バッタもん日記

人生は短い。働いている暇はない。知識と駄洒落と下ネタこそ我が人生。

「奇跡のリンゴ」という幻想 −安物の感動はいらない−

1.はじめに

昨日、「奇跡のリンゴ」という映画が公開されました。「無農薬無肥料栽培でのリンゴの栽培に成功した」と自称している、木村秋則という青森県のリンゴ農家の物語です。
その影響か、私のブログ記事にコメントが集まっております。1年以上前の記事だというのに。
この作品に対して言いたいことは山のようにあります。私に限らず、既に様々な方が疑問を呈しています。詳しくは、以下のサイトをご覧下さい。
無農薬・無肥料栽培への私見(木村りんご園)
話題の“無農薬りんご”について(工藤農園)
スチュワーデスが見える席(日経bp Tech-On)
「奇跡のリンゴ」は、なぜ売れたのか〜「木村秋則」現象を追う〜(農業技術通信社)

この「奇跡のリンゴ」に対する農学的な批判は後日行うとして、今回はなぜこの「奇跡のリンゴ」という物語が好評を博しているのかを考えたいと思います。ただし、奇跡のリンゴ」が「無農薬・無肥料栽培」ということは全くの嘘であるということだけはこの場で述べておきます。


2.感動を売り付けるメディアと感動を求める消費者

(1)感動の大安売り
いつ頃から始まった傾向なのかはわかりませんが、最近マスメディアで「感動」という言葉が発せられる頻度が上がったような気がします。オリンピックやサッカーのワールドカップ、野球のWBCなど大きなイベントがある度に「感動した」「感動をありがとう」という表現が盛んに用いられます。また、映画が公開される度に、観賞後の客にインタビューして「感動しました」「泣きました」と言わせるCMもいつの間にやら製作されるようになりました。感動を求める一般市民と、感動を提供するマスメディア。利益が完全に一致します。マスメディアは常に感動の素材になりそうな物語を探しています。今回はそれが「奇跡のリンゴ」だったというわけです。

映画の公式サイトを見ると、「感動の実話」という文字が躍っています。最初から感動を前面に押し出しています。
物語の粗筋は以下の通りです。

木村氏はもともと農薬を使ってリンゴ栽培を行っていたが、妻が農薬が原因で体調を崩したことから、無農薬のリンゴ栽培を始めた。しかし無農薬栽培はうまく行かず、収穫が全くないという状況が長年続いた。失意と極貧の中で自殺まで考えたが、結局無農薬栽培に成功し、一躍有名になった。現在は無農薬・無肥料栽培を普及させるべく、全国を飛び回る日々である。木村氏がこれまで信念を貫き通せたのは妻をはじめとする家族や周囲の人間の支えがあったからこそである。

早い話が、農業の名を借りた「感動の人間ドラマ」です。
また、全ての発端である書籍について、担当編集者は以下のように語っています。

「実は農業本として出しているつもりはないんです。この本のテーマは“困難にぶつかった時、人はどう乗り越えていくか”であり、その普遍性が共感を呼んだのではないでしょうか。またこの本は木村氏に対する賛否両論を取り上げて、業績をジャーナリスティックに検証する本でもありません。あくまでも木村氏という対象に寄り添って、成し遂げた部分にスポットライトを当てたかったんです」
出典:上記の「奇跡のリンゴ」は、なぜ売れたのか〜「木村秋則」現象を追う〜

この説明を邪推に基づき要約すると、以下のようになります。

「事実かどうかなんてどうでもいい。何も考えずに感動しろ」

私はこれこそがこの「奇跡のリンゴ」という物語の本質なのではないかと思います。事実の検証を軽視するのならば、「実話」ではなく「フィクション」と銘打つべきだろうと思います。フィクションならば何をやっても構いません。

映画の公式サイトを見ると関連書籍が紹介されていますが、全て幻冬舎という単独の出版社から刊行されています。つまり、この「奇跡のリンゴ」なる物語は、幻冬舎によるメディアミックス戦略における「商品」です。だからダメだというつもりはありませんが、この映画を見て感動している方々は、マスメディアの掌で踊らされているだけだということを知っておくべきかと思います。

(2)ファンタジー
木村氏はよく常軌を逸した発言を行っています。「宇宙人にさらわれてUFOに乗った」「龍を見た」「幽霊を見た」などです。書籍でもよく述べています。以下のサイトが参考になります。
映画『奇跡のリンゴ』の木村さん「龍や宇宙人を見た」(日刊SPA)
2012年オリオン座の星が爆発? 木村秋則氏が懸念(日刊SPA)
ムーもビックリ! 『奇跡のリンゴ』木村さんは宇宙人に遭ったことがある!?(ダ・ヴィンチ電子ナビ)

