バッタもん日記

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ヒガンバナに見る「和食」の貧しさ−伝統の捏造−

1.はじめに

昨年12月に、「和食」がユネスコ国際連合教育科学文化機関)の無形文化遺産に登録されました。
私個人は、この件に関して複雑な印象を抱いております。日本の食文化が世界的に評価されたことは喜ぶべきだと思いますが、この件が一部の偏狭な「和食原理主義者」や「食の排外主義者」に利用される可能性があるからです。
「和食」は「伝統的な日本の食文化」であると定義されていますが、これは非常に曖昧な定義です。「伝統」とは一体何でしょうか。「和食」は「伝統的」に世界に自慢できるほど豊かだったのでしょうか。今回は、「和食」と「伝統」の関係について、とある有毒植物を例として考えてみたいと思います。


2.ヒガンバナはどう利用されてきたか

ヒガンバナは恐らく中国を原産地とする植物で、日本に人為的に導入されたとされています。水稲栽培の技術を有する人々の手で持ち込まれたのでしょう。水田の周りなどに群生しており、秋の彼岸の頃に花を咲かせることから、秋の風物詩になっております。ヒガンバナの真紅の花弁は、稲の緑と金色といいコントラストを描きます。
ところで、この種には大きな特徴があります。それは、「3倍体である」ということです。高校で生物を学んだ方々はお分かりだと思いますが、ヒガンバナ3倍体であるために減数分裂ができず、種子ができません。*1繁殖は球根(鱗茎)によります。人間の手を借りない球根による繁殖は、洪水により流されるか、動物に咥えられて運ばれるか、ぐらいです。非常に効率が悪いと言えます。人間が意図的に繁殖させなければ分布の拡大は不可能です。つまり、現在生えているヒガンバナは誰かが何らかの目的を以て植えたものである、ということです。その目的は2つありますが、それらを理解するうえで必須の知識は、「ヒガンバナは球根にアルカロイド系の毒を含む有毒植物である」ということです。

目的の1つは、動物除けです。日本の農業は水田稲作が主体であり、漏水しないように水田の畔を維持しなければなりません。邪魔になるのがネズミやモグラなどの巣穴を掘る動物です。ヒガンバナの球根からは毒が土壌中ににじみ出ますので、畔にヒガンバナを植えると動物が寄り付かなくなる、とされています。
また、日本で火葬が普及したのは比較的最近のことであり、以前は土葬が一般的でした。動物に死体を荒らされては困ります。墓場にヒガンバナが生えていることが多いのも同様の動物除けです。*2

もう1つの目的は、食用です。ヒガンバナの毒は水溶性なので、長時間水にさらせば毒が消え、食用になります。いわゆる救荒植物(食料不足の際に食べる植物)として水田周辺に植えられているわけです。


3.現代ではヒガンバナはどう利用されているか

上に述べたようにヒガンバナは伝統的に非常食として利用されてきたわけですが、現代では食料としての価値を完全に失っています。一方、同じく救荒植物であった山菜類は未だにその地位を保ち、食料としての価値を残しています。山菜の採集のために山に入ることは、事故や遭難、クマとの遭遇などの様々なリスクがあります。山菜はリスクを冒してでも手に入れる価値のある食料だと見なされているわけです。*3ところが、ヒガンバナは何のリスクもなく手に入る植物であるにもかかわらず、誰も見向きもしません。*4ヒガンバナは現代では完全に観賞用の植物です。*5
これは言い換えると、「日本人は伝統的にヒガンバナですら食べざるを得ないような厳しい食生活を送っていた」ということです。何しろ日本人は、少なくとも江戸時代までは常に飢饉に怯え続けていたわけですから。


4.日本の伝統的な食文化とは

日本を含めた東南アジア、東アジアの食生活には大きな特徴があります。それは、「穀物偏重」です。
食文化の大家である石毛直道氏(国立民族学博物館名誉教授)の名著、「世界の食べもの 食の文化地理(講談社学術文庫)」から引用します。

