生活水準の向上により死亡率が下がり、人口が増えたことで後継者に困ることはなくなりました。ようやく庶民の間でも「家」という概念が定着しました。「子々孫々、土地と家業を受け継ぐことが農民の使命である」ということが常識となりました(渡辺、2009;沢井・谷本、2016)。となれば、「家」を継ぐ子供が大事に育てられるようになるのは当然の流れです。日本人は子供を可愛がり、大事に育てるようになりました。寺子屋などの教育制度が整備されたのもその一環です。ここに、「子宝」という意識が確立されました(大藤、2003)。幕末期や明治初期に日本にやって来た欧米人は、日本人が子供を可愛がる光景を見て驚いています(柴田、2013)。

コラム 開いてます あなたの農村

現在の日本では、農村と言えば閉鎖的で排他的な場所であり、農民は土地から離れられない人々だと理解されています、しかし、戦国時代から江戸時代初期までは全国的に、農村は余所者ウェルカムな場所であり、農民は容易に農地を捨てました。なぜでしょうか。
戦国時代、農村は疲弊していました。相次ぐ戦乱や飢饉、疫病、災害、過酷な年貢に労役など。生活苦に陥った農民は、農地を、農村を捨てました。より安全で豊かな生活を求めて、逃亡したのです。どの農村も人口の減少と、それに伴う放置された農地の荒廃に苦しんでいましたので、移入者を受け入れないと村が存続できない恐れがありました。他の農村からの逃亡者は常に歓迎されていました。農地や家屋を提供したり、年貢や労役を軽減するなどの優遇措置が取られていたようです。
江戸時代中期になると、農民の生活水準が向上して逃亡する必要がなくなったため、農民は出生地に定住するようになりました。農村の人口も増えたため、余所者を受け入れる必要もなくなりました。この時期から農村は閉鎖的で排他的な場所になったようです(宮崎、2002;黒田、2006)。

コラム 間引き

飽食と少子化の時代に生きる我々は、「間引き」と聞くと「重い年貢と飢饉に苦しむ農民が悩み苦しんだ挙句に泣く泣く我が子を殺す」のような悲劇を想像しがちです。しかし、実際には江戸時代の日本人は冷徹に計算づくで間引きを行っていたようです(鬼頭、2000;太田、2007;浜野、2011)。
先に述べたように、江戸時代前半に日本人は子供を大事に育てるようになりました。言い換えると、育児にコスト(費用・労力)がかかるようになったのです。中世のように子供を産んだら最低限の衣食住だけ与えて放置、というわけにはいかなくなりました。さらに、江戸時代後半には農地開発がほぼ終了し、農地面積の拡大が見込めなくなりました。となると、長男以外の子供が農地を分割して独立することができなくなります。農地を継承できるのは長男だけです。子供が多いと収入は増えないのに支出だけは増えることになり、経済的に不利となりました。
また、子供に姉がいる場合、下の子供の生存率が向上したことが知られています(浜野、2011)。これは私の推測ですが、姉を家事や子守に従事させることで、育児環境が向上したのでしょう。つまり、「女子(家事・育児要員)+男子二人(跡取り&予備)」という家族構成が理想となります。まさに「一姫二太郎」ですね。
かくして、子供の数・男女の順・性比などを調整するために、家族計画の手段として間引きが行われました。つまり、間引きは「貧困ゆえの苦渋の子殺し」ではなく「生活水準を維持するための積極的な子殺し」でした。我々には理解できない慣習です。「子供を大事に育てるようになったから子供を殺すようになった」というのは大いなる矛盾ですね。江戸時代後半に人口増加が止まった理由として、間引きの影響は無視できません。しかし、間引きに関する記録は非常に少なく、人口の推移にどのような影響を与えたのかは不明です。間引きは死産として報告されますので、実数が把握できないためです。幕府や藩は人口停滞の原因の一つが間引きの横行であることを把握していましたが、間引きと死産を区別することはできませんので、禁止は不可能でした。

おわりに

私はこんな記事を書いておきながら歴史学には至って無知ですが、最近の歴史の研究が大きく動いており、子供のころに学んだ定説が大きく変わりつつあることを実感します。徳川綱吉の評価はその格好の事例です。
戦国時代や江戸時代を扱った創作物では、「戦国時代:乱世だが自由で活気に満ちた時代」、「江戸時代:天下泰平だが不自由で活気のない時代」というような印象を植え付ける作品があります。織田信長の過大評価もこの辺に原因があるのかもしれません。しかし、平和に勝るものなど何もありません。中世までの日本人は本物の蛮族でしたが、江戸時代に入って急速に文明化されました。日本人の文明化を成し遂げた徳川家は偉大なる統治者であったと言えましょう。
日本人の精神性は時代とともに大きく変わりました。日本の中世は過酷な時代で日本人は蛮族でした。しかし、平安時代には豊かな王朝文化が花開きました。室町時代にも北山文化や東山文化が育ち、現在にまで至る日本文化の原型が成立しました。また、応仁の乱により京都が荒廃してしまったため、貴族や文化人が戦国大名の庇護を求めて全国各地に移住し、都の文化を地方に伝えました(呉座、2016)。蛮族でありながら豊かな文化を育んだご先祖様に敬意を表したいところです。

参考文献

特にお勧めしたい文献を赤字で示しています。

太田素子(2007)子宝と子返し 近世農村の家族生活と子育て:藤原書店
大藤修(2003)近世村人のライフサイクル:山川出版社
勝田至(2003)死者たちの中世:吉川弘文館
鬼頭宏(2000)人口から読む日本の歴史:講談社学術文庫
鬼頭宏(2007)図説 人口で見る日本史:PHP
鬼頭宏(2010)文明としての江戸システム:講談社学術文庫
衣川仁(2010)僧兵=祈りと暴力の力:講談社選書メチエ
黒嶋敏(2018)秀吉の武威、信長の武威:天下人はいかに服属を迫るのか 中世から近世へ:平凡社
黒田基樹(2006)百姓から見た戦国大名ちくま新書
呉座勇一(2016)応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱:中公新書
五味文彦(2004)中世社会と現代:山川出版社
斉藤研一(2012)子どもの中世史:吉川弘文館
沢井実、谷本雅之(2016)日本経済史 近世から現代まで:有斐閣
繁田信一(2005)殴り合う貴族たち 平安朝裏源氏物語柏書房
繁田信一(2007)王朝貴族の悪だくみ 清少納言、危機一髪:柏書房
繁田信一(2008)庶民たちの平安京角川選書
柴田純(2012)日本幼児史 子どもへのまなざし:吉川弘文館
清水克行(2006)喧嘩両成敗の誕生:講談社選書メチエ
清水克行(2008)大飢饉、室町社会を襲う!:吉川弘文館
清水克行(2018)戦国大名と分国法:岩波新書
清水克行(2019)耳鼻削ぎの日本史:文春学藝ライブラリー
下重清(2012)<身売り>の日本史 人身売買から年季奉公へ:吉川弘文館
中野等(2008)文禄・慶長の役吉川弘文館
永原慶二(2004)苧麻・絹・木綿の社会史:吉川弘文館
根崎光男(2006)生類憐みの世界:同成社
浜野潔(2011)歴史人口学で読む江戸日本:吉川弘文館
原武史(2015)大正天皇朝日文庫
福田千鶴(2010)徳川綱吉 犬を愛護した江戸幕府五代将軍:山川出版社
藤木久志(2001)飢餓と戦争の戦国を行く:朝日選書
藤木久志(2005)新版 雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り:朝日選書
細川重男(2011)北条氏と鎌倉幕府講談社選書メチエ
三俣延子(2010)日本土壌肥料学会編 文化土壌学からみたリン:博友社
宮崎克則(2002)逃げる百姓、追う大名 江戸の農民獲得合戦:中公新書>
安田政彦(2007)平安京のニオイ:吉川弘文館
山本博文(2011)徳川将軍15代:小学館101新書
渡辺尚志(2009)百姓たちの江戸時代:ちくまプリマー新書
渡辺尚志(2015)百姓の力 江戸時代から見える日本:角川ソフィア文庫

おじいさんは山へしばかりに −日本における森林の利用と破壊の歴史− その3 気候と植生と歴史

はじめに

前回の記事から随分と時間が経ってしまいましたが、連載を再開します。

日本の国土は南北に長いため緯度により気候が大きく異なり、亜寒帯から亜熱帯まで多様な気候帯が存在します。さらに富士山のような高山もあるため、標高でも気候が変わります。また、森林が成立するには十分な気温と降水量が必要となります。そして日本は降水量に恵まれているため、国土のほぼ全てで森林が成立します。つまり、森林の種類を決定する最大の条件は、気温です。
今回は、日本における気候と植生の関係を解説します。

1.日本の植生の分類

日本の植生を地図で示すと、下の図のようになります。


画像出典:環境省 自然環境局 生物多様性センター

植生が緯度や標高の影響を受けていることがよくわかると思います。ここでは、日本は東西で植生が異なることに留意して下さい。以下に、各植生の特徴をごく簡単に述べます。
なお、気候は連続的に変化するため、気候帯に明確な境界線はありません。そもそも同一地域でも気温や降水量は毎年変動します。今年は去年より暑いとか雨が多いとか。そのため、当然ながら植生にも明確な境界線はありません。中間状態の植生も普通に見られます。さらには、気温に対する適応性が高く、複数の気候帯に渡って広範囲に分布する樹種もあります。
詳細を知りたい方は、連載終了後に参考文献を一括で掲載しますので、連載終了を気長にお待ち下さい。植生の種類や構成、分布には気温や降水量だけでなく、積雪量(冬に乾燥するか、雪折れや雪崩が起こるか、など)、人間による破壊など、多種多様な要因が影響するため、研究者の意見も様々です。

(1)亜寒帯針葉樹林

日本は概して温暖な地域に位置するため、寒冷な気候条件化で成立する亜寒帯針葉樹林は、北海道の一部と高山帯でしか見られません。樹種はエゾマツ、トドマツ、嘘松コメツガなどが中心です。
世界的にはシベリアのタイガやドイツのシュヴァルツヴァルト(黒い森:Google画像検索)が有名です。