普通に考えれば、このような発言を繰り返せば主張全体の信頼性が下がります。「こんなホラ吹きの言うことは信用できない」という具合に。本来ならば周囲が止めるはずです。あろうことか、脳科学者の茂木健一郎氏は、書籍「すべては宇宙の采配(東邦出版)」の帯で、次のように述べ、全面的に肯定しています。

木村さんが出会った信じられない体験。それは、木村さんにとっては幻覚ではなく、紛れもない真実である。自分が出会ったことを真正面から受け入れる真摯さ。だからこそ、木村さんは「奇跡のりんご」を作ることができたのだ。

「無農薬無肥料で農業が可能か」というのは純粋に科学的・経済的な問題です。収穫量や販売額などの数字に基づき、冷徹な考察が必要です。UFOやら宇宙人が出て来た時点で主張全体が学術上の価値を失ってしまいます。「無農薬無肥料でのリンゴ栽培に成功したと言うが、どこまで本当なのか」という疑いが生じるからです。ところが、この物語を「感動のファンタジー」だと考えれば、この怪しさは物語を彩るスパイスとなり得ます。ファンタジーだから何が登場したって構わないのです。

また、この物語の中で、「声を掛けたリンゴの木は育ったのに、声を掛けなかったリンゴの木は枯れた」という話があります。「植物は人間の言葉を理解する」というのは古典的なヨタ話です。この例では、「単なる勘違い」「思い込み」「声を掛けた木だけ無意識の内に丁寧に管理した」などの理由が考えられます。これも冷静に考えれば非常に怪しい話ですが、ファンタジーにおいては魅力的な小道具となります。「水からの伝言」とも関連しますが、「人の言葉、人の思いは植物を、世界を変える」と信じたい人は多数いますからね。

(3)安易な夢
農業に関心がない方々でも、現代の農業が様々な問題を抱えていることは何となく知っています。特に農薬に関しては、漫画「美味しんぼ」などの悪影響もあって、「環境にも消費者の健康にも悪い」という考えが強固に定着しています。そんなところに、「農薬や肥料なしでも農業はできる」と豪語する物語が現れたのですから、歓迎されるのは当然です。「本当に農薬や肥料なしで農業ができるのか」という根本的な疑問は頭に浮かびません。「夢」や「バラ色の未来」とでも言うべき空手形に飛び付いているわけです。「農薬や肥料を使わなくても農業はできる」という非現実的な甘い夢を見させてくれるわけですから、魅力的に思えるのも当然です。


3.おわりに

この物語において、「感動」はただの宣伝用の演出であり、物語が事実であること、木村氏の主張が正しいことを保証しません。感動に目を奪われていると、色々と大事なことを見落とします。「無農薬・無肥料」で農業が本当に可能かということを考える上で、感動は邪魔です。この物語がフィクションならば、農業をテーマとしていないのならば、感動は大いに結構です。しかし、この物語が「実話」と銘打たれ、農業をテーマとしている以上、感動が全てに優先されることはあってはならないことです。
上にも述べましたが、農業問題を考える上での大原則は、科学と経済に基づく合理的な判断です。「感動物語」は農業に関心を持つ切っ掛けとしてはいいと思いますが、農業を考える上での思考の基本となっては困ります。
奇跡のリンゴ」という物語に感動するのは個人の自由であり、何ら批判されるものではありません。個人が「無農薬無肥料でも農業ができる」と信じるのも自由です。しかし、それが実際の農業の現場に影響するのは大問題です。既に全国各地の農家に「なぜお宅は無農薬栽培を行わないのか」というクレームがあるようです。上に挙げた「工藤農園」のサイトで少し触れられています。この映画の影響で、理不尽なクレームがさらに増えることを危惧します。農薬の使用の是非は、感動ではなく科学と経済により判断されてしかるべきです。
安易な感動物語により、農薬を使う農家が悪人扱いを受けるような事態にならないよう願っております。



さっそく追記
『「無農薬・無肥料栽培」ということは全くの嘘である』という点について

農薬の代わりに酢とワサビ製剤を使用していることを明言しています。酢は特定農薬ですし、ワサビ製剤に至っては無登録農薬です。この時点で「無農薬」は大嘘です。
ワサビ製剤の販売サイトでは、「農薬ではない」と明記しています。農薬ではない物を農薬として使用しているのですから、農薬取締法上問題があると思います。
また、「自然栽培ひとすじに(創森社)」という書籍では、以前に天ぷら油と石けんを使用していたと述べています。これも無登録農薬です。

肥料については、農地に大豆を植えて窒素固定を行わせ、土壌に窒素を供給していることを明言しています。これを「緑肥」と言います。そのため「無肥料」ではありません。