バッタもん日記

人生は短い。働いている暇はない。知識と駄洒落と下ネタこそ我が人生。

実は環境にも人間にも優しかった現代文明 −物は言いよう−

現代文明は人間にも環境にも優しくないと信じる人は多いようです。一昨年の原発事故を「人間にも環境にも優しくない現代文明の象徴」として捉え、現代文明を嫌う方がさらに増えたように感じます。今回は、現代文明は本当に環境及び人間に優しくないのかを考えてみたいと思います。

現代農業は環境に優しい

現代農業はとにかく批判されます。生産量増加・経済効率の追求のために農薬や肥料を大量に投入し、環境を汚染していると。これは間違っていません。しかし、完全に正しいかと言うと、決してそんなことはありません。

時代や地域により大きな変動はありますが、江戸時代の米の反収(1反=約10アール当たりの収穫量)は現在の3分の1程度だったようです。言い換えれば、現在と同じ量の米を江戸時代の技術を以って生産しようとすれば、現在の3倍の水田が必要となると言えます。
つまり、現代農業は面積当たりの収穫量が非常に多いため、必要な農地の面積が大幅に減ったということです。もっとも、現代と江戸時代では人口や食生活、食料自給率が全く異なるので単純な比較は禁物ですが。日本の環境では余った農地は多少管理すれば森林や湿地になり、自然環境が回復されます

少々話がそれますが、EU諸国では栽培技術があまりに進歩したため、数十年に渡って農産物の過剰生産が問題となっています。そこで、農業振興と過剰生産の抑制を兼ねて、農業生産を行わなくても生物多様性や景観などの点で農地を適切に管理すれば補助金をもらえる法システムが整備されています。つまり、現代農業のおかげで農地が不要になったので、余った農地を自然に返そうとしているわけです。
参考:EUの農業政策(農水省)
現代農業はある意味で実に環境に優しいと断言できます。

農薬は農家に優しい

農薬が直接的には農家の健康によろしくないのは間違いのない事実です。農薬の取り扱いの不備による事故も少なからず起こっています。
参考:農薬の使用に伴う事故及び被害の発生状況について(農水省)
それでも私は強い根拠を以って断言します。「農薬は農家に優しい」と。

今も昔も日本の農業は水田稲作が中心です。水田稲作は大変な重労働です。特に大変な作業が、除草です。以下の参考資料をご覧下さい。
農薬は本当に必要?(農薬工業会)
水田除草剤の役割(農業環境技術研究所)
農業労働力に関する統計(農水省)
雑草よもやま話(2)(住友化学)
有機栽培水田で利用する簡易なチェーン除草機の作製方法とその雑草低減効果(新潟県農業総合研究所)

まとめると、

  • 日本の農家の平均年齢は65歳を超えており、高齢化が深刻である。
  • 除草剤のおかげで除草作業に要する時間が大幅に減少した。
  • 様々な雑草防除技術が考案されているが、効果・労力・価格の点で除草剤に及ばない。

ということです。

除草作業が最も必要になるのは真夏です。さらに、水を張った水田は非常に足場が悪く、歩くだけで疲れます。現代の日本の水田農家の平均経営面積はおおよそ1ヘクタールです。わかりやすく言うと、3000坪です。これだけの面積を高齢者が炎天下、手作業で除草できると思いますか?
データを示すことは不可能ですが、昔の農村には腰の曲がった高齢者が多かったようです。水田の過酷な除草作業で腰を痛めたからです。

農薬が使われる理由としてまず考えられるのは、生産量の増加です。これはわかりやすいメリットです。病気・害虫・雑草を防ぐことで収穫量が増えます。しかし、労力の低減という効果も大きいことを覚えておいて下さい。これを農家の手抜き、怠慢、エゴ、甘えなどと言う人を、私は軽蔑します。
農薬は農家の負担を減らし、農家の健康増進に貢献しているとも言えるのです。農薬の使い過ぎがダメなのは言うまでもありませんが。

石油は環境に優しい

石油はある意味現代文明の象徴であり、諸悪の根源のような扱いを受けます。しかし、考えようによっては、現代の日本の環境が守られているのは石油のおかげだとも言えます。

石油に代表される化石燃料が普及するまでは、人類が利用できる燃料はほぼ木材(薪)だけでした。そのため、古代の文明が栄えた地域は、ほぼ例外なく森林が消滅しています。日本は気温や降水量に恵まれているので森林はなかなか枯渇しませんが、かつて遷都が繰り返された背景には、森林の荒廃があるとされています。
かつて中国地方では製鉄が盛んでしたが、燃料として木材が利用されました。そのために古来より中国地方は植生が破壊され、現在でも完全には回復していません。
参考:岡山県における生物多様性(岡山県)

本の森林資源が増加し始めたのは、戦後のことです。その最大の理由は、石油などの化石燃料が燃料として普及したことで、木材の燃料としての需要がなくなったことです。つまり、現在の日本の森林は石油に守られているのです。石油への依存をやめればあっと言う間に森林が消滅し、日本は不毛の地になるでしょうね。日本の環境が守られているのは石油のおかげです。

化学肥料は環境に優しい

化学肥料の農地への過剰な投入が水質汚染の原因となり、環境を破壊しているのは事実です。しかし、化学肥料が環境を守っている面もあります。

化学肥料が普及する以前は、様々な物が肥料として利用されていました。その中で人糞や小魚と並んで大きかったのが、森林から収集した落葉と、森林を伐採したことで成立した草原から集めた草です。これらは天然有機肥料といえば聞こえは良くなりますが、言い換えれば森林破壊の産物です。落葉は本来森林の土壌に吸収されるべき物ですから、落葉の収集は森林破壊に他なりません。もちろん、程度の問題ではありますが。また、森林伐採による草原の成立は、草原独自の生態系を生み出すことにもつながるので、やはり程度の問題ではあります。
参考:「静岡の茶草場農法」が世界農業遺産に認定されました(静岡県掛川市)