(2)冷温帯落葉広葉樹林夏緑樹林)

東日本の大部分と、西日本の高標高地域に成立する植生です。中心となる樹種は、落葉樹のブナやミズナラです。世界自然遺産に登録された白神山地のブナ原生林が有名ですね。ブナ林は西日本では山岳地帯に断片的にしか存在しませんので、地球温暖化により消滅してしまうと予測されており、保全対策が必要と考えられます。我が郷里、兵庫県神戸市の象徴である六甲山でも、山頂近くのブナ林が消滅の危機にあります。
参考:国土交通省 近畿地方整備局 六甲砂防事務所 六甲山系電子植生図鑑
参考:国立研究開発法人 森林研究・整備機構 温暖化でブナ林はどのように変わるのか

(3)暖温帯・亜熱帯広葉樹林照葉樹林

東日本南部の沿岸部、西日本の大部分に成立する常緑の森林です。シイ類やカシ類、クスノキなどが主体です。中心となる樹木が常緑樹で葉が厚く光沢があり、明るく見えることから命名されました。樹冠(樹木の最上部、英語では「crown」)がブロッコリーのようにモコモコになるので遠目でもすぐわかります。特に5月頃になると、鮮やかな淡い黄色の花を咲かせるため、カリフラワーのように見えます。照葉樹林の起源は中国南西部の雲南省周辺だとされており、日本は分布の北限に当たります。
この森林の東北地方における北限は、太平洋側では宮城県牡鹿半島日本海側で秋田県男鹿半島だとされています。日本海側の方が照葉樹林が北まで分布する理由は、日本海側の暖流の対馬海流と、太平洋側の寒流の千島海流の影響だとされています。

 
撮影:2015年9月22日、神奈川県鎌倉市高徳院

 
 
撮影:2018年6月2日、千葉県千葉市ZOZOマリンスタジアム周辺
何でや! 阪神関係ないやろ!

(4)中間温帯林

上に述べたように、気候は連続的に変化します。それに伴い、植生も連続的に変化します。そのため、分類しにくい植生も存在します。ここでは、暖温帯と冷温帯の中間地域でのみ成立する植生を説明します。
冷温帯の森林の中心となるブナは「冬の寒さに強く(特に積雪を好む)、夏の暑さに弱い」という特徴があります。一方で暖温帯の森林の中心となるシイ類、カシ類は「夏の暑さに強く、冬の寒さに弱い」という特徴があります。ここでよく考えると、「夏暑く、冬寒い」という気候条件化では、冷温帯落葉広葉樹林も暖温帯常緑広葉樹林も成立しないことになります。日本列島の内陸部の各地にこのような地域が存在します。
森林学者の間でもまだ見解は統一されていないようですが、このような地域では中間温帯林と呼ばれる植生が成立します。クリやコナラ、クヌギなどの落葉広葉樹、モミやツガなどのような常緑針葉樹などが中心です。

2.日本の植生と歴史に関するあれこれ

(1)日本人を養ったドングリ

日本の植生は、大部分がブナ・ミズナラを中心とする冷温帯落葉広葉樹林か、シイ・カシを中心とする暖温帯落葉広葉樹林です。ここで挙げた樹種は全てブナ科に属し、堅果(ドングリ、いわゆるナッツ)を産出します。日本の森林にはブナ科以外でもトチやクルミなど、堅果を産出する樹種が多く、森の民である日本人を養ってきました。なお、樹種によっては、堅果は長時間水や灰汁に漬けたり煮たりしてアクを抜かないと食べられないこともあります。

(2)縄文時代の人口分布

考古学者によると、縄文時代の遺跡は東日本が多く、西日本が少ないとされています。これは、縄文時代は東日本の人口が多く、西日本が少なかったことを意味すると考えられています。その理由として、以下のような説明がなされています。

(2-1)縄文時代の植生

縄文時代の前期から中期にかけての時期の日本は現代よりも温暖だったとされています。そのため、現在では冷温帯落葉広葉樹林が分布している東日本の大半の地域で、クリやコナラを中心とする中間温帯林が分布していたようです。つまり、当時の日本は大まかに分けると、

東日本:中間温帯林(クリ・コナラ)
西日本:暖温帯常緑広葉樹林(シイ類・カシ類)

という森林環境にありました。また、遺跡の発掘調査の結果から、縄文人堅果を中心とした食生活を送っていたことがわかっています。*1ここで、中間温帯林は、暖温帯常緑広葉樹林に比べて堅果の生産量が多いという特徴があります。特にクリの堅果は大きく、アク抜きが不要ですので、非常に重要な食料となります。よって、森林の堅果の生産量が原因で、東日本の人口が多かったのだろうと推測されています。

(2-2)サケ・マス論

北日本では今も昔も秋から冬にかけてサケやマス(以下、サケ類)が川を遡上します。これが野生動物の重要な餌となることは周知の通りです。

話はそれますが、東京湾では放射性セシウムの蓄積が確認されています。河川が陸上の物質を海へと運ぶからです。
参考:東京湾への放射性セシウム流入続く 河口付近の泥に集積(朝日新聞)

このように、陸上の物質は河川により最終的には海へと流出してしまいますので、陸上の生態系は物質を失って貧しくなる一方です。ところが、サケ類は川で生まれて海で育ち、また川に戻ることで、自らの体を以って物質を海から川へと送り返していることになります。サケ類の体は窒素、リン、カリウムなどの栄養塩類が非常に豊富です。動物に捕食されたサケ類は動物を養い、糞や食べ残しの遺骸は土に帰って森林を養います。サケ類の遡上は非常に精緻に形成された地球の物質循環システムの一環と言えます。最近では、森林を整備することで漁獲量が増えることに気付いた漁業界が林業界と提携する事例が増えています。サケ類の遡上と森林の関係は、逆に漁業資源を保全することが林業に好影響を与えることを意味します。

話を戻しますと、東日本は川を遡上するサケ類が食料として利用可能であり、人口扶養力が高かったと考えられています。サーモン豊作。これが、縄文時代に東日本の人口が多かった理由の一つと考えられています。この説明を「サケ・マス論」と呼びます。しかし、この理論は批判も多いようなので、詳細な説明はしません。サケ・マス論を避けます。フヒヒwwwサーモンwww。縄文時代の遺跡からサケ類の骨がほとんど見付からないことが大きな問題となりますが、そもそもサケ類の骨は細くて軟らかく、そのまま食べられてしまったり土壌中で微生物により分解・消失してしまったりするので発見されにくいのです。

(2-3)三内丸山遺跡

青森市の郊外で発見された三内丸山遺跡は、縄文時代の集落の跡だとされています。人口は最大で数百人に達したとされており、それだけの人口を養うために高度な食料生産技術があったようです。眼前の青森湾は優れた漁場であり、海産物の消費量が多かったことが確認されています。それに加えて、クリの栽培を行っていたことが特筆に値します。クリは食料としても木材としても優秀だったようです。
土壌中の花粉を分析すると、クリの密度が非常に高く、クリの純林と言える森林が成立していたようです。天然林ではこのような状況は考えられないので、クリの播種や他の樹種の伐採などの管理が行われていたと考えられます。また、クリの残骸の遺伝子を分析すると、遺伝的多様性が低く、堅果が大きく生産量が多い系統が選抜されていたと推測されています。つまり、クリの栽培が行われていたことはほぼ確実です。
なお、花粉分析の結果から、縄文時代後期以降に利用する堅果はクリからトチに変化したようです。トチはクリと比べて、寒冷な気候に適している、アクが強いので高度なアク抜きの技術が必要となる、などの特徴があります。気候が寒冷化し、アク抜きの技術が発達したことで、トチが選ばれたようです。滝川栗捨てる。

(2-4)農業の開始による人口分布の変化

縄文時代の後期になると、東日本の遺跡が急速に減少します。人口が急速に減少したものと思われます。その原因は寒冷化(およびそれに伴う植生の変化)による堅果生産量の低下や、渡来人がもたらした伝染病ではないかと見られています。しかし、縄文時代の人骨からは天然痘結核(カリエスの乙女たち)などのような重大な伝染病の痕跡はまだ見付っていませんので、人口減少の原因は今後の考古学者による研究の進展を待ちましょう。
一方の西日本では逆に人口が増加しており、中国や朝鮮から農業技術が導入されて食料生産量が増えたからではないかと見られています。ただし、日本のいつどこでどのような農業が始まったかについては、まだまだ研究が必要です。

(3)黒ボク土

主に火山灰を起源とする「黒ボク土」という土壌が、日本列島の広範囲を覆っています。名前の由来は、「色が黒くて握ったり踏んだりしたときの感触がボクボクしているから」というよくわからないものです。ボクボク笑っちゃいます。
黒ボク土の大きな特徴は、大量の有機物(植物の残骸)を含むことです。しかもその植物はおそらく樹木ではなく草であろうとされています。根拠は「プラント・オパール」です。プラント・オパールとは、主にイネ科の草が生成するケイ素(ガラス)の塊で、日本語では「植物珪酸体」と呼ばれ、種ごとに特有の形を持ちます。イネ科の草の葉は淵が鋭く、指先に切り傷を負った経験がある方も多いと思います。葉の細胞がケイ素の結晶を含み、硬いからです。古代の遺跡中のプラント・オパールを分析することで、農業の起源を探る研究が世界各地で行われています。日本を含む東アジアでも、水田稲作がいつどこで始まったかという研究が盛んに行われています。
さて、黒ボク土が多量のプラント・オパールを含むということは、日本列島の広範囲に草原が長期的に成立していたということです。冒頭で述べたように、日本の「本来の植生」は森林です。草原が広がっていたということは、古代から森林破壊が広範囲かつ長期的に行われていたことを意味します。その目的は、農地開発や肥料、家畜の飼料の供給などが考えられます。

(4)スギ・ヒノキ林は「本来の植生」ではないのか?
(4-1)スギ・ヒノキの植林

太平洋戦争後、経済復興のために広大な面積でスギ・ヒノキの植林が行われました。この植林はわざわざ広葉樹林を伐採してまで強行されたために現在では非常に強い批判を受けています。ここで、私個人としては、『スギ・ヒノキ林は「本来の植生」ではない』という批判に対してあまりスッキリしない思いを抱いております。「確かにある程度はその通りではあるが、言い過ぎではないか」といったところです。もっとも、スギやヒノキが嫌われる最大の理由は花粉症ではありますが。

