バッタもん日記

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日本の主食は本当に米なのか その2  −平成の米騒動と八重の桜とオバマ大統領−

前回は、様々な観点から「米が日本の主食である」という言説を批判的に検討しました。今回は、米や主食に関して雑談めいたことを述べたいと思います。
サブタイトルの3つの用語に共通するものは何か。それは、「飢饉」です。

日本人の大多数が飢饉から解放されてから、まだ数十年しか経っていません。少なくとも戦前までは、日本人にとって飢饉は決して無縁のものではありませんでした。例えば、昭和初期には東北地方で過酷な飢饉が慢性的に続きました
歴史上、現在のように食料が有り余っている時代は例外中の例外です。日本の歴史は飢饉の歴史だと言っても過言ではないほどです。詳しくは、以下の書籍をご参照下さい。

菊池勇夫 近世の飢饉 吉川弘文館
藤木久志 飢餓と戦争の戦国を行く 朝日選書
清水克行 大飢饉、室町社会を襲う 吉川弘文館
大豆生田稔 お米と食の近代史 吉川弘文館

毎日が飢餓と隣合わせなのに、庶民が米を主食とするような贅沢ができるはずがありません。「日本の伝統的な主食は米である」という言説は、飽食の時代である現代の感覚の産物だと思います。


1.平成の米騒動
戦後しばらくの間、日本の主食が米であったことは間違いのない事実だと思います。しかし、それはもはや過去の話です。現在の日本の主食は米ではありません。更に言うならば、現在の日本には主食と呼べる食物はありません。詳しくは、農林水産省の食料需給表をご覧下さい。

「もはや米は日本の主食ではない」という厳然たる事実を明らかにした大きな出来事があります。それは、いわゆる「平成の米騒動」です。これは主に夏期の天候不順に起因するものでした。
上に挙げた食料需給表によると、この年の米の国内生産量は前年の74%しかありませんでした。米の出来を表す数値である作況指数は同じく「74」でした。この数値が90以下になると、「著しい不良」とされます。「74」というのは恐ろしい数字であることがうかがえます。しかし、この騒動はあくまで米不足であり、食料不足ではありませんでした。これが江戸時代や明治時代、終戦前後の出来事ならば、日本全国で阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられたはずです。ところが実際には、タイや中国などの諸外国から米を緊急に大量輸入することになったものの、食糧不足に陥ることはありませんでした。それどころか、日本人の口に合わないからという罰当たりな理由で、外国産米が大量に廃棄されるという由々しき事態ともなりました。マリー・アントワネットではありませんが、「米がなければパンを食べればいい」のです。他にいくらでも食べる物があったのです。米が主食ではなかったからこそ、「米不足」が「食糧不足」にならなかったのです。

この米騒動は、様々な事実を物語ります。その一つが、農業技術、農業インフラが十分に整備された平成の時代であっても、気象条件次第で米の生産量は激減する、ということです。現代でもこれなのです。技術やインフラが未発達な時代では、当たり前のように米の凶作が起こっていたことは想像に難くありません。国民全体が米を主食にできるほどの生産量を確保できていたとは到底考えられません
ところで、この米騒動の際の作況指数を見ると、随分地域差があることがわかります。これは重要な問題なので、「2.」で触れます。


ところで、「主食がない」ということは、様々なメリットをもたらします。
これは食料安全保障、リスク分散という点で大きな利点を有します。この米騒動でもそうですが、特定の食品に強く依存している場合、その食品の生産量が減少した場合、待ち受けているのは食料不足です。多数の食物を満遍なく消費している場合、つまり主食がない場合は、食料不足を回避できる確率が高くなります。これに関連した悲劇を「3.」で述べます。
また栄養学的に考えると、完璧な栄養バランスを有する食品など存在しませんマクロビオティックなどの「米原理主義」を信奉している方々は、「米の栄養バランスは完璧だ」と考える傾向があるようですが)。したがい、主食と呼べる食物がある、つまり特定の食品の摂取量が極めて多いことは、栄養の点では望ましいことではありません。偏ることなく何でも食べることが理想である以上、「主食がない」ということは、栄養学的にはむしろ望ましいことであると言えます。かつて都市部の国民病であった脚気が白米偏重の食生活に起因する栄養障害であったことなどはいい例です。戦後一貫して日本人の平均寿命、健康寿命が伸び続けていることは、米一辺倒をやめて多様な食べ物を摂取するようになったことも影響していると思います。