東アジア、東南アジアにおいては、食事というものは主食と副食の二種類のカテゴリーの食品から構成されるものである、という観念が発達している。たとえば現代日本語では、飯(あるいはご飯)に対置されるのがおかずであり、正常な食事とは飯とおかずの両者から構成されている、という観念がある。そして、食事そのものが飯とも呼ばれる。(P12)

普通主食にあたるものは、腹をふくらませることを第一の目的とした穀物やイモ類などの炭水化物に富んだ食品で、原則として味付けをしないことが共通点としてみられる。それに対して、副食は肉、魚、野菜などを味つけした料理で、主食を食べるさいの食欲増進剤としての役割を担っている。(P13)

米さえ確保できたら最低の食事は保証されるという、主食偏重で、栄養学的には貧困な伝統的食生活が、経済上昇の結果、数おおくの副食物と米という組み合わせの食事に変化して、健康によい現代日本の食生活ができあがったのだ。(P163)

米が日本人の食卓の主役でありつづけたのである。副食は飯を食べるための脇役、いわば食欲増進剤であった。(P176)

もう一人、北岡正三郎氏(大阪府立大学名誉教授)の名著、「物語 食の文化 美味い話、味な知識(中公新書)」のまえがきから引用します。

豊食の時代である。飽食とも書く。20世紀の後半、工業先進国は未曽有の豊かな社会を実現し、巷にたべものが溢れた。社会の隅々の庶民に至るまで、たっぷりのたべものが日常的に手に入り、好きな物を好きなだけ食べられる時代になった。人類の歴史始まって以来のことである。これまで一握りの権力階級や豪商、金持ちを別として、世の大多数の庶民は十分な食糧が得られず、毎日総じて粗末な食事を繰り返し食べ、生きて来た。20世紀後半は正に古来人々が夢見た地上の楽園であった。幸いにしてわが国もこれに加わった。

語弊があるかとは思いますが、敢えて断言します。「豊かな和食」とは、現代の産物です。「伝統的な和食」とは、栄養学的に貧しい食文化です。和食を推進している農水省ですら、1980年ごろの和食の栄養バランスが理想だとしています。
参考:和食 日本人の伝統的な食文化(農水省)

明治時代には、都市の貧民の間では残飯の購入が一般化しており、残飯業者が軍施設や学校の寮など、まとまった量の食事が出される施設から残飯を回収して販売していたようです。明治時代ですらこれです。
「和食」について語る際には、いつ頃の時代の、またどのような階層の人々の食文化を対象としているのかを念頭に置く必要があります。深く考えることなく「日本人は伝統的に豊かな食生活を送ってきた」と述べることは明確に間違いです。一部の時代、一部の人々を除いてそんな事実はないのですから。個人的には、それは貧しい食生活に耐えて命をつなぎ、現代に生きる我々をこの世に生み出してくれたご先祖様に対する冒涜だと思います。「和食は伝統的に豊かだった」と言い張りたい方々には、ヒガンバナを食べることをお薦め致します。


5.おわりに

「伝統的な和食」の過大評価は、「江戸しぐさ」や「歴史修正主義」などと同様に、歴史の捏造、伝統の捏造です。虚偽の歴史、虚偽の伝統を誇ったところで無様なだけです。
近い内にこのブログで記事にしようと考えていますが、現代の日本では食文化と排外主義が結びつく傾向があり、今回の和食の無形文化遺産登録もその傾向に拍車を掛ける恐れがあります。「和食は体にいい。洋食は体に悪い」などと主張する書籍は既に多数刊行されています。。
クジラやフカヒレ、フォアグラの問題が国際的に複雑化するのは、単なる資源管理、環境保護、動物愛護の問題ではなく、食文化の問題だからです。日本の鯨肉の消費量の低迷を考えると、日本人が捕鯨固執する理由はないはずです。ところが、現状では捕鯨が環境問題ではなく食文化の問題になってしまっているので、出口が見えなくなりました。
それほど食文化の問題は面倒なのです。ゆえに、軽率な食文化論は排除せねばなりません。