(4-2)「本来の」暖温帯常緑広葉樹林はスギやヒノキを含む

縄文時代の遺跡の調査から、スギやヒノキが木材として重視されていたことがわかっています。例えば、720年に成立した日本書紀では、スギは船に、ヒノキは建築に適した材木であることが述べられています。法隆寺伊勢神宮などの古代の社寺にもスギやヒノキの材が大量に使用されています。特に伊勢神宮は20年ごとに建て替えますので、膨大な数のスギやヒノキが伐採されました。また、現在、暖温帯落葉広葉樹林が成立している地域の土壌中の花粉を分析すると、スギやヒノキの花粉がよく発見されるようです。これらの事実は、スギやヒノキがありふれた樹木であったことを示します。ところが、現在の暖温帯常緑広葉樹林では、スギやヒノキはほとんど存在しません。これは何を意味するのでしょうか。最近では、以下のような説が注目されているようです。

現在広く受け入れられている理解では、関東より九州にかけての暖温帯の極相はアカガシ属やシイ属などが優先する照葉樹林である.(中略)本来は地域や立地によっては照葉樹に温帯性針葉樹を混交したものであった――その混交の程度、林分構造はなお不明であるが――と考えたい(中略)その後の歴史の中で、人々が選択的かつ徹底的に伐採利用した結果、平地や低標高域の植生から温帯性針葉樹が抜け落ちてしまった後の姿を見て、暖温帯の極相を照葉樹林であると理解し、一方で奥山に伐採を免れて残存したむしろ分布周辺域にあたるヒノキやスギの個体群を見て、それらの樹種を冷温帯的な森林の構成種であると誤認してきたのではないだろうか。
出典:大住克博(鳥取大学)森林の変化と人類、森林科学シリーズ1、共立出版、P.79

非常に説得力のある説明だと思います。藤原京だの平城京だの長岡京だの、遷都を繰り返しせばスギやヒノキが枯渇するのも当然です。日本全土にスギやヒノキの純林に近い人工林が広がってしまっている現状は確かに深刻ですが、スギやヒノキが日本に存在してはいけない邪悪な樹木であるかのような言説は否定すべきです。スギやヒノキも立派な日本の樹木です。ただ、植え過ぎがいけないのです。

(5)本当の植生教えてよ

この記事を執筆するに当たって、森林生態学(日本生態学会編、共立出版)という書籍を参考としております。この書籍は冒頭部分で用語の定義の考察にページを割いており、さすがは学会編集の教科書、と感服しました。もっとも、わざわざ定義を考察するということは、定義が難しいということの裏返しです。最大の問題は、既に人類の影響を受けていない森林は地球上に存在しないので、厳密な意味での「極相林」「天然林」「原生林」が存在しないことです。実際に、「極相林」「天然林」「原生林」などの定義もかなり曖昧でした。
この記事でも、日本人が古代から森林破壊を行っていたことを述べました。はっきり言いまして、「本来の植生」の定義なんてできません。例えば「本来の植生」を「現在の気候条件が100年続いた場合に成立する最終的な安定した植生」と定義した場合、現在は地球温暖化が急速に進行中なので、「本来の植生」が何だかわからなくなってしまいます。100年後は現在より気温が上昇し、暖温帯地域の一部は亜熱帯へ、冷温帯地域の一部は暖温帯へと移行している可能性もあります。その場合の「本来の植生」はどのような森林でしょうか。答えはありません。同書から引用します。

極相の植生とは抽象的、観念的なものであり、現実にはめったに見られるものではない
出典:森林生態学(共立出版)、P.x

(6)シイ類の分類

シイ類は暖温帯地域の植生の中心となる樹木です。日本ではスダジイとコジイ(ツブラジイ)の2種類が分布しています。*2上に述べたように、このグループの起源は中国の雲南省周辺で、その地域には多様なシイ類が分布しています。日本のスダジイとコジイの分類に関して、研究者の意見が割れているようです。両者を同種とする見解と、別種とする見解があります。両者の中間的な個体が広く見付かっているからです。
私が個人的に非常に面白いと思う点は、シイ類がどこにでもある大木だということです。知床半島白神山地小笠原諸島、山原や西表島のような、いかにもな土地にのみ生息する、いかにもな生物では決してありません。シイ類は樹高が高く樹径が太く、大量の枝葉を茂らせる常緑樹なので、非常に見栄えがします。そのため、ある程度の規模や歴史のある庭園、寺社ならば大抵植えられています。東京では、都心の皇居や明治神宮新宿御苑で見られます。それくらいありふれた大木なのに、分類がはっきりしない。こういう点も生物学の魅力と言えましょう。

(7)照葉樹林文化論

縄文時代の日本の森林と文化の関係を論じる上で避けて通れないのが、「照葉樹林文化論」です。照葉樹林の起源である中国の雲南省から日本に至るアジアの広大な地域で、文化や思想などに広い共通点が見られる、とする壮大な理論です。照葉樹林を称揚する。ただし、この理論の考察だけで書籍が何冊も出せる上に、時代とともに理論の内容も変遷していますので、私にはとても論じる能力はありません。よって触れません。既に考古学者による批判も多いようですしおすし。

(8)東大の赤門はイカ臭い

クリの花と言えば、独特の匂いで有名です。クリ以外のブナ科の樹木も、同様の匂いを発します。虫媒花なのであの匂いで昆虫を呼んでいるものと思われます。東大の赤門の傍らにはスダジイの木が植えられており、毎年5月頃に大量に花を咲かせて強烈な匂いを放っております。下の写真を撮影している間、あまりのイカ臭さに、中年男であるにもかかわらず、「ここに長時間いたら前カリフォルニア州知事のように妊娠してしまうのではないか」という貞操の危機を覚えました。

 

 
撮影:2018年5月、東京都文京区、東京大学本郷キャンパス   撮影:2014年4月21日、東京都文京区、東京大学本郷キャンパス
撮影:9999年9月、東京都文京区、東京大学本郷キャンパス   撮影:なんで、たわしが東大に!?

おわりに

現代に生きる我々は、ついつい環境問題を近代以降に初めて起こった問題と考えがちです。しかし、今も昔も環境問題は存在します。日本人は縄文時代から森林を破壊していたことは間違いありません。無知に基づく過去の美化は禁物です。黄金時代などありはしません。
前回の記事でも強調しましたが、どのような植生をどのような目的でどのような手段で守るのか、深く考える必要があります。例えば、里山を維持するにしても、農業に里山が必要とされていない以上、自治体の予算を使って、経済価値のない環境を維持する大義名分は何かを考えねばなりません。
私はいわゆる「極相林至上主義」「潜在植生至上主義」「照葉樹林至上主義」には否定的です*3生態学では、生物多様性には「種の多様性」「遺伝子の多様性」「生態系の多様性」の3つのカテゴリがあるとされています。さらに、植生には種類に応じて様々な社会的価値があります。もちろん現在の環境から推測される「本来の植生」を守ることも重要ですが、各植生の価値の比較検討を経た上で、植生そのものの多様性も維持していきたいものです。

*1:遺骨の窒素の放射性同位体を分析することで食性がわかるようです。

*2:マテバシイは和名に反してシイ類ではありません。

*3:だから私は宮脇昭氏の著書は買いません

奇跡のリンゴのその後 ―ニセ農業からニセ医学へ―

1.はじめに

5年前に、「奇跡のリンゴ」という映画が公開されて話題になりました。モデルとなった人物は、木村秋則という農薬も肥料も使わずにリンゴを栽培することに成功したと「自称」している青森県のリンゴ農家です。
農業ルネッサンス(Facebook)
NPO法人 木村秋則自然栽培に学ぶ会

私は農業界の片隅で薄禄を食んでおります。「奇跡のリンゴ」という物語、木村氏の主張は日本農業に有害無益であると確信していたため、映画の公開当時にこのブログにて批判記事を執筆しました。木村氏の主張の問題点に関しましては過去記事をご参照ください。
「奇跡のリンゴ」という幻想 −安物の感動はいらない−
「奇跡のリンゴ」という幻想 −感動ではなく数字を−
「奇跡のリンゴ」という幻想 −印象操作−
「奇跡のリンゴ」という幻想 −印象操作(補足)−
「奇跡のリンゴ」という幻想 −無農薬のジレンマ−
「奇跡のリンゴ」という幻想 −無肥料農法は長続きしない−
「奇跡のリンゴ」という幻想 −うわっ…私の収穫、低すぎ…?−

私がこれほど激しく木村氏を批判した理由を簡潔に述べると、以下のような愚か者が現われて日本の農業が妨害される状況を阻止したかったからです。

「無農薬でも農業はできる! ソースは奇跡のリンゴ! 農家が農薬を使うのは甘え! 手抜き! 能力不足! 環境や消費者の健康なんて考えていない! 自分の利益しか考えていない! エゴ! 私はエコでロハスナチュラルでセレブ!」

幸いにしてこんな愚か者はほとんど現れず、木村氏の人気は一過性の流行に終わり、元通り「知る人ぞ知るトンデモさん」という位置に落ち着きました。

2.ニセ農業からニセ医学へ

さてつい先日、あまりメディアで見かけなくなった木村氏は何をしているのかと思って検索したところ、呆れたことにニセ医学に進出していました。元々木村氏は著書の中でニセ医学に関心を示していました。出典は「百姓が地球を救う 安全安心な食へ“農業ルネサンス”(東邦出版)」です。冗長になりますが、木村氏のデタラメぶりを理解して頂くために、長々と引用します。

2011年8月に厚生労働省が、「日本人の2人に1人がなんらかのアレルギー性疾患を持っている」と発表しました。化学物質過敏症の人も急激に増えています。これまで変わらずに信じられてきた、農薬や肥料だらけの農業と決して無関係ではないと思います。(P15)