化学肥料が普及したおかげで森林を破壊する必要がなくなったわけですから、化学肥料は環境に優しいと言えます。また、化学肥料は上に挙げた面積当たりの収穫量の増加に大きく貢献しているので、この点でも環境に優しいと言えます。戦後、日本の森林資源が急激に増加した理由は石油と化学肥料の普及にあることは間違いありません。

化学肥料は人間に優しい

何度かこのブログでお伝えしているように、日本では伝統的に人糞を肥料として用いています。これは物質循環や環境保全、農業の持続性という点では非常に優れていますが、衛生面では大いに問題があります。典型的なのが寄生虫です。人糞をよくかき混ぜてじっくり時間をかけて発酵させれば、寄生虫やその卵は死滅します。しかし実際には、発酵が不十分な人糞が用いられていました。
敗戦とともに米軍が日本に進駐して来ましたが、日本人の寄生虫保有率に驚き、化学肥料のみを用いて栽培された野菜しか兵士に食べさせなかったそうです。

日本人が寄生虫から解放された大きな理由が、化学肥料の普及です。化学肥料は人間に優しいと言えます。


何事にもメリットとデメリットがあります。現代文明のデメリットのみに目を向けて、現代文明は環境及び人間に優しくないと言い立てるのは早計です。もちろん、私が今回述べたようなメリットのみに目を向けるのも同様に避けるべきです。何事も損得勘定が大事だと言えましょう。


参考文献
松永和紀 食の安全と環境 「気分のエコ」にはだまされない 日本評論社
太田猛彦 森林飽和 国土の変貌を考える NHKブックス
原田洋・磯谷達宏 現代日本生物誌6 マツとシイ 森の栄枯盛衰 岩波書店(残念ながら絶版)
原田洋・井上智 植生景観史入門 百五十年前の植生景観の再現とその後の移り変わり 東海大学出版会
最後の2冊は写真が多いので、日本かつての森林がいかに貧しく、現代の森林がいかに豊かであるかが視覚的に理解できます。常識(思い込み)が覆されるのでお勧めです。現在の鎌倉大仏の周囲はうっそうとした照葉樹林(常緑広葉樹林)となっているのに対し、明治維新の頃は隙間の多い松林だったというのはなかなか驚きです。

「サイエンスバスツアーin福島」参加レポート

昨日(11月2日)、東京大学大学院農学生命科学研究科 食の安全研究センター主催の、「サイエンスバスツアーin福島」に参加しました。その様子を報告します。


1.写真

集合場所の、御用学者と東大話法の総本山、東京大学です。集合時間が朝6時50分というのがなかなかつらいところでした。

学会やらシンポジウムがよく開催される弥生講堂です。私は毎月1回ぐらい訪れています。

最高学府はギンナンの悪臭が漂います。

バス

最初の目的地、福島県農業総合センターです。

原発事故からの復旧技術に関する展示が行われています。

食品の放射性物質測定に関して、同センター安全農業推進部部長より説明を受けます。測定室は部外者の立ち入りが厳禁なので、説明は廊下で行われました。

分析前の試料調整です。「マリネリ容器」でどこかの常春の国を想像してしまいました。この部分はあとで詳しく説明します。

測定です。計10台あるこの測定器は外部からの放射線を遮断するために鉛を大量に用いており、重量が1.5トンもあるそうです。そのためにこの部屋は床を補強しているとのことです。部屋の中には入れないので廊下から撮影しています。

昼食です。JA直営の焼き肉レストランです。なかなかに米も肉も美味でした。

地元テレビ局の取材を受けました。私は撮影されていませんが。

レストランに隣接する売店です。地元の農産物を売っていました。私もささやかながら購入しました。独身独居ですので量を買えないのが残念です。

一番楽しみにしていた牛農家の見学です。農学部で畜産を専攻していた私は、牛舎の臭いを嗅ぐと異常にテンションが上がります。
牛を間近で見たことがない方は想像が難しいと思いますが、牛は本当に大きな動物です。こちらの農家では出荷時の体重は800㎏ほどだそうです。


2.説明

(1)放射性物質の測定
前述の福島県農業総合センターの担当者の説明は非常に謙虚かつ誠実でした。要約すると以下の通りです

全体について

  • 測定結果には農家の生活がかかっている。そのため、測定ミスが起こらないよう用心している。
  • 正確に測定するため、測定室は高度な空調設備が整備されている。そのための初期費用と光熱費が大きな負担となっている。
  • 特に気を付けているのが、器具の使い回し、洗浄の不備による汚染(混入)である。
  • 器具は極力使い捨てにしている。そのために資材購入費が増大している。
  • 器具は専用の特殊なものが多いので、高価である。参考:株式会社スギヤマゲン関谷理化株式会社
  • 分析点数を増やすため、月曜日から土曜日の朝8時から夜9時まで分析を行っている。そのために人件費が増大している。
  • 汚染を防ぐために、前処理担当と分析担当の職員を分けている。

測定の前処理について

  • 市販のカッターの刃で細かく刻み、専用の容器に詰める。
  • 手作業で行っている。そのため非常に時間が掛かる。
  • フードプロセッサーですり潰せば時間を短縮できるが、作業の度に機械を洗浄して汚染がないか確認すると逆に時間が掛かる。

測定について

  • 1回の測定の時間を長くし、さらに1回測定量を増やせば(大きな容器を使い、多くの試料を測定する)、測定の精度は上がる(検出限界値が下がる)。しかし、そうすると分析できる点数が減るので、非効率である。
  • 基準値を超える農産物は確実に減少している。