2.「八重の桜」と西高東低の日本
今年(平成25年)のNHKの大河ドラマは、幕末から明治時代の東北地方(福島県会津地方)が舞台となっております。その中でも戊辰戦争が大きなテーマとなっております。戊辰戦争とは物凄く大雑把に言うと、「薩長土肥」と「奥羽越列藩同盟」の戦いです。地図で見ると、「西南日本東北日本」という形になっております。倒幕派佐幕派かというのは色々と政治(譜代とか外様とか)や思想(儒教とか朱子学とか陽明学とか国学とか)も絡む話だとは思いますが、結果として東北日本西南日本に敗れました。なぜか。

上に挙げた文献を読むと、江戸時代の東北地方は、度重なる飢饉に疲弊する一方だったことがわかります。平成の米騒動の際でも、最も被害が大きかったのは、実は北海道と東北だったのです。理由は簡単です。前回強調したように、元々米は亜熱帯地方原産の作物なので、寒冷な北日本で栽培するのは無理があるからです。一方の西南日本では、温暖な気候に助けられ、深刻な飢饉からある程度免れることができました。江戸時代の飢饉は大抵冷害によるものですから。飢饉は人口を減少させますので、国力の低下につながります。
このような理由で、幕末の頃には西南日本東北日本の国力に差が付いており、これが戊辰戦争の勝敗を分けたのではないかと思っています。*1
参考として、上智大学教授の鬼頭宏氏の書籍、「人口で見る日本史(PHP)」の一節を引用します。

  • 東日本は減少、中央日本は停滞(ただし北陸は増大)、西日本は増大、という「西高東低」型の人口変動になっている(P90)
  • 寒冷な土地ほど、人口減少が大きく、温暖な土地では、人口が増え続けたことを示している(P93)
  • 温暖な西南日本で増加、冷涼な東北・関東では減少と、冷害の影響があったことを示している(P94)

3.オバマ大統領とジャガイモ飢饉
先に「1.」で、特定の食物に過度に依存しないことは、食料安全保障、リスク分散という観点から大きなメリットを有する、と述べました。これを如実に物語る凄惨な悲劇があります。ヨーロッパの小国、アイルランドです。

もともとアイルランドの人々はえん麦(いわゆるオートミール)と乳製品中心の食生活を送っていましたが、隣国であるイングランドに厳しい搾取を受けており、慢性的な食糧不足に苦しんでおりました。しかし、16-17世紀にジャガイモを導入したことで食料生産量が飛躍的に増加し、人口が急増しました。どの程度信用できる統計なのかはわかりませんが、18世紀半ばに320万人だった人口は、19世紀半ばには800万人を超えたとされています。ジャガイモの導入以降のアイルランドの農業は、小麦をイングランドに輸出(献上)し、庶民はジャガイモを主食とするようになりました

ところが、1845年から数年に渡り、ジャガイモに悪性の病気が大流行し、収穫量が激減しました。ジャガイモに過度に依存していたアイルランドでは凄まじいまでの食料不足が起こり*2、100-150万人が餓死、病死し、150万人が国を捨てて移住しました。この「ジャガイモ飢饉」により、アイルランドの人口はほぼ半減してしまい、現在でも完全には回復していません。国の人口の1-2割が死ぬあるいは国を捨てる、ということが一体何を意味するのか、現代に生きる我々の想像を超えます。あの太平洋戦争ですら、日本の死者は大目に見ても人口の1割に届かないのですから。
この時にアイルランド人の移民先として最も多かったのがアメリカです。現在のアメリカの人口に占めるアイルランド系市民の数は本国(アイルランド共和国連合王国北アイルランド)の人口をはるかに上回っています。またこの「ジャガイモ難民」の子孫には、アメリカの大統領となった人もいます。「JFK」こと第35代ケネディ、