食べ物が大きな原因のひとつといわれる糖尿病やアレルギー、ガンなどの病気になる恐れが少なくなるでしょう。(P25)

自然栽培で育った自然治癒力を持ったリンゴや野菜、おコメが、人間の治癒力に好影響を与えることは、論理的に十分考えられます。
日本ではガンによる死者が年々増えています。これだけ医学が進歩しているにもかかわらず、です。なぜなのでしょうか。
一方、アフリカなど発展途上国にガン患者が少ないという話はよく聞きます。つくづく考えてしまいます。農薬・肥料を使わない、自然界に自生しているものを食べている国の人たちのほうが、本当は豊かな食を得ているのではないか……。(P79-80)

正確なデータがあるわけではありませんが、すぐにカッとなる、キレやすい、角のある人間が多くなったのは、そういう栽培(引用者注:肥料を用いる栽培方式)で作られた食材が大きく影響しているのではないかなぁと思っています。(P133)

生活環境の悪化とともに、日本人の体質がおかしくなってきているのは、間違いないでしょう。
環境悪化の原因のひとつとして、肥料・農薬を使う一般栽培による汚染が考えられます。
また、体調変化の原因のひとつが食べ物であることも、疑う余地がないと思います。(P172)

(引用者注:花粉を作れない雄性不稔の野菜の品種について)消費者の皆さんは、自らが品質と量と安さを求めたために、オスの能力を失った野菜を食べざるを得ないところまできているのです。これは、社会問題化している若年男性の生殖能力の低下と無関係ではないともいわれています。(P179)

1970年代以降に品種改良されたおコメは、ほとんどすべてがモチ米の遺伝子を持っています。国民病といわれる糖尿病の急激な増加は、モチ米の栄養を含んだおコメを毎日食べていることに原因があるのではないかと思っています。(P179-180)

木村氏が本格的にニセ医学に進出した契機は、胃がんを発症したことのようです。2016年の秋に手術と化学療法を受け、現在は小康状態を保っていると著書で述べています。健康法ならびにニセ医学の提唱者ががんを発症し、標準医療を受けたわけです。自説に対して誠意や責任感があるならば、自説を撤回するはずです。ところが、本人は多少気まずさを覚えてはいるものの、自説を撤回するつもりは全くないどころか、ますます自説の自信を深めたようです。まぁ誠意や責任感がないからこそトンデモさんになるわけですが。著書「自然栽培 がんは大自然が治す(東邦出版)」から引用します。タイトルだけでうんざりですね。

一方で、まさか自分ががん患者になるとは思っていませんでした。だから、いま世間に流れている「自然栽培なら、がんにならない」という雰囲気に水を差しはしないかという不安があり、きょうまで皆さんにお伝えできませんでした。
でも、考えようによっては、自然米だけを30年以上食べてきたから、がんもこの程度で済んでいるのです。酒と煙草は人並み以上ですが、毎日のご飯が自然栽培のお米だからこそ、がんのほかに全く病気がないのです。そう思っています。(P8-9)

何の根拠もありません。それにしても、農薬ががんの原因であると何の根拠もなしに強弁する人間が、発がん性が明確に認められている酒やたばこを肯定するのは本末転倒で滑稽ですね。嫌いなものは無条件に否定し、好きなものは無条件に肯定するという偏向を全く自覚していないようです。
参考:がん種別リスク要因と予防法(国立がん研究センター がん情報サービス)

3.トンデモの多角化、万能化

トンデモさんは一般的に自己顕示欲と野心が強く、自慢が大好きです。木村氏の著書も自慢にあふれています。その結果、トンデモさんは話を盛りたがります。
その典型的な事例が、EM(有用微生物群)の生みの親である琉球大学名誉教授、比嘉照夫氏です。EMは本来は農業における土壌改良用の微生物資材だったはずなのですが、いつの間にやら河川や海洋の水質を浄化したり、健康食品になったり、放射性物質を消失させたり、人類の原罪を消したりと万能の活躍を見せるようです。
比嘉照夫氏の緊急提言 甦れ!食と健康と地球環境 第100回 EM(有用微生物群)は人類の抱えるすべての問題を解決する力を持っている

話を際限なく拡大させるのは木村氏も同様で、ニセ医学以外にも、下記のようなことを述べています。出典は上記の「百姓が地球を救う 安全安心な食へ“農業ルネサンス”(東邦出版)」です。

実は、「バクテリア放射線を食べる?」という話も昔からあるのです。(P119)

同位体研究所で福島県宮城県の自然栽培米を分析したところ、1ベクレルも検出されなかったのです(0以上1ベクレル未満)。
特に福島県産のおコメは、1メートル離れたあぜ道で高い数値が出ていたにもかかわらず、わたしの指導する田んぼでは検出されませんでした。(P120)

次はどんなトンデモに進出するのでしょうかね。オカルト大好きの人なので「自然栽培の農産物を食べたら宇宙人に会える」くらいでしょうか。

4.歯切れの悪さ

木村氏のニセ医学に関する書籍は今のところ2冊刊行されています。これらの書籍は雑誌の体裁をとった書籍で、いわゆるガチャピンムックですぞ。木村氏が監修を務めています。ニセ農業雑誌からニセ医学雑誌に鞍替えしたようです。
自然栽培vol.12 がんは大自然が治す(東邦出版)
自然栽培vol.13 がんが消える愛し方(東邦出版)

しかし、これらの著書において、木村氏は明確に反標準医療を表明しているわけではありません。上に述べたように手術と化学療法を受けているのですから、標準医療を否定できないのです。他の著者も、「がんを発症して手術を受けたが化学療法を拒否した。だから手術を否定しないが化学療法を否定する」「がんの標準医療をすべて否定する」など様々なスタンスの著者がおり、書籍としての統一性はありません。標準医療を否定するのかしないのか、非常に歯切れの悪い内容となっております。
木村氏は本当は「がんの標準医療は百害あって一利なし! 自然栽培の農産物を食べればがんにならない! がんになっても病院に行かずに治る!」と訴えたいのでしょうけれど、自然栽培のご本尊である自分ががんを発症してしまい、しかも標準医療を受けた以上、あまりトンデモなことは言えないという苦しい立場なのでしょうね。
木村氏の執筆部分の特にトンデモな部分を引用しようと考えましたが、煮え切らない表現を連ねるだけで主張が明確ではなく、引用する意味があると思える部分はありませんでした。「気の持ちようでがんは治る」とか「体温を上げるとがんは治る」みたいなありきたりの主張が散見されるだけです。農業に関してはオリジナリティの塊のようなトンデモ理論を披露しているのに、医学に関しては意外に凡庸なので少々拍子抜けです。だったら最初からこんなトンデモ本を出さなければいいのにね。

農業においても、農薬や肥料を否定しきれないことを自覚しているが故に木村氏の主張が歯切れが悪いことは過去の記事で述べた通りです。

最もぶっ飛んだ記事は、日本プラズマ療法研究会の理事長、田丸滋氏による『「大自然のパワー・雷でがんを消す! 全米が注目する日本のプラズマ療法 緊急取材「消失率90%」の実際」』です。この研究会の理事に、あの野島尚武医師が名を連ねていたのには驚きました。恐るべきトンデモさんネットワーク。

5.おわりに

私はこんなトンデモさんの人気が一過性で終わってくれたことに安堵しています。さすがに木村氏が再度脚光を浴びることはないと思います。

上記の「がんが消える愛し方」には、『間に合うか人類!? 地球が終わる「Xデー」のこと』という記事があります。「木村氏は宇宙人に地球が滅びる日を教えてもらったが詳細は話せない」という内容です。木村氏と出版社が対象としている読者の層がうかがえますね。

それにしても、トンデモさんと結託してトンデモ本を垂れ流す出版社がのうのうと生き残り、はてなユーザーにはお馴染みの良書を多数刊行していたメタモル出版が倒産したという現実に、私は強い絶望を覚えております。

高齢のがん患者への評価としてはいささか辛辣すぎるかもしれませんが、傍迷惑なトンデモさんにかける情はありません。

自慰のネタを「おかず」と呼ぶ理由 ―食文化に基づく考察―

1.はじめに

いつ頃からかは知りませんが、現代の日本語では、自慰の際に性的興奮を高めるために用いられる道具を「おかず」と呼びます。私が睾丸紅顔の美少年であった平成初期の頃にはすでにその表現が用いられていたと記憶しております。当時、週刊少年ジャンプには「電影少女」という青少年のリビドーをかき立てるエロ漫画が掲載されていました。単行本を所有しておらず、友人に借りた雑誌で読んだだけなので断言はできませんが、作中でその表現が用いられていたはずです。もっとも、純真な中学生であった私には意味がわかりませんでしたが。

2.日本の食文化における「おかず」の意義

今も昔も日本の食事は米を中心として構成されています。現在では日本の食物は多様化し、栄養学的にも優れた食文化を持っていると言えます。しかしそれは戦後数十年の食生活改良の賜物であり、戦前までの日本の食文化は必ずしも豊かであったとは言えません。日本の伝統的な食文化の最大の特徴および問題点は、米偏重です。*1研究者の説明を引用してみましょう。

石毛直道著「世界の食べもの 食の文化地理」(講談社学術文庫)より

それにたいして東アジア、東南アジアにおいては、食事というものは主食と副食の二種類のカテゴリーの食品から構成されるものである、という観念が発達している。たとえば現代日本語では、飯(めし、あるいはご飯)(引用者注:原文では「めし」はルビ)に対置されるのがおかずであり、正常な食事というものは飯とおかずの両者から構成されている、という観念がある。(P12)

これらの民族で、料理を主食と副食のふたつのカテゴリーに分類するさいに、普通主食にあたるものは、腹をふくらませることを第一の目的とした穀物やイモ類などの炭水化物に富んだ食品で、原則として味付けをしないで料理することが共通点としてみられる。それにたいして、副食は肉、魚、野菜などを味付けした料理で、主食を食べるさいの食欲増進剤としての役割をになっている(P12-13)

食事の主体は飯であり、飯は何杯もおかわりをする。飯を多量に胃袋に入れて腹を満たし、その他の食べ物は大量の飯を胃袋に送り込むための食欲増進剤として食べられたのである。(P155)