方針について

  • 現在の基準値が本当に安全かどうかは誰にもわからない。我々にできることは、できるだけ正確な数値を提示し、判断材料を提供することである。基準値以下の農産物を食べるかどうかは各自が決めるべきことだ。食べない自由もある。

(2)総括
食の安全研究センター長の関崎勉教授のお話が最後にありました。勝手にまとめると次のような内容です。

関係者の努力により、福島県の農産物の放射能汚染は確実に減少している。現在の基準値は国際的に見て十分に厳しい。「食べて応援」は重要だが、そろそろ終わらせるべきだ。福島県の農産物を特別扱いするのを止め、原発事故前と同様に他県の農産物と競争させるべきだ。そのために我々はこれからも積極的に情報発信を行う。

私も同意します。


3.ネガティブなおわりに

このバスツアーは非常に快適でした。極端な「脱被曝」の参加者が一人もいなかったからです。「脱被曝」の方々が福島を訪れるはずがありませんから当然と言えます。
私にとってこのツアーは非常に有意義であり、またこのような機会があればぜひ参加したいと思っています。しかし、『「放射脳」の方々には「御用学者による洗脳バスツアー」に見えるのだろうな』と考えて、一人で勝手に苦い顔をしております。聞く耳を持たない人々に話を聞かせるにはどうすればいいのでしょうか。私にはわかりません。


4.おまけ

真面目な話ばかりするのは性に合わないので、ネタを少々。

牛のうんこ(これを見るために参加したようなものです)。直前に牛舎の掃除をしたようで、うんこがほとんど落ちていなかったのが残念でした。一応は配慮して小さい写真で。物好きな方はクリックして下さい。気分を害しても私は責任を負えません。

東大のシンボル、安田講堂と赤門。暗いことと小雨が降っていたことと腕が悪いこととデジカメが安物であることが相まってわかりにくくなっておりますが。

あの安田講堂は東大のシムボルだ! 明治以来百年も続く立身出世主義のシムボルだ!
正に日本という国の愚劣さを象徴するものだ!(from 野望の王国

このネタのためだけに安田講堂を撮影しました。本当は朝の集合前に撮影したかったのですが、安田講堂農学部は離れているので時間がなく、解散後の夜にしか撮影できなかったのです。しかも改修中だったのか、あまり近寄れませんでした。
野望の王国」の原作者である雁屋哲氏「美味しんぼ」で下らないヨタ話を描く暇があるならばこのツアーに参加すればよかったのに、と思います。

「サイエンスバスツアーin福島」に参加します

11月2日に、東京大学大学院農学生命科学研究科 食の安全研究センターの主催で、『サイエンスバスツアーin福島「行って、見て、聞いて、食べてみよう!〜お肉について丸ごと知る一日〜」』が開催されます。
参加するかどうか迷っていたのですが、先日サイトを見ると既に定員が埋まっており、キャンセル待ちの状態でした。ダメ元で参加申請をしたところ、キャンセルが出たので参加できることになりました。

肉牛農家の見学が予定に入っています。牛を間近で見られるのは大学を出て以来ですので、実に楽しみです。参加者におかれましては、牛のうんこにかじりついている男を見掛けたら石でもぶつけて下さい。
余裕があれば参加レポートを記事にしたいと思います。

農家は自家用の農産物には農薬を使わないというのはどこまで本当か

「農家は出荷用の農産物には農薬を使うが、自家用の農産物には農薬を使わない。農薬の危険性を知っているからだ」という主張をよく見掛けます。誰が言い始めたことなのかはわかりません。しかし、現代の日本で根強く定着してしまっている言説です。twitter上でも時々見掛けます。この件について、私個人が農家や農業技術者、研究者から聞いた話を元に、私見を簡単に述べます。

農家が自家消費する農産物は、以下の2種類が考えられます。

(1)出荷用に栽培していたが、出荷できなかった農産物
(2)最初から自家用に少量栽培している農産物

地域や品目や栽培方式により割合は変動しますが、売り物にならない農産物は大量に出ますので、自家消費は(1)が多いようです。労力やコストを考えると、わざわざ売り物にならない農産物を栽培することはなかなか難しいようです。
(1)であれば、当然ながら農薬が使用されています。問題になるのは(2)の場合でしょう。この場合を考えると、農家が農薬を使わないことがないわけではありません。

栽培方法や品目にもよりますが、農薬を使わなければ、病気や害虫の影響により色や形が悪くなって売り物にならない農産物が増えます。自家用に栽培している農産物は最初から売るつもりがないので、農薬を使う理由がありません。農薬はタダではありませんし、散布する労力も無駄になります。自分と家族が食べるのであれば、見てくれが悪くても気になりません。農薬を使わなかったとしても何もおかしくはありません。
また、作物の種類が変わると病気や害虫の種類が変わりますので、有効な農薬の種類も変わります。ごく少量の自家用の作物のために、わざわざ金を払って専用の農薬を買ったりはしません。

そもそも、農家にとって農薬の暴露量は、農産物経由で摂取する量よりも、撒布時に直接吸入する量の方がはるかに多くなります。もし農家が「農薬の危険性を知っているから自家用の農産物には農薬を使わない」のであれば、最初から自家用に限らず全ての農産物に対して農薬を使用しないはずです。

以上をまとめると、「農家が自家用の農産物に農薬を使わないことがないわけではない。しかしそれは、農薬を使うメリットがないからである。農薬の危険性を知っているからではない。ごく普通に農薬を使って育てた農産物を食べている」という辺りになりましょうか。