6.参考文献

(1)ヒガンバナ
ヒガンバナの博物誌、栗田子郎、研成社
救荒雑草 飢えを救った雑草たち、佐合隆一、全国農村教育協会
毒草・薬草辞典、船山信次、サイエンス・アイ新書
日本の有毒植物、佐竹元吉、学研

(2)食文化
世界の食べもの 食の文化地理、石毛直道、講談社学術文庫
「物語 食の文化 美味い話、味な知識、北岡正三郎、中公新書
お米と食の近代史、大豆生田稔、吉川弘文館
家庭料理の近代、江原絢子、吉川弘文館

(3)飢饉の歴史
図説 人口で見る日本史 縄文時代から近未来社会まで、鬼頭宏、PHP
人口から読む日本の歴史、鬼頭宏、講談社学術文庫
大飢饉、室町社会を襲う!、清水克行、吉川弘文館
飢餓と戦争の戦国を行く、藤木久志、朝日選書
近世の飢饉、菊池勇夫、吉川弘文館


追記

現代の農業が優れている大きな点は、「生産量が増えた」と同時に「生産量が安定した」ということです。近代以前でも、豊作が続けば農民でも豊かな食生活を送ることは不可能ではなかったはずです。しかし、凶作が続くとたちまち飢饉が起こります。現代の世界で飢餓が絶えない原因は生産量の問題ではなく、配分と流通の問題です。

現代の日本では、どの地域の人々も、どの階層の人々も大体同じような物を食べています。これは現代の産物です。「田舎の貧乏人は麦飯しか食べられないのに都会の金持ちは白米を食べている」という状況ではありません。そもそも大麦の生産量が低迷している現状では麦飯はかえって高く付きます。*6
このような状況では、地域、階層により食文化が異なるということはなかなか想像しにくいと思います。

江戸や京都、大坂などの都市部に豊かな食文化が花開いたことは紛れもない事実ですが、近代以前の日本の人口の8割近くは農民であったことを忘れてはなりません。
寿司や蕎麦、天ぷらなどの江戸で発達した料理はあくまで都会のものです。同様に、懐石料理はあくまで武士や貴族、商人などの富裕層のためのものです。大多数の農民は料理をしようにも調味料すらなかったわけですから。明治時代以降の食生活の変化も、都市部から始まりました。
農民が豊かな食事にありつけるのは正月と盆、村祭りなどの「ハレの日」ぐらいのものでした。これも地域、時代による差は大きいと思いますが。
要するに、一部の地域、一部の階層のものでしかなかった食文化を「日本全体の伝統」と表現するのは過大評価であり捏造ではないか、ということです。「昔の日本で豊かな食生活を送れたのは一部の金持ちだけです。庶民がいい物を食べられたのは大きなイベントの時だけです。今の和食の多くは明治時代以降、高度経済成長時代以降に成立しました」ということもあわせて伝える必要があります。
江戸の食文化については別記事で軽く触れていますので、そちらもご参照下さい。

「貧農史観」も行き過ぎるとイデオロギーに他ならず、歴史観が歪むので程々にしておきます。

*1:ごく稀に種子ができるそうですが、発芽しないそうです。

*2:「血を連想させる真っ赤な花」、「墓場に生える花」ということで、この花を縁起が悪いとして嫌う人も少なからずいます。

*3:ヒガンバナは分類上ネギ類に近いので、葉や球根がネギ類に似ています。そのため、アサツキやノビル、ギョウジャニンニクと間違えて食べ、中毒を起こす事件がたまに起こります。

*4:ヒガンバナが生えている場所は大抵人里で私有地なので、勝手に採集するわけにはいかないという理由もありますが。

*5:ジャガイモのように有毒ではあっても作物として優れていた場合、品種改良がおこなわれて毒の少ない品種が開発されますが、ヒガンバナでは観賞用では改良が行われているものの、食用化に向けた改良は行われていません。それだけ食用としての価値がなかったわけですね。

*6:貧しい庶民の食物であった雑穀がいつの間にやら健康食品になっているというのは倒錯していて面白いと思います。