ケンブリッジ世界の食物史大百科事典1 祖先の食・世界の食(朝倉書店)より

主食である米飯を食べるための副食として日本料理は発達してきたのである。(P163)

日本人の伝統的な食事は、「ごはん」あるいは「めし」とよばれる味つけをしない米飯と、「おかず」といわれる味つけをした副食物の2種類の食品から構成されている。米飯が食事の主役とされるので、「ごはん」、「めし」ということばは「食事」の同義語となっている。味のついた副食物は米飯の摂取を補助する食品であり、副食物の料理が洗練されていることと、その種類の多いことが、上等の食事を格づけるものとされている。(P163)

以上のように、日本の文化において「おかず」とは「食欲を増進する食物」を意味します。そこから派生して、性欲を増進する道具を「おかず」と呼ぶようになったのではないかと言語学の素人である私は考える次第です。

オカズ〜その語源〜(togetterまとめ)
直接の語源に関してはこのような主張がありますが、私の考察はこの用法が定着した背景の一つとしては考え得るのではないかと思います。あまり厳密に考えず、他愛のない知的遊戯、言葉遊びとお考え下さい。

*1:その典型が白米偏重による栄養障害に起因する脚気ですね。脚気の蔓延および克服は、社会医学の本場である大英帝国を見習った大日本帝国海軍の偉業であると同時に、陸軍軍医総監であり、ドイツ医学の影響から逃れられなかった森鴎外の汚点でもあります

この陰嚢が目に入らぬか! ―性の形を考える―

はじめに

心情

私は筋金入りのエセリベラリストです。そして理系大学院博士課程を中退したエセ生物学徒でもあります。
そんな私が嫌いな言説は色々ありますが、特に嫌いなものが、保守派の連中による「デタラメな生物学に基づく性に関する説教」です。具体例を挙げると、

同性愛は自然の摂理に反している
成人した男女が結婚しないのは本能に反している
子供を持たないのは不自然だ

等々。もっとも、幸いにも私の周囲にはこのような余計なご高説を垂れる人間はいません。お陰様で優雅な独身生活を続けられております。

なかなか理解されづらいことですが、人間は類人猿の一種であり、霊長類の一種であり、哺乳類の一種であります。生物学的な存在です。したがい、人間の性の形を考える上で、自然人類学、霊長類学、動物行動学などの生物学の知識は不可欠のはずです。ところが、私は上に述べたような説教を垂れる人間が生物学を修めているという事例を寡聞にして知りません
外国の事情は知りませんが、本邦の保守派は歴史学を悪用(歴史修正主義)して国粋主義、排外主義を垂れ流すだけでは飽き足らず、生物学を悪用して性差別を垂れ流すわけです。
この手の保守派による生物学の悪用で最低の事例は、天皇制の本質はY染色体による男系の維持」とかいうヨタ話ですね。Y染色体こそが天皇制の本質ならば、神武天皇の遺骨を見付けて現天皇と染色体を比較すればいいのに。絶対にしないでしょうけど。他には「○○は日本人のDNAに刻まれている」みたいな言説も大嫌いです。

個人の自由を最大限に尊重するエセリベラリスト、生物学を愛するエセ生物学徒として、上記のような言説を批判したいと常々思っておりました。

便乗

もう5年ほど記事を書きたいと思っていたのですが、なかなか構想をまとめられず、脳内でお蔵入りにしておりました。
ところが、今年の1月あたりから「けものフレンズ」というテレビアニメが人気となっており、ネット上で動物の生態への関心が高まりました。そのため、このアニメの人気が続いているうちに記事を書けばヒットするかも知れない、という打算が沸き起こるに至りました。ついでにうんちく記事にかこつけて駄洒落と下ネタを書きたいとも。

なお、人間の行動には生物学的要因だけでなく、歴史や文化などの非生物学的、社会的な要因*1も強く影響しているため、以下に述べるような生物学的な考察だけで人間の性に関する行動の全てを説明できるとは全く思っていません。念のために強調しておきます。「生物学的には人間は○○だから××すべき」と主張するつもりはありません。男女の分業だって生物学的にあっさり説明・正当化できてしまうわけで。研究者の言葉を引用します。

まず最も大事なことは、人間の心や行動に限らず、広く一般的な事象についていえることだが、自然的な性質や関係からある規範を導いてはいけないということだ。つまり、人間の一般的な性質がこう「である」からといって、そうである「べし」とは必ずしもいえないのである。
私たちがしばしば犯してしまうこのような間違いを、「自然主義的誤謬(naturalistic fallacy)」という。
心と行動の進化を探る 人間行動進化学入門 朝倉書店 P33-34

生物学者の立場からすれば、左右を問わず人文・社会科学者にしばしばみられる、人間を全く動物と区別される存在だとする見方にも同意できない。問題はわれわれがどれだけの動物的遺伝を保持しているかをまだ正確に知らないことだが、もしその過去が仮に意外に大きいとしても(中略)そしてまた、その中に人間の平等・自由の観点からみて好ましくないものが含まれるとしても、それがただちに人間社会に現存する不正義を許すことにはならないと思う。
伊藤嘉昭 新版 動物の社会 社会生物学・行動生態学入門 東海大学出版部  P161

この辺の事情に興味がある方は、「ウィルソン 社会生物学 論争」で検索してみて下さい。人間の行動を生物学的に説明することの是非は複雑な問題です

大前提

以下の点を押さえておくと今回の記事を理解しやすくなるので、事前に解説しておきます。

化石による分析の問題点

人間を生物学的に考える上で、進化の過程を分析することは不可欠です。その大きな手段が化石です。しかし、人体の部位で化石として残るのは骨格だけです。皮膚や筋肉、体毛や粘膜などは分解・消失してしまいます。そのため残念ながら、骨格以外の組織を化石から分析することはできません。性や繁殖に関する組織は骨格が関係しないことが多いので、化石からの考察が難しく、大まかな推測しかできません。

繁殖における雌雄の不公平

哺乳類は体内受精を行い、雌が妊娠・出産・哺乳を行います。雌の負担の大きさは雄の比ではありません。子供が自立するまでは繁殖できません。一方の雄は、交尾すればお役御免です。別の発情した雌を探しに行きます。大多数の種では、雄は育児なんてしません
人間で考えると、男は毎日数千万個の精子を造るのに対し、女は生涯で数百個の卵子しか造れません。理屈の上では男は無限に子供を産ませることができます。女はせいぜい10人しか産めません。
雄では出来るだけ多くの回数交尾することが子孫を残す上で合理的です。ところが雌では、何匹の雄と交尾しようと、産める子供の数は増えません。そのため、子供の父親となる雄を慎重に選びます。交尾の際には雌に選ぶ権利があります。
雄と雌の繁殖に関する戦略は全く異なる、ということを覚えておいて下さい。雄は「質より数」で雌は「数より質」です。

父性と母性

ここで言う「父性」「母性」とは、父親・母親としての感情ではなく、「父親・母親であることの確証」くらいの意味です。
雌は目の前の子供が自分の子供であることを確信できます。産んだのは自分だからです。ところが雄では、目の前の子供が自分の子供であると確信することはできません。雌が他の雄と交尾して受精した可能性を排除できないからです。そのため、雄の繁殖戦略は、一夫多妻型であれ一夫一妻型であれ、雌が浮気できないように拘束するか(狭く深く)、「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」式に乱交するか(広く浅く)のどちらかです。

雌雄の出生数の比率

人間を含むほとんどの動物で雌雄の生まれてくる比率はほぼ1:1です。この理由を考えてみましょう。
雄が多い動物の種や個体群があったとします。この場合、大半の雄は繁殖できませんので、子孫を残せません。雄を生むことは戦略として不利になります。そこで遺伝的に雌を生みやすい系統の個体が有利になり、雌が増えて行きます。
逆に雌が多い場合、雄は競争相手が少ないので、ライトノベルやギャルゲーの主人公の如く(偏見)、ハーレムでウハウハです。雄を生むことは戦略として有利になります。今度は遺伝的に雄を生みやすい系統の個体が有利になり、雄が増えます。
これを繰り返すうちに、雌雄の数はほぼ等しくなると考えられています。*2

人間と動物の行動はそれほど変わらない

「○○するのは人間だけだ。動物は○○しない」という言説はよくあります。「原罪」のようなものでしょうか。しかし、これは無知に基づく誤解、偏見で、実際にはこれが当てはまる行動の事例は非常に少ないように思います。動物の行動は、

派閥抗争・権謀術数・社交辞令
同種内での殺し合い:子殺し
共食い:チンパンジーではオスは殺した子供を食う
繁殖を目的としない性行為:遊びの性行為・同性愛・自慰
レイプ

等々、何でもありです。人間と大きく変わるものではありません。例えば群れ内の序列が厳しいチンパンジーでは、派閥抗争や社交辞令(あいさつや毛づくろい、マウンティングなど)が目立ちます。いい餌が手に入ったときにはかなり複雑な分配が見られます。さらにボノボでは、年齢・性別・血縁を問わず、あいさつがわりの性行為が見られます。専門書を読むと、類人猿の「人間臭さ」に苦笑します。言い換えれば、人間はちょっと変わった類人猿に過ぎないと言うことです。

各論

ヤマハ発情期、爆走兄弟劣&情!!