毎日新聞「サイエンスカフェ」記事に対する私見

1.はじめに

毎日新聞の9月12日の科学報道に関する記事が議論を呼んでいます。
参考:
はてなブックマーク サイエンスカフェ:「科学者ではない」− 毎日jp(毎日新聞)
非難殺到『あなたの言っていることは、あなた以外の世界では通用しませんよ』はどう解釈するべきなのか?(togetterまとめ)
サイエンスカフェ:「科学者ではない」の感想ツイート
この記事に関して、思うところを述べます。


2.何が問題か

この記事はあまりに問題が多く、この記事を執筆した記者本人もこの記事の公表を許可した毎日新聞も全くダメダメだと思います。およそプロの文章ではありません
そもそも、毎日新聞は科学報道に関して大いに恥をさらしていることが既に明らかになっています。「科学記事のあり方」「科学報道のあり方」などを世に問う資格はないのです。大きな口を叩く前に社内に中学・高校レベルの科学知識を徹底すべきです。疑似科学を宣伝して片棒を担いでいるダメ新聞が何を偉そうに。
参考:EM菌に狙われる毎日新聞社(togetterまとめ)
毎日新聞記者 斗ヶ沢秀俊氏(twitter) 何と、内部から苦言を受けています。

(1)意味がわからない
紙幅、文字数の都合なのかも知れませんが、とにかく言葉足らずです。断片的にしか書かれていないので、文意が読み取れません。新聞記者というプロの書くべき文章ではありません。上に挙げたtogetterまとめでは、「記者の自戒だ」という意見があり、それは納得できる解釈ではあります。しかし、それならば批判は自分自身に対してのみ向けるべきで、科学者に対して「あなたの言っていることは〜」などと指摘をすることは筋違いです。したがい、「記者の自戒」という解釈は好意的に過ぎる過大評価だと思います。

(2)自分の職分を否定している
科学者は専門家です。深い知識と見識を有する特殊な集団です(例外は掃いて捨てたいほど多々あり)。程度の問題ではありますが、専門家が素人に理解できないことを言うのは当然のことです。だからこそ専門家と言えるのです。もちろん、科学者も素人に伝わる表現を心掛けねばなりません。「俺は科学者様だから素人共は黙って俺の言うことを聞いていろ」などという立場は許されません。
ところで、もし科学者が素人にも理解できる説明を行い始めたら、具体的には、プレスリリースやネット上、講演会などで積極的に広報活動を行えばどうなるか。「科学記者」はたちまち飯の食い上げです。科学者の説明がなかなか素人には届かないからこそ「仲介者」としての「科学記者」の存在意義があると言えます。自分の仕事を否定しているのではないでしょうか。自分の果たすべき役割を科学者に押し付けているような印象も受けます。「わかりやすく説明しろ。そのまま記事にするから」と。
蛇足ながら述べておくと、科学記者が「科学者の通訳」の役割を果たすべきかという点は意見が分かれると思いますので、深くは触れないことにします。科学者と言えども専門外の分野に関しては素人同然です。新聞記者に対してあまりに広大かつ深遠な科学の世界を全て網羅して平易に解説せよ、というのは無体な要求なので。

(3)失礼な言い草
好意的に解釈すると、上で述べたように「あなたの言っていることは〜」という表現は自分自身に向けているつもりなのでしょう。「科学者の言葉は難しいから記事を書くときには素人の読者でも理解できるように心がけよう」というぐらいの意味で。文章からは読み取れませんが。勝手に忖度すると、以下のようになるのではないでしょうか。

科学者の言葉は同業者である科学者にしか通じない。読者には通じない。自分は科学者と付き合って科学者の考えをある程度理解しているつもりになっていたが、このような立場で記事を書いては読者には伝わらない。常に科学者と距離を取り、読者の立場に立たねばならない。科学者の言葉をそのまま記事にするのではなく、読者にわかりやすい記事を書かねばならない。

こういう意図があるのならば、この表現に大きな問題はないと思います。ところが、文中の他の箇所には、科学者を蔑視しているような表現があります。

取材対象者の言葉が「宇宙語」にしか聞こえなかった
「理系の研究者とはなぜ、こんな考え方、表現をするのか」

これら物言いのせいで、「あなたの言っていることは〜」という表現が自分自身ではなく、科学者に向けられているとしか読み取れません。これは専門家に対してあまりに失礼な言い草です。「科学者は変人で独善で排他的でわけのわからないことばかり言う」と読めてしまいます。科学に限らず、どんな分野であれ、また程度の差はあれ、専門家の言葉が同業者の間でしか通用しないのは当然のことです。
自分がどれだけ失礼なことを述べているか自覚はないのでしょうか。取材対象者を批判しても何もいいことはないと思います。相手の言うことが気に入らないのならば最初から取材などしなければいいわけで。

(4)結局何が言いたいのか
要するに、くどいようですが「科学者は特殊な専門家集団であり、科学者の言葉は高度かつ専門的で素人の理解を超える」と言いたいのですから、もう少し言葉を選べないものでしょうか。他にいくらでも表現はあるはずです。プロですから語彙は豊富なはずなのに。
自分でやっておいてこういう言い方をするのは気が引けますが、そもそも文章は文字通りに解釈すべきものであり、「好意的な解釈」や「勝手な忖度」は読者の越権行為です。著者の意図は本人にしかわかりません。しかし、それでも越権行為を選ばざるを得ないほど、意図が見えない文章です。


