バッタもん日記

人生は短い。働いている暇はない。知識と駄洒落と下ネタこそ我が人生。

産経新聞の開き直り記事から邪推するマスメディアの意識の低さ

読売新聞がiPS細胞に付いて大誤報をやらかしたことで、新聞の科学報道に対するスタンスが注目されております。また、科学の世界では世界最高水準の学術誌の一つであるNatureが、日本のマスメディアの科学報道のレベルの低さを酷評しています。
参考:科学報道のあり方(togetter)科学報道を殺さないために−研究機関へお願い(togetter)

そんな中、マスメディアの認識を疑いたくなる、と言うよりも個人的に大変不愉快な記事を産経新聞が掲載してくれましたので、ここで批判したいと思います。

問題の記事はこれです。
【若手記者が行く】科学取材…専門用語飛び交い理解不能の世界、頭が真っ白に
この記事で私が許せない言葉を列挙します。

「記者って凡人のプロ」
入社前、在学していた大学のマスコミに関する講義に招かれた新聞記者が、こう話していた。新聞は子供からお年寄りまで、専門知識を持たないたくさんの“普通”の人が読むものだから、普通の人に伝わるよう、普通の人が感じる疑問を専門家に質問し、普通の言葉で文章にしていくのが記者の仕事だという意味。

事件取材や人物紹介の取材で身につけた要領でやれば大丈夫だろうと思い、特に構えることもなく草津市役所で行われた記者発表に臨んだ。

単語の意味が分からず、言葉というより機関銃の弾のようにも感じた。私大文系卒の私にはほとんど理解不能の世界だった。

先のマスコミに関する講義で、学生が「記者になるにはどんな専門知識が必要か」と、講師の新聞記者に質問していたのを思い出した。「(記者は)凡人のプロだから専門知識はいらない。わかりやすい記事を書くために凡人こそ記者になればいい」。記者のその回答に納得したものだが…。

悪意を持って解釈すると、このスタンスは「読者はバカだから記者もバカでいい」という開き直りです。読者が専門知識を持っていないからと言って、記者も持たなくていい、という話にはなりません。「読者のレベルに合わせる」ことと、「読者と同じレベルでいる」ことは全く違うはずです。ある程度の専門知識がなければ「わかりやすい記事を書く」こともできません。事実、この記者は専門知識がないために記事を書くのに大変な苦労をしたわけですから。素人の読者に専門的な内容を解説するならば、(その記事の分野に関しては)読者より賢くなければならないのは当然の話です。
学校の先生に求められるのは「子供のレベルに合わせること」であり、「子供と同じレベルでいること」ではありません。
「凡人」というのは謙遜、自戒の言葉だろうとは思いますが、仮にも「プロ」として給料をもらっているのですから、こんな表現を用いるべきではありません。なぜただの凡人の書いた文章に金を払わなければならないのか、という話になってしまいます。
この講師の「凡人云々」の言葉を否定していれば話は変わるのですが、記事の中では明確な否定は行っておりません。疑問を呈する程度で終わっています。専門知識の重要性は痛感したはずなのに、です。

科学者という少々特殊な専門家の話を聞くのに、十分な準備をしないのでしょうか。科学知識がまるでないことを自覚していながら、準備もせずに科学者に取材しようとはいい度胸です。取材対象の人物、内容に興味がないことを間接的に表明しています。
その後の努力でいい結果を出せたとは言え、事前に努力していた方が効率はよかったのではないかと思います。現在ではインターネットを使えば研究者の情報は瞬時にわかります。その程度の手間も惜しんでいるのでしょうか。
私は仕事でよく農学研究者に会いますが、経歴、専門分野ぐらいは事前に調べます。場合によっては著書や論文を持参します。そうしなければ相手の話を理解できない恐れ、相手の心証を害する恐れがあるからです。そもそも会話が成立しませんし。
話がそれますが、科学者と付き合うコツは、とにかく喋らせることです。科学者という人種は何より説明が好きですから。事前に専門分野の重要なキーワードをいくつか頭に入れておいて質問すれば、「ほう、こいつは少しは勉強しているようだな」と判断してくれて、後は勝手に喋ってご機嫌になってくれます。

「私大文系卒」だったら「科学に無知」でも許されるのでしょうか。これは単なる開き直りであると同時に、世間の「私大文系卒」の方々に失礼な話です。そもそも「私大文系卒」を選んだのも、「科学に無知」なのも全ては自分の意志であり、自分の責任でしょう。なぜわざわざこんな文言を入れたのか、理解できません。何の言い訳にもなっていません。

ここで例え話をします。

野球のルールを知らない記者がプロ野球選手に取材する
映画を観たことがない記者が映画監督に取材する
日本の首相や政権与党を知らない記者が政治家に取材する
日本が太平洋戦争で敗北したことを知らない記者が靖国神社問題の記事を書く
日本の最大の貿易相手国が中国であることを知らない記者が中国の反日問題の記事を書く

いかがでしょうか。いささか極端ですが、「取材対象に無知・無関心である」例として考えてみました。実際にはこんなことは行われないはずです(多分)。仮に行われていても、決して大っぴらではないはずです(※1)。ましてや、新聞記者が「取材対象に無知・無関心である」ことを公言することなど考えられません。そんな記者にまともな記事を書けるはずがありません。
ところが、今回の記事のように、科学に関しては「取材対象に無知・無関心」でも許されます。一記者の私見に過ぎないという反論はあるでしょうが、産経新聞のサイトで公開されている以上、産経新聞の公式見解だと見なすべきです。産経新聞は科学を軽視しているのです。しかも、それを全く恥じていません。科学に無知な記者に科学記事を書かせることを問題視していないのです。これは報道機関の姿勢としては、大いに問題があると言わざるを得ません。


冒頭に述べたiPS細胞の誤報騒動に関連して、新聞が最先端の科学情報を正しく報道するためにはどうすべきか、ということが話題になっていますが、状況はそれ以前のような気がします。
まずは、科学という学問、科学者という専門家に敬意を表すること。次に、中学・高校レベルの理科の素養のある人間に科学記事を担当させること。これぐらいから始めるべきでしょう(※2)。
最先端の科学情報などと背伸びをする前に、EMだのホメオパシーだのマクロビオティックだの永久機関だの、疑似科学の片棒を担がないように足腰を鍛えないことにはどうにもならないと思います。


※1:野球に何の関心もなさそうな女子アナウンサープロ野球選手によく取材していますが、あれは何かの間違いだと思うので無視します。
※2:新聞社では役所と同じで定期的に異動が行われるので、記者が特定の分野を長期にわたって担当することがなく、専門家が育たない。また、人手不足のため忙しくて勉強する時間もない。という話も聞きます。それが本当ならば尚更見通しは暗いと言わざるを得ません。科学記事は専門のジャーナリストに外注して丸投げした方がはるかにマシですね。


続き
産経新聞の開き直り記事から邪推するマスメディアの意識の低さ(続)