公式が病気
大半の哺乳類は決まった時期にしか繁殖を行いません。人間のように年中真っ盛りということはありません。固定された発情期がある大きな理由は、食物の獲得です。動物は植物を餌として利用しているわけですが、植物の活動は季節に強く依存しています。動物が多くの栄養を必要とする時期は、妊娠・出産・育児という一連の繁殖期間です。したがい、餌の豊富な時期に合わせて繁殖を行う必要があります。具体例を挙げると、日本のシカは秋に発情・繁殖し、翌年の初夏に出産します。ツキノワグマは同じく秋に繁殖し、冬眠中に出産します。つまり、地域の生態系や気候に合わせて発情期が決まります
ところが、チンパンジーやゴリラのような霊長類には明確な限定された発情期はありません。一年中断続的に発情します。その理由は、季節性の弱い熱帯雨林で生息しているからだとされています。いつでも餌が手に入ればいつでも繁殖できるので発情期が限定されないということです。ただし、雨季と乾季の差がある熱帯雨林で暮らすチンパンジーの個体群では、雨期に繁殖行動が集中する傾向があるようです。

なお、ボノボでは雌が実際には排卵しておらず、妊娠の可能性がないのに発情して性行為を行うことがあります。
その理由として、同時に多数の雌が性行為を行うことで、雄の雌を巡る競争が緩和され、群れが平和になること、雌が雄を選びやすくなることなどが挙げられています。発情した雌が多ければ、雄は特定の雌に固執する必要がなくなります。雌に雄に対する拒否権、選択権が与えられるということです。雌は雄に対して、「私と交尾して子供を産ませたいなら、養ってくれ」と要求できます。発情期が決まっているならば、こういう要求は発情期にしかできません。しかし、発情期が不定ならば、一年中この要求が行えます。そのため、他の霊長類と異なり、ボノボでは雄と雌の力関係においては雌が意外に強く、群れの中での主導権を雌が握ることが多いようです。

この陰嚢が目に入らぬか!・紫のマラの人・見せてもらおうか、連邦軍のMSの精嚢とやらを!

一部の霊長類は、発情すると生殖器の周辺の体色が派手になり、目立ちます。いわゆる「猿のケツは真っ赤」で、ニホンザルがその典型です。
ニホンザルの雄が発情期を迎えると、生殖器は鮮やかな赤や紫色になります。雄は同じく発情した雌に対して尻を向け、睾丸を誇示します。人間で想像したら物凄く嫌ですね。ちなみにニホンザルの雄は体重で12kg程度しかなく、体格は人間の雄よりはるかに小さいのに、何と睾丸は人間よりはるかに大きいという特徴があります。睾丸は繁殖能力だけでなく、雌に対するディスプレイとしての機能もある可能性が考えられます。西原理恵子風に言えば、「まぁ、ご立派!」みたいな。ライオンの雄のたてがみ、鶏の雄のトサカのように、男の強さをアピールする道具なのかも知れません。

また、チンパンジーボノボでは、発情した雄は鮮やかなピンク色の生殖器エレクチオンさせ、雌に誇示します。同様に、発情した雌は鮮やかなピンク色の生殖器を著しく肥大させ、雄に誇示します。

コラム 霊長類の色覚

大半の哺乳類は、発情すると以下の項目で述べるようにフェロモンにより化学的に発情をアピールします。にもかかわらず、上に述べたように霊長類は色により発情をアピールします。それはなぜか。

脊椎動物は目の細胞内の錐体視物質という物質により、色を感じます。そして、哺乳類以外の脊椎動物は4種類の錐体視物質を有しています。それにより、人間とは異なり赤・青・黄・紫(紫外線)の4原色の世界に生きています。一方の多くの哺乳類は2種類の錐体視物質しか持たないため、2原色の世界に生きています。人間で言うところの「赤緑色覚障害」です。哺乳類は他の脊椎動物に比べて、色覚の点では非常に劣っていると言えます。その背景は、初期の哺乳類は昼行性の爬虫類から逃れるために、夜行性を選んだからだとされています。暗い夜に活動するのならば色覚はあまり意味をもたないため、退化したようです。
哺乳類以外の脊椎動物の多くでは非常に色彩の豊かな種が存在します。熱帯魚、ヤドクガエル、キジ、クジャク、インコ、オウムなどがわかりやすい例です。哺乳類は、色彩の点ではかなり見劣りします。トラやキツネの毛皮は美しいとされますが、色彩が豊かと言うわけではありません。

ところが、人間を含む一部の霊長類は3種類の錐体視物質を持っています。その理由は、霊長類は果実を主食とするため、果実が熟しているかどうかを瞬時に色で判断できるように進化したためだと考えられています。その結果、霊長類は哺乳類の中では例外的に豊かな色彩感覚を得ました

フレーメンの音楽隊・フェロモンGO

発情した哺乳類の雄は同じく発情した雌の臭いを感知すると、フレーメン反応という独特の表情を見せます。この時雄は、顔を上に向け上唇をめくり、歯と歯茎をむき出しにします(参考:Google画像検索「flehmen response」)。これは雌の性フェロモンに反応し、より多くのフェロモンを吸引しようとするために起こる行動です。他の臭いと異なり、フェロモンを感知する器官は鋤鼻器と呼ばれる鼻の中にある専用の器官です。そして一部の哺乳類では、口から鋤鼻器につながる管があります。上に述べたような表情を見せる理由は、この管に空気を送り込むためです。

人間を含む霊長類ではこの鋤鼻器はほぼ消滅しているため、性フェロモンの機能はほぼ失われているだろうとされています。しかし、全く機能が残っていないわけではなさそうです。
若い女性が高密度の集団で暮らしている女子学園の寄宿舎では、女性の月経の周期がそろう傾向が見られます。この原因は何と腋の汗のようです。女性の腋の汗を別の女性の鼻の下に塗り続けると、月経の周期が変化するとの報告があります。同様に、あろうことか男性の腋の汗を同様に女性の鼻の下に塗り続けると、月経の周期が安定して生理不順が軽くなると報告されています。この実験の光景を想像したら実に楽しそうです。
人間のワキガはフェロモンである」と俗によく言いますが、案外正しいのかも知れません。

ヘアと猥褻と私

霊長類は分厚く濃い体毛を有していますが、人間にはありません。人間はなぜ体毛を失ったのでしょうか。残念なことに体毛は化石として残らないので、人間が類人猿と分岐して以降の進化の過程で、いつどのように体毛を失っていったのかはわかりません。もちろんその理由もわかりません。しかし、推測は色々と行われております。

1.体温調節

人間はアフリカのジャングルからサバンナに出ました。サバンナは日差しが強く、体温がすぐに上がってしまいます。さらに、草食動物を狩ることを覚えた人間は、長距離を走らなければならなくなりました。汗による体温低下能力を高めるには、体毛が邪魔です。
この説の主な問題点は以下の二点です。サバンナは昼間は暑いものの夜は寒いので、体毛を失うことは必ずしも有利ではありません。さらに、身体能力の都合上、狩りをするのは主に男です。したがい、男の方が体毛が濃い理由が説明できません。

2.寄生虫

体毛を失うとノミやシラミ、ダニなどの寄生虫の被害を受けにくくなるので、体毛がないことが有利だとする説があります。最近注目されているようです。

人間の体に残っている目立つ体毛で機能がわかりやすいものは、頭髪、眉毛、睫毛あたりでしょうか。頭髪や眼の保護のためですね。ヒゲはライオンのたてがみと同じで繁殖におけるアピールのための道具かも知れません。残る体毛は腋毛と陰毛ですが、上にも述べたように、いずれも臭いを発する部位に生えているので、フェロモンと関係がありそうです。それぞれの毛は、汗を固定して臭いを保持するための道具と言えそうです。

東京スカトロパラダイスオーケストラ・悪臭でいと・のぐそカンタービレ

犬を飼っている方ならばよくわかると思いますが、動物は排泄物の臭いを同種の個体に向けたメッセージとして利用します

発情した雄のシカは、水たまりや湿地などの泥がたまっている場所でのた打ち回り、全身に泥を塗り付けます。この時によく見ると、放尿していることがわかります。尿の混ざった泥を全身にまとうことで、全身からフェロモンを発するようになるわけです。草食動物なのに肉食系です。

一方、発情したウマの雄は、地面の発情した雌の排泄物、特に尿の臭いをかぐと、フレーメン反応を見せます。「馬が笑う」と呼ばれる行動ですね。そして何と、雌の尿に自分の尿をかけます。なぜか。
ウマの雄は雌をめぐって激しく争います。そのため、発情した雌がどこにいるか、という情報が重要となります。排泄物は個体の性別、健康状態、年齢など、様々な情報を含みます。したがい、新鮮な発情した雌の尿があるということは、近くに発情した雌がいることを示します。雄はこの臭いの情報を独占したい。ではどうするか。臭いを消せばいいわけです。雄の尿には多量のクレゾール類の物質が含まれていることがわかりました。昔のトイレの消毒薬ですね。雄は雌の排泄物に尿をかけることで臭いを消去し、雌の情報を隠蔽・独占するわけです。同様に、他の雄の排泄物にも尿をかけ、排除をもくろみます。
また、雄同士が争うとき、武力闘争は共倒れになる恐れがあるので、できれば避けたいところです。ゴリラが犬歯をむき出しにするように、威嚇で追い払うことが最善です。こともあろうに、雄は双方が排便して糞の臭いをかぎ合います。暴力沙汰を回避するために進化の過程でこのような手法が選ばれたのでしょう。

むきむきメモリアル・大乱交スワップブラザーズ

生態学では性的二型という概念があります。雌雄で体格や形態に大きな差があることを意味します。哺乳類ではシカ(体格・角)やライオン(体格・たてがみ)、鳥類ではクジャク(羽)を想像するとわかりやすいと思います。性的二型が見られることは、雄の間で雌をめぐって競争が起こることを示唆します。類人猿で大きな性的二型が見られる種はゴリラとオランウータンですが、ここではゴリラに注目しましょう。

ゴリラは雌雄の体格差が大きく、雄では体重200kgを越えることもありますが、雌は最大でも100kg程度です。ゴリラは単独の雄が複数のメスを囲うハーレムを形成します。生まれてくる雌雄の性比はほぼ同じですので、雄がハーレムを獲得するには、雄同士の闘争に勝ち残る必要があります。そのため、雄では体が大きく、身体能力が高い個体が有利となります。筋肉が雌を攻略するフラグになるわけです。

一方のチンパンジーボノボでは、雌雄の体格差があまり見られません。言い換えれば、体が大きくなることが繁殖上、有利ではないわけです。そして複数の雄と雌が共存する乱婚型の群れを形成します。群れの雄の間では序列があり、優位の雄ほど繁殖の機会に恵まれる傾向はあるものの、劣位の雄にも機会はあります。これらの種の雄では交尾の回数を増やした方が有利となります。そのため、睾丸が巨大化します。チンパンジーの雄は人間の雄より体が小さいのに、睾丸は人間より大きくなります。驚いたことに、霊長類で最大の睾丸を持っているようです。*3睾丸が雌を攻略するフラグになるわけです。