3.おわりに

この記事は、「誰に対して」「何を」「どのように」伝えるかという観点が完全に欠落しています。記者がこの記事を通じて言いたいことは、「自分は科学記者として、科学者と協同しつつも適度な距離を取り、読者のためにわかりやすい科学記事を書こうと努力している」だと思うので、科学者に難癖を付ける必要はないはずです。科学者がこの記事を読めば間違いなく怒ります。
上にも述べましたが、この文章は結局何が言いたいのかがはっきりしません。仕事上で付き合う相手を怒らせるような文章を書くのは全くの下策です。文章のプロならばもう少し考えて、目的や意図が明確な文章を書くべきでしょう。大口を叩く前にまず文章の研鑽を積むべきだ、というのが私の感想です。科学報道以前の問題ですね。

「奇跡のリンゴ」という幻想 −うわっ…私の収穫、低すぎ…?−

1.はじめに

少々間が空きましたが、「奇跡のリンゴ」に対する批判を再開します。
以前も説明しましたが、木村秋則氏はとにかくリンゴに関する数字を出しません。栽培技術を評価する基準として収穫量は必須なのですが、私が調べた限りでは、「奇跡のリンゴ」の収穫量に関して、本人による具体的な説明はありません。ただし、木村氏の支持者である弘前大学教授の杉山修一博士は収量の低さを認めています。他にも、収量が低いらしいという不確実な情報はありました。
参考:すごい畑のすごい土(幻冬舎新書)
「奇跡のリンゴ」は、なぜ売れたのか〜「木村秋則」現象を追う〜(農業技術通信社)
自然栽培「奇跡のリンゴ」に学んだ畑はどうなった?(現代農業)

奇跡のリンゴ」を収穫量の点から評価した信頼できる資料はないものかとNII論文情報ナビゲータ(CiNii)で論文を検索したところ、それらしい資料が日本土壌肥料学会の講演要旨集に掲載されていることがわかりました。そこで、仕事帰りに「東大話法」、「御用学者」の総本山である東京大学農学部の付属図書館に行ってコピーを入手しました。まさに期待通りの内容でした。


2.資料の概要

この資料は合計で3本あり、その全てが木村氏と共同研究を行っている青森県産業技術センター りんご研究所に所属する同一の研究者によるものです。出典は以下の通りです。

1本目
タイトル:リンゴ無肥料栽培園における土壌特性
巻号:日本土壌肥料学会講演要旨集(56)P125、平成22年
2本目
タイトル:リンゴ無肥料栽培園における年間窒素搬出量
巻号:日本土壌肥料学会講演要旨集(57)P126、平成23年
3本目
タイトル:リンゴ無肥料栽培園における土壌中無機態窒素量の年間推移と樹体生育
巻号:日本土壌肥料学会講演要旨集(58)P121、平成24年

これらの資料では、研究対象となった農家は「青森県弘前市で約30年間無肥料・無農薬(有機栽培)でリンゴ栽培を実施している生産者」としか説明されていません。個人名を出すわけにはいかないので当然です。この農家が木村氏であるという証拠がなかったので、これらの資料を手に入れたのは7月なのになかなか記事が書けませんでした。
ところが資料をよく読むと、『本研究は農林水産委託プロジェクト研究「地域内資源を循環利用する省資源型農業確立のための研究開発」で実施したものである』という説明がありました。このプロジェクトについて調べてみると、木村氏の農園が研究対象となっていることが確認できました。こちらをご覧下さい。
地域内資源を循環利用する省資源型農業確立のための研究開発(平成21年度〜25年度)(農林水産省)
奇跡のリンゴ」「K園」という表現とともに、木村氏の書籍の画像が掲載されています。
また、このプロジェクトに関する別の資料では、青森県産業技術センターが「リンゴの有機栽培実践園に関する研究」を担当していることが明記されています。
平成23年行政事業レビューシート(農林水産省) 地域内資源を循環利用する省資源型農業確立のための研究開発
以上より、この資料中の農園が木村氏の農園だと断定して検証します。


3.引用(抜粋)

これらの研究は、木村氏の農園でのリンゴに関するデータを近隣の農園と比較する形を取っています。要点を掲載順に引用します。なお、木村氏の農園は「有機園」、近隣の農園は「対照園」と表記されています。

1本目
土壌中全窒素量は、第1層と第2層(深さ25〜30cm)において、対照園の60〜80%程度と低い傾向が見られたが、第3層(深さ55〜60cm)に大きな差異は見られなかった。
2本目
有機園の1果重(DW)が慣行園の73%、収穫量(果数)が57%であった(引用者注:リンゴの木1本当たりの数値、DWとはdry weightの略で、乾燥後の重さ)
3本目
(引用者注:土壌中の無機態窒素量は)有機園では(中略)慣行園より低い値で推移した。(中略)有機園では主に病害虫由来と思われる落葉が7月から始まったため、収穫期まで着葉率は慣行園よりも低く推移した。また葉面積も7月から9月まで小さく、葉中窒素濃度は低かった。有機園で葉中窒素濃度が低かったことは葉色値が低かったこととも符合し、落葉率も高いことから、光合成能力が低いことが推察された。(中略)有機園では除草をほとんど行っておらず地表面の雑草の繁茂が著しいため、生成された無機態窒素は速やかにこれら雑草に吸収されているのではないかと考えられた。

何とまぁ、厳しい報告となっていますね。

簡単に補足しておくと、植物は葉で日光を受けて光合成を行い、成長します。その際に働くのが葉緑素という緑色の色素です。窒素肥料が不足すると、葉緑素が不足して葉の色が薄くなります。葉緑素が不足すると光合成能力が落ちて収穫量が減ります。また、当然ながら葉が落ちると光合成能力が落ちますので、収穫量が減ります。
参考:窒素肥料を入れると葉の色が濃くなるのはなぜか?(光合成の森、早稲田大学教授 園池公毅博士)
土壌肥料対策指針(和歌山県 農林水産部 農林水産総務課 研究推進室)