ゴリラではハーレムを確保した雄は交尾の相手が固定されているため、交尾の回数が少なくて済みます。そのため、睾丸が小さくなります。チンパンジーとは逆に、ゴリラの雄は人間の雄より体がはるかに大きいのに、睾丸は人間より小さいという面白いことになっています。ゆえに、ゴリラの子供は雌雄の区別が難しいそうです。

コラム 一夫多妻制

類人猿の繁殖方式は、下の表のようにまとめられます。

繁殖様式 雌雄の体格差 雄の体重に対する精巣の大きさ 種群
一夫多妻(ハーレム型) 大きい 非常に小さい ゴリラ類
多夫多妻(乱婚型) 中程度 大きい チンパンジーボノボ
一夫一妻 小さい 小さい テナガザル類

出典:長谷川寿一長谷川眞理子、進化と人間行動、東京大学出版会、P208の図より作成。
オランウータンは少々特殊な事例です。雌雄の体格差はゴリラより大きいのに、精巣は比較的大きいこと。霊長類では例外的に群れを形成せず、雌雄とも単独で暮らすこと。などの特徴があり、一夫多妻型とも乱婚型とも言えます。

人間は繁殖様式という点では、非常に中途半端です。雌雄の体格差はやや小さく、一夫一妻型に近いと言えます。一方で精巣はやや小さいものの、一夫一妻型や一夫多妻型よりはやや大きくなります。
人類の進化の過程を考えると、精巣は化石として残らないため、分析できません。しかし、雌雄の体格差はわかります。初期の人類であるアウストラロピテクス・アファレンシス種では、雌雄の体格差は非常に大きかったとされています。つまり、最初期の人類は一夫多妻型だったと考えられます。その後の進化の過程で、現代のホモ・サピエンス種では雌雄の体格差がやや小さくなっています。
以上より、人間は生物学的には「基本的に一夫一妻型である」と言えそうです。

なお、文化人類学的には人間の集団の大多数は一夫多妻制を採っていますが、実際には大多数の男は一人の妻しか持ちません。複数の妻を持てるのは強い権力や財力を持つ男だけです。人間は生物学的には一夫多妻型ではないものの、社会的には一夫多妻型の傾向があると言えます。

大威震ハーレム制覇・種持ち喧嘩せず

ニホンジカは、体が大きく強い雄が広大な縄張りを確保し、その範囲内で複数の雌が行動します。つまり、ハーレム型の繁殖を行います。体が小さい雄は、ハーレムの主の雄の目を盗んで雌と交尾する機会を常に狙っているため、ハーレムを持たなくても繁殖できることはありますが、成功率はあまり高くはないようです。

上に述べたようにシカは秋に繁殖期を迎えますが、その間の雄は発情した雌を探し回って交尾したり、雌がハーレムから逃げないように見張ったり、雌の横取りやハーレムの乗っ取りをたくらむ他の雄を追い払ったりと、多忙を極めます。食事の暇すらないほど忙しいため、この時期に雄は急激に体重を減らします。
ここで大きな問題があり、秋に繁殖に励み過ぎると、体力が低下して冬を越せずに死んでしまいます。来年以降を見越して繁殖を控えるか、将来を考えずに繁殖に励むか。悩ましいトレード・オフになります。

これに関して、面白い傾向が確認されています。体が大きく強い雄は、来年以降もハーレムを確保して繁殖できるチャンスがあります。そのため、無理な繁殖を控え、体重の減少、体力の低下を避けて冬に備えます。一方の体が小さく弱い雄は、来年以降に繁殖できるチャンスが保障されていません。ゆえに、直後の冬に死んでしまうリスクを冒してでも、繁殖に励みます。これはこれで弱者の合理的な戦略なのかも知れません。

コラム シカの獣害対策における雌雄の捕獲の問題

シカによる獣害が全国的に深刻化しています。その対策として猟師による捕獲が奨励されていますが、なかなか上手く行きません。その理由の一つが、雌雄の問題です。猟師は体が大きく、立派な角を持つ雄を捕獲したがります。トロフィーのようなものですから。しかし、大半の雄は繁殖に参加できないため、雄を多数捕殺しても翌年生まれる子供の数は減らず、個体数を減らすことはできません。シカの個体数を減らすには、雌を捕殺せねばなりません。

ドッキングパパ

霊長類では、雄による子殺しが多くの種で確認されています。なぜ雄は子供を殺すのでしょうか。その理由はおそらく、「子供の母親である雌に自分の子供を産ませるため」であろうとされています。
育児中の雌は発情しないため、繁殖ができません。例えばチンパンジーでは、雌の授乳期間は4年ほど、出産間隔は6年ほどと非常に長いため、雄が繁殖する上で子供は邪魔になります。そこで雄は子供を殺します。もちろん雌は抵抗しますが、大抵の場合子供は殺されます。そして子供を失った雌はすぐに発情し、子供を殺した雄と交尾します。どうにも人間には理解し難い行為ではありますが、これはこれで繁殖戦略として合理的なのでしょう。

ところで、当然ですが、雄は自分の子供を殺しません。そんな遺伝的要因を持つ系統は子孫を残せないからです。そのため、雌側の対策は、雄に「確かにこの子供は俺の子供だ」あるいは「もしかしたらこの子供は俺の子供かも知れない」と思わせることです。
前者を言い換えると、一夫多妻型、一夫一妻型の繁殖形態をとる(雌が浮気しない)ことで、雄に父性を確信させることです。これにより、雄は「この子供は自分の子供だ」と確信できるので、積極的に子供を守ります。一方の後者では、正反対に複数の雄と交尾することにより、複数の雄に「この子供は自分の子供かも知れない」と思わせられるので、子供が殺されることはなくなります。*4

ゴリラは前者の種であり、雄が育児に参加することが知られています。子供が離乳すると母親は子供を手放して疎遠になり、後は父親が面倒を見るようです。
後者の種であるチンパンジーボノボの雄は育児をしません。「自分の子供かも知れないから殺しはしない。しかし自分の子供ではないかも知れないので育児もしない」という戦略です。人間は一夫一妻型なので、雄による育児が見られます

MAX魔羅

大半の哺乳類の雄は「陰茎骨」という骨を持っています。存在する位置と機能はご想像の通りです。ところが人間にはこの骨がありません。近縁種のゴリラやチンパンジーにはあるのに、です。この骨は小さい上に他の骨とつながっていないため、雄の個体が死んで骨格以外の組織が消失すると、散逸してしまうことがほとんどです。そのため、人間の進化の過程のどの時点でこの骨が失われたのか、研究は進んでいません。なお、かつてのお下品ジャンプ漫画「新ジャングルの王者ターちゃん♡」では、この骨がネタになったことがあります。
交尾回数が多い乱交型の種ほど陰茎骨が発達する傾向があるとされています。何となくわかりますね。さらに、チンパンジーボノボでは、雄の精液が雌の膣内で固まり、他の雄との交尾を妨害するという機能があります。陰茎骨は、この障壁を排除するために陰茎の硬度を増すべく発達したのだろうと考えられています。

ちなみに、人間の陰茎は霊長類で最大の大きさなのに、陰茎骨がありません。ゆえに、エレクチオンを維持するには海綿体に大量の血液を送り込まねばなりません。心臓や血管に不調があるとEDになりやすいのはそのためです。

年増園・閉経にあらずんば人にあらず

チンパンジーニホンザルの雄の間で人気のある雌は、中年の個体です。理由は簡単で、妊娠・出産・育児の経験があるからです。無事に子供を産んで育ててくれる可能性が高いと考えられます。
人間の男が古今東西若い女を好む理由はよくわかりませんが、「若い内から確保しておけば長期に渡って子供を産ませることができる」「若くて未熟なら服従させやすい」くらいでしょうか。

人間の女は40代-50代になると更年期を迎え、月経が止まります。この閉経という現象は人間の大きな特徴です。霊長類の雌は、閉経を迎える前に死ぬか、閉経を迎えたらすぐ死ぬかのどちらかです。つまり、野生条件下ではあまり閉経は起こりません。飼育条件下では、繁殖力を失ってもしばらく生きることはあるようです。自然界は繁殖できない個体に生きることを許すほど優しくはないようです。なぜ人間の雌はなぜ閉経を迎えるのでしょうか。また、なぜ閉経後も生きることができるのでしょうか。この理由は、人間の出産間隔の短さと子供の成長の遅さにあるようです。

チンパンジーの雌の出産間隔は6年前後と長く、子供を産んだ雌が次に出産する時には先に生まれた子供は既に自立しており、育児の必要がありません。つまり、同時に複数の子供を育てる必要がないということです。一方の人間の女では出産間隔は2-3年で、先に生まれた子供はまだ幼児ですので、育児が必要です。そのため、同時に複数の子供を育てる必要が生じます。そこで、育児の経験が豊富な高齢の女による補助が重要となります。
このように、「閉経を迎え繁殖力を失った高齢雌個体でも、長生きして孫世代の育児に参加することで繁殖力を高めることができる」という考えを「おばあさん仮説」と呼びます*5

ボインはお父ちゃんのもんでもあるんやで

乳房が乳児のための泌乳器官であることは言うまでもありません。しかしそれにしても、人間の乳房は大きすぎます。類人猿では乳房は目立ちません。乳首があるだけです。それでも泌乳に不都合はありません。乳房は脂肪組織なので化石として残らず、人間が進化の過程でどのように乳房を巨大化させていったかはわかりませんし、その理由も推測しかできません。
現在考えられている理由は、「繁殖力の象徴」です。上で述べた通り乳房は脂肪組織なので、乳房が大きいということは、体に多量の脂肪を蓄えているということです。妊娠・育児には多量の脂肪が必要ですので、乳房の大きい女は育児能力が高いと考えられます。乳房の大きさは育児能力の指標と見なされるようになったと言えます