講演要旨の内容をまとめると、

土壌中の窒素が雑草に横取りされて不足している。
リンゴの葉が窒素不足のため光合成能力が低下している。
リンゴの葉が病気や害虫の影響で落ちている。そのためさらに光合成能力が低下している。
以上より、リンゴの果実は小さく数も少ない。

となりましょうか。要約するとさらに酷いことになりますね。実際の発表を見たわけではなく、講演要旨集を読んでいるだけに過ぎないとは言え、苦笑するしかありません。

ここで少し計算してみましょう。
簡単に言うと、リンゴの収穫量は「果実1個当たりの重さ×果実の個数」で表されます。この要旨集で報告されている数値を使って計算すると、木村氏のリンゴ園の木1本当たりの収穫量は慣行農法に対して、0.73×0.57≒42%となります。慣行農法の4割程度しか収穫量がないというのは、非常によろしくないのではないかと思います。木村氏が数字を隠す理由がよくわかります。こんな数字は見っともなくて公表できません。しかし、数字を公表しない限り、批判は続きます。

なお、これはあくまで「木1本当たりの収穫量」であり、「収量(面積当たりの収穫量)」ではありません。木の密度(面積当たりの木の本数)の比較の数値がないと収量の比較はできません。もしかしたら木1本当たりの収穫量の低さを補うために、木を多目に植えている可能性も否定できません。よって、この記事では収量に関する検討は行わないことにしました。余談ですが、作物を多目に植えることを専門用語で「密植」と言います。そのまんまですね。

この記事のサブタイトルは当初「うわっ…私の反収、低すぎ…?」とするつもりでした。元ネタの一文字違いです。ところが、今回の資料では反収の検討ができなかったので、不本意ながらこの案を断念しました。「反収」とは1反(約1000平方m、約10アール)当たりの作物の収穫量を意味します。「収量」と同じ意味だとお考え下さい。


4.おわりに

公表された信頼に値する資料に基づき考察すると、木村氏のリンゴの収穫量は非常に低いのではないかと推測されます。最初に述べたように、作物の収穫量は栽培技術を評価する上で最重要項目です。その意味で、収穫量が非常に低い木村氏の技術の評価は低くなると言わざるを得ません。

ただし、だからと言って私は木村氏の技術は何の価値もないとは考えていません。木村氏の技術は「減農薬」「減肥料」という点において、ある程度の価値を有しているはずです。どこまで本当か怪しいとは言え、曲がりなりにも(本当に曲がりなりにも)「無農薬・無肥料」で一応はリンゴ栽培を継続しているのですから。木村氏と共同研究を行っている研究者、研究組織も、「無農薬・無肥料」ではなく「減農薬・減肥料」を目的としているのではないかと思います。上に挙げた研究プロジェクトの説明でもそれがうかがえます。農学者であれば、「無農薬・無肥料」が現実的でないことはよく理解しているはずですから。


おまけ

土壌は消毒だ〜!!

うんこと食料自給率 −物質循環−

1.はじめに

(1)契機
先日の無肥料農法を批判する記事の反応から、世間に「物質循環」という概念が定着していないことに少々驚きました。まぁ、物質循環ということを考えていないから無肥料農法などというヨタ話が好評を博してしまうわけですが。もっと言うならば、農学に携わる者として多少の危機感を覚えました。「物質循環」という概念は、現代の環境問題を考える上で不可欠です。物質循環に限らず、農業や食料の問題が環境問題と深く関係していることは是非とも理解しておいてほしいと思います。
また、ここ数年日本の食料自給率が話題になりますが、食料自給率が物質循環を通じて環境問題に大きな影響を及ぼすことはあまり理解されていません。食料自給率を専門とする研究者は経済系や政治系が多く、物質循環という概念は理学系や工学系なので、分野の壁を超えることは難しいのでしょう。そのため、食料自給率と環境問題を関連付けて論じた資料はあまり多くありません。
そこで、食料自給率と物質循環を解説する記事を書きたいと考えました。しかし、普通に書いても面白くありません。笑いながら読んでもらえる記事、何より私自身が書いていて面白い記事にするにはどうするかを考えた結果、思い付いたネタがありました。

(2)なぜうんこなのか −うんこと私−
このタイトルはとあるインチキ医療の伝道者の書籍のタイトルのパロディです。
私は幼少の頃は昆虫が大好きで、近所の野原や林で採集したり、図鑑を読み漁ったりする日々を過ごしておりました。その中で、特に気になる昆虫がありました。それは食糞コガネムシ、いわゆる糞虫です。近所にはいなかったので採集はできませんでしたが。ご存知の方も多いと思いますが、センチコガネと呼ばれるグループは、動物のうんこを食べて生きているとは思えないほど光沢の強いきらびやかな体を有しています。Googleの画像検索をご覧下さい。
センチコガネ
ルリセンチコガネ
オオセンチコガネ
いかがでしょうか。私の驚きがよく理解できるのではないでしょうか。
あの汚らしいうんこを食べて生きているのに、これらの昆虫はなぜこれほどまでに美しい体を創り出せるのか。もしかしたらうんことはとんでもない力を有する驚異の物体なのではないか。幼少の私はそのような確信を抱きました。そして気が付いたら大学の農学部で家畜のうんこを研究していました。研究者にはなれませんでしたが。この幼少時の確信こそが、私のうんこへの目覚めでした。うんこに対する知的好奇心は生涯消えることはなさそうです。


2.都市と農村の間のうんこの運行(概略)

(1)近代以前
先日の記事でも少し触れましたが、日本では伝統的に人間のうんこ(下肥)を肥料として利用していました。そのため、農民は都市部に農産物を売りに来ると同時に、うんこを買っていました。言い換えれば、都市と農村はうんこと農産物を交換していたわけです。下の図では左のようになります。うんこと農産物を通じて、都市と農村の間で物質循環が成立していたのです。実際の物質循環はもっと複雑ですが、単純化しています。このうんこを肥料とする方法は衛生的には非常に大きな問題がありますが、物質循環という点では非常に合理的です。
余談ですが、太平洋戦争の敗戦後、米軍が日本に進駐してきた際に、日本の野菜の寄生虫のあまりの多さに驚いた米軍は、うんこを使わず化学肥料のみで栽培した野菜しか食べなかったそうです。現在の無駄に潔癖な日本からは想像もできませんね。

(2)近代以降
一方、現在ではうんこを肥料として利用することはなく、海外から輸入した化学肥料が主体です。肥料の3要素である窒素、リン、カリウムについて述べると、窒素は自給できていますが、リンとカリウム自給率はほぼ0%です。つまり、膨大な量の物質が肥料という形で国内に流入していると言えます。
参考:みずほ情報総研 −枯渇が懸念される肥料原料の資源国の調査− 輸入原料安定確保調査等事業調査報告

また、食糧自給率が低下し、海外からの食料の輸入量が増加しています。ここ数年のエネルギーベースの食料自給率は40%前後です。つまり、60%の食料は海外から輸入されているのです。
言い換えると、肥料と同様に、膨大な量の物質が食料という形で国内に流入していることになります。
平成25年度で特に輸入量の多い品目を例として考えてみます。トウモロコシは約1460万t、小麦は約570万t、大豆は280万tです。これらの数値を日本の人口、約1億3000万人で割ると、1人当たり年間で180㎏ほどになります。1日500g弱です。これがうんこになるところを想像して下さい。もちろん、体に蓄積したり廃棄されたり家畜の飼料になったりする食料も含んでいますので、実際にうんこになる量はこれより少なくなりますが。
参考:平成25年度食料需給表(農水省)


(3)小括
近代以前は食料や肥料の貿易量が非常に少なかったので、海外から食料や肥料の形で国内に流入する物質量は少なく、環境問題の原因とはなりませんでした。国内、地域内で物質循環が成立していました。
一方、近代以降は食料及び肥料の自給率が低下し、海外から食料や肥料の形で国内に物質が大量に流入するようになりました。さらに、うんこの肥料としての利用がなくなり、農地に還元されるべきうんこが環境中に放出され、環境を汚染するようになりました。都市と農村の間の物質循環システムが崩壊し、食料自給率の低さが環境問題の原因となっているわけです。我々のうんこが国土を汚染していることは明白な事実です。
参考:千葉県生活排水対策マニュアル 第2章 生活排水対策の必要性
参考:生活排水を考える 生活排水とは(愛知県の川や海のよごれ)

3.都市と農村の間のうんこの運行(やや詳細)

「2.」と重複する部分がありますが、いきなりこの「3.」を説明するのは無理があるので、前段階として「2.」の項目を設けました。本筋はこの「3.」です。
実は、現在の日本で深刻な環境問題を引き起こしているうんこは、人間のうんこではありません。何と、家畜のうんこだったのです。

(1)家畜のうんこに埋もれる日本
戦後の日本では、畜産物の消費量が急増しました。それに伴って家畜の飼養数が急増し、同時に家畜のうんこの発生量も莫大なものとなっています。恐ろしいことに、少々古いデータですが、農林水産省の統計によると、最近の家畜のうんこの発生量は人間のうんこのなれの果てである下水汚泥発生量より多いそうです。うんこと汚泥では水分量が違いますので単純な比較は禁物ですが。
参考:バイオマス・ニッポン バイオマスの利用状況(農水省)

農林水産省の最新のデータに基づき、資料の家畜のうんこの年間発生量を日本の人口で割ると、日本人は1人当たり年間で650kgほどの家畜のうんこを押し付けられていることになります。1日に換算すると、2kg弱です。とんでもない状況になっていますね。

なぜこれほど恐ろしい事態になっているのでしょうか。理由としては、飼料が畜産物に変換される効率が低いという畜産業の宿命があります。色々と計算の仕方があり、また家畜や畜産物の種類により数字は大きく変動しますが、大体のところでは、この変換効率は10分の1ぐらいだと覚えておいて下さい。残りはうんこになります。つまり、単純化すると、1トンのトウモロコシを海外から輸入して家畜に食べさせた場合、100kgが畜産物になり、900kgがうんこになると言えます。
参考:畜産草地研究所ガイドコミック 第14話 家畜のフンから排出される温室効果ガスをどうする?

また、厄介なことに、現在の飼料自給率は25%前後であるとされています。非常に低いと言えます。
参考:総合食料自給率(カロリー・生産額)、品目別自給率等(農水省)
つまり、飼料という形でも膨大な量の物質が国内に流入しているわけです。

(2)家畜のうんこの利用が進まないわけ
細かい事情については最後に挙げる文献をご参照下さい。簡単に述べると、家畜堆肥が化学肥料に比べて様々な点で肥料として劣っているからです。具体的には、

成分が安定しない(家畜の種類、処理方法などにより成分が大きく変わる)
肥料としての効果が低い(速効性の肥料というよりは、長期的な「土壌改良剤」として位置付けられる)
成分が偏っている(窒素は少ないのにカリウムが多いなど)
臭い(適切に発酵処理を行えば臭いはほぼなくなるが、処理時間や設備の問題で未熟な堆肥も多い)
不潔(寄生虫や病原性大腸菌などによる食中毒の危険がある)
雑草の種子が混ざっている(堆肥を撒いたら雑草が大発生する)
重い(水分が多いので輸送に手間やコストがかかる、つまりうんちの運賃が高く付く)

などが挙げられます。

(3)肥料の使い過ぎ
先日の記事では無肥料農法を批判しましたが、実は無肥料農法の考え自体はある意味非常に正しいのです。と言うのは、現在の日本の農業では肥料の使い過ぎが常態化しているからです。ただでさえ肥料として使える家畜のうんこが国内に山のようにあるのに、現代の下肥ともいえる下水汚泥も膨大にあるというのに、わざわざ海外から化学肥料を輸入しているほどです。農地に過剰に投入された肥料や家畜のうんこは周辺の環境を汚染し続けているのです。

(4)食料廃棄
現在の日本における、「まだ食べられるのに捨てられる食料」の発生量は、何と米の生産量に匹敵するとされています。
参考:政府広報オンライン もったいない!食べられるのに捨てられる「食品ロス」を減らそう
これは廃棄物として環境を直接汚染すると同時に、食料の過剰生産、肥料や飼料の過剰輸入を通じて間接的に環境を汚染しています。

以上のような条件を考慮した上で都市と農村の間のうんこの運行を図示すると、下のようになります。もちろん、これでもまだ簡略化した部分はありますが。

4.対策

この食料の生産と消費に伴う環境問題への対策として、以下のような様々な方法が考えられています。
(1)食料自給率・飼料自給率の向上
(2)肥料自給率の向上(家畜堆肥、下水汚泥、食品廃棄物堆肥の利用促進)
(3)肥料使用量の削減
(4)食品廃棄量の削減
(5)家畜の飼料消化率改善によるうんこ排泄量の削減
国内に流入する物質の量を減らし、さらに環境中に廃棄される物質を減らすことが重要です。
結局、海外からの物質の流入量を減らし、国内での物質循環を促進する以外に解決法はありません。

実は、「飼料自給率を向上できる。家畜堆肥を大量に投入できる。米作り(水田や用水路などのインフラ、稲作技術)を温存できる。減反政策に合致する。食料生産と競合しない」という夢のような技術があります。いわゆる「飼料稲・飼料米」です。一昨年記事にしました。しかし生産コストの高さによる価格の問題がどうにもこうにも。輸入飼料に太刀打ちできません。
どの対策もコストや労力の問題で実現は難しく、前途は多難です。それでも実行するしかありません。何もしなければ国土がうんこに埋もれます。


5.おわりに

上に述べたように、食料自給率は経済や政策、食料の安全保障の点から論じられることが一般的です。しかしながら、物質循環という点から食料自給率を考え、改善しないことには日本の国土の汚染は進む一方です。食料自給率は食料問題であるだけではなく、環境問題でもあるのです。食料自給率の低さはうんこを通じて間接的に国土が汚染される原因となっています。国の環境を守るには、食料自給率を上げる必要があります。この点をご理解頂ければ幸いです。
今後は、日常生活の中でうんこのことを少しは考えるといいと思います。うんこはどこから来るのか。どこに行くのか。何しろ、我々は日々うんこを排泄しているわけですから、うんこから逃れることはできないのです。うんこから目を逸らしてもうんこはなくなりません。
「♪部屋と排泄と私〜」とか「♪あなたに女の子の一番排泄なものをあげるわ 小さな腹の奥にしまった排泄なものをあげるわ〜」とか「♪何より排泄なものを 気付かせてくれたね〜」とか歌ってみるのもいいかも知れません。


6.うんこの他の側面

今回の記事で私は、うんこの農学的な側面を論じてみました。しかし、うんこには他にも様々な側面があるはずです。

例えば、上で昔の日本ではうんこの肥料としての利用が盛んで、都市から農村にうんこが輸送されたと述べました。ならば、昔の日本の都市はうんこが完璧に管理された清潔な場所だったのかというと、当然ながらそんなことはありません。江戸時代には全国各地で、コレラや腸チフス赤痢のようなうんこが原因となる伝染病が大流行しています。
参考:長崎薬学史の研究 第一章 近代薬学の到来期 1 江戸末期の疫病(長崎大学薬学部)
つまり、うんこは伝染病の発生源であり、うんこの管理は公衆衛生の点からも大きなテーマとなります。

植物は自力で移動できません。仲間を増やし生息地を広げるために、動物を利用する植物もいます。具体的には、種子を動物に食べさせ、うんことして排泄させるわけです。この時に、種子が動物にかみ砕かれたり消化されたりしては意味がありません。また、動物の移動距離が短い場合は、繁殖の効率が悪くなります。植物は種子の運び手として、遠くまで移動して種子をそのまま排泄する動物を選ぶ必要があります。うんこには動物と植物の生態や形態、機能が大いに関係すると言えます。つまり、うんこは生態学的なテーマともなり得ます。

公衆衛生学や生態学の専門家がうんこについて解説してくれた文章を読んでみたいと思います。


7.参考文献

食糞コガネムシふんコロ昆虫記(塚本珪一他、トンボ出版)
都市と農村の物質循環:サステイナビリティ学3 資源利用と循環型社会(小宮山宏他、東京大学出版会)
農地の物質循環:農業生態系における炭素と窒素の循環(農業環境技術研究所、養賢堂)
農地の物質循環・農地利用システム:栽培システム学(稲村達也他、朝倉書店)
農業の環境問題全般:シリーズ環境学入門7 食料と環境(大賀圭治、岩波書店)
畜産の環境問題全般:新編 畜産環境保全論(押田敏雄他、養賢堂)
家畜堆肥の問題点:堆肥・有機質肥料の基礎知識(西尾道徳、農文協)
飼料米・飼料稲:飼料用米の栽培・利用(小沢亙他、 創森社)


以上、うんちのうんちくでした。