コラム 難産は人間の宿命

人間は色々と変てこな進化を遂げた動物ですので、出産を苦手としています。詳しくは拙ブログの別記事をご覧あれ。

自慰のレコンギスタ

中学生の頃に、猿に自慰を教えると理性がないため死ぬまで続けてしまう、という笑い話を複数の旧友から聞きました。実際にはこれは大嘘で、複数の種の霊長類で自慰が確認されています。その理由はもちろん性的興奮が高まった時に快楽を求める、という点にあると思われますが、他にも理由はあるようです。
雄の精巣で生産された精子は数日間保存されますが、時間が経つと運動能力が下がり、受精能力も下がります。自慰は古い精子を捨てて精子の鮮度を保つための行為だと考えられています。つまり、自慰は精子と体力を無駄にする不毛な行為ではないと言うことです。自慰の失地回復

かぼちゃ和淫

哺乳類では雌が同意しない限り、交尾は成立しません。雄が暴力をもって無理に交尾するレイプは成立しません。その例外が、オランウータンです。
オランウータンは性的二型が強く、雄の体重は雌の2倍にもなります。それに加えて、成熟したオスは顔にフランジと呼ばれる独特のひだができます(参考:Google画像検索「orangoutang flange」)。さらに、喉に袋状の組織が発達し、独特の大きな声で吠えることができます。この吠え声により雌を呼び、他の雄を追い払います。一方で、体が小さく、フランジや喉袋が発達しない雄もいます。そのような貧弱な雄は雌に相手にされないので、レイプという形で繁殖を行うことがあります。ただし、これをレイプと呼ぶべきかどうかは専門家でも意見が割れるようです。

ライダー 陰唇 とうっ!

人間の唇の厚さは肌の色と関係があるとされています。肌の色が濃い集団ほど唇が厚く、逆に肌の色が薄い集団ほど唇が薄くなる傾向が確認されています。その理由は、もともと唇は粘膜のため血液の色が透けており、赤くなります。肌の色が濃くなると唇の色が目立たなくなるため、人間は唇を厚くすることで目立たせようとする方向に進化しました。ではなぜ唇を目立たせる必要があるのでしょうか。唇は化石で残らないので研究が難しいのですが、以下のような説があります。

唇は実は女性器の模倣だというのです。霊長類は原則として四つんばいで歩くため、雌の後ろにいると生殖器がよく見えます。一方の人間は直立二足歩行のため、立ったままでは生殖器が見えません。そのため、体で最も目立つ場所である顔に生殖器の代わりとなる器官を発達させた、という考えです。この説の大きな弱点は、男女で唇の厚さに差が見られない、という点です。

最も妥当な説は「顔の表情のバリエーションを増やすため」くらいでしょうか。霊長類では口の形で感情を伝える種が多いので、唇が目立てば感情表情が豊かになります。
余談ですが、霊長類では雄の犬歯が発達します。威嚇の道具ですね。これも上で述べた性的二型の一種です。人間では男女で犬歯の大きさの差がほとんど見られないため、性的二型はここでも小さいと言えます。こういう点でも、人間は原則として一夫一妻型だと言えます。

これからの性技の話をしよう

霊長類は口、手、肛門などを使い、多種多様な性行為を行います。しかし、不惑も近い歳になってもそれを解説することは恥ずかしいので、以下の文献を参照して下さい。
シリーズ21世紀の動物科学 性と生殖 培風館
心と行動の進化を探る 人間行動進化学入門 朝倉書店
人類進化論 霊長類学からの展開 裳華房

雄プレイ・百合!!! on ICE

日本でもアメリカでも保守派の連中にとって、同性愛は堕落した異常な性的志向の象徴のようです。実際はただの好き嫌いに過ぎないのに、「子孫を残せない性的志向は自然の摂理に反する」とか何とか。海外の事情は知りませんが、日本の保守派は歴史を都合よく利用する割には無知なので、男同士の愛が麗しき日本の伝統であることを知りません。お稚児とか陰間茶屋とか若衆歌舞伎とか衆道とか。
同様に、同性愛は人間にのみ見られる特殊な性行動というわけでは決してありません。多くの霊長類の種で同性の個体間での性行為が確認されています

ニホンザル

ニホンザルでは雄同士、雌同士の両方で同性愛行動が確認されています。雌は発情すると独特の鳴き声を発します。「うっふ〜ん♡」「あっは〜ん♡」「いや〜ん♡」あたりでしょうか*6。何と雄がその鳴き声を発し、雄同士の行為において受け役を演じた例が報告されています。
逆に、雌同士でマウンティングし合う事例も報告されています。(参考:Google画像検索「ニホンザル マウンティング」

ボノボ

ボノボは非常に性行動が盛んな種で、雌雄の間だけでなく、雄同士、雌同士でも多種多様な性行動が見られます。最も有名なものは雌同士の「ホカホカ」でしょうか(参考:京都大学霊長類研究所)。
雄同士でも様々な行動が見られます。雄同士が四つんばいになって尻をくっつけたまま体を前後に揺する行動が確認されています。睾丸をぶつけ合っているのではないかと推測されています。他にも、研究者が「チャンバラ」と呼ぶ行為があるようです。全くもって嫌です。

ゴリラ

ゴリラでは雄同士の同性愛行為が報告されています。報告したのは京都大学総長の山極寿一氏です。
同性愛行為は極めて珍しい雄のみの群れで確認されました。成熟したオス(いわゆるシルバーバック)は攻め役のみで、若い雄と幼い雄は攻めと受けの両方の役をこなしたそうです。

いずれの種でも、同性愛行為は同性の個体間の緊張を緩和したり、逆に適当な緊張感を維持するための行為であろうと推測されています。言わば社会を維持するための共同作業ですね。人間でも同様と考えられています。ただし、当然ながら人間の同性愛行為は文化的な側面も強く、本記事の趣旨に外れるのでこれ以上の考察は行いません。
なお、子孫を残す上で障害にしかならない同性愛がなぜ淘汰されないのかという大きな問題は、個体群を「異性のみを愛する者」「両性を愛する者」「同性のみを愛する者」と大別すればわかりやすいかと思います。両性愛者同士で子孫を残せば同性愛の遺伝的要因は淘汰されずに残ります。

おわりに

人間は少々特殊な動物であり、他の動物との単純な比較は厳禁です。さりとて、人間が生物学的存在であるという事実は未来永劫変わりません。我流の変てこな生物学を持ち出して他人の性に関する行動を批判する輩を見付けたら用心しましょう

私の学生時代の専門は牛のうんこでしたので、この記事の内容は全て付け焼刃に過ぎません。専門家による知見をつまみ食いしているだけです。お詳しい方による批判・誤りの指摘などを頂ければ幸いです。この記事が人類学・霊長類学・動物行動学に関心を抱く契機となることを願っております。さらに詳しく学びたい方は下記の文献をご参照あれ。

なお、私は人生で最初に駄洒落と下ネタの融合に出会った時をよく覚えております。高校時代に読んだ筒井康隆氏の短編集、「日本列島七曲り(角川文庫)」に収録された「郵性省」における「御手淫船」ですね。

参考文献

Amazonで「動物行動学」で検索すると、竹内久美子の書籍が多数ヒットして焚書したくなったのは秘密です。ちなみに、私が今でも尊敬する高校時代の生物の師匠は、竹内久美子について「非常に低俗で週刊誌的。学問を捻じ曲げている」と、これ以上ないほど明瞭簡潔に評していました。さらに、資料購入のために東京の某大手書店の本店に行ったら、竹内久美子のコーナーの隣が池田清彦のコーナーで、悪夢のような光景でした。書店に罪はありませんが。医師の方々は書店で内海聡や近藤誠のインチキ本が並んでいるのを見ると同じ気持ちになるのでしょうね。

脳とホルモンの行動学 行動神経内分泌学への招待 西村書店
動物の多様な生き方1 見える光、見えない光 動物と光のかかわり 共立出版
動物行動図説 家畜・伴侶動物・展示動物 朝倉書店
性器の進化論 生殖器が語る愛のかたち 化学同人
シリーズ21世紀の動物科学 性と生殖 培風館
性をめぐる生物学 ネズミから学ぶ アドスリー
野生馬を追う ウマのフィールド・サイエンス 東京大学出版会
シカ問題を考える バランスを崩した自然の行方 山と溪谷社
野生動物への2つの視点 “虫の目”と“鳥の目” 筑摩書房
野生動物の生態と農林業被害 共存の論理を求めて 全国林業改良普及協会
行動生態学 共立出版
哺乳類の生物学4 社会 東京大学出版会
新版 動物の社会 社会生物学・行動生態学入門 東海大学出版部
アフリカで誕生した人類が日本人になるまで ソフトバンク新書
進化と人間行動 東京大学出版会
動物の生存戦略 行動から探る生き物の不思議 左右社
心と行動の進化を探る 人間行動進化学入門 朝倉書店
人とサルの違いがわかる本 知力から体力、感情力、社会力まで全部比較しました オーム社
チンパンジー ことばのない彼らが語ること 中公新書
あなたはボノボ、それともチンパンジー? 類人猿に学ぶ融和の処方箋
人類進化論 霊長類学からの展開 裳華房
学んでみると自然人類学はおもしろい ベレ出版
ホミニゼーション 京都大学学術出版会
ヒト 異端のサルの1億年 中公新書
人間史をたどる 自然人類学入門
新しい霊長類学 人を深く知るための100問100答 講談社ブルーバックス
世界で一番美しいサルの図鑑 X-KNOWLEDGE

*1:「社会的な要因」を「非生物学的な要因」と表現することには違和感を覚えますが、他に適切な表現を思い付きません。

*2:この理論を提唱したのは遺伝学、育種学、統計学の大家にして優生学者でもあったロナルド・フィッシャーです。

*3:少々ややこしいのですが、霊長類で最大の「玉」を持つ種はチンパンジーですが、最大の「竿」を持つ種は我々人間です。

*4:チンパンジーでは雌による子殺しも確認されているため、子殺しの原因は研究者でも意見が割れているようです。

*5:差別主義の権化、石原慎太郎のクソジジイが誤解した説です

*6:こういう表現をしてしまうのはかつてのジャンプ漫画「CITY HUNTER」の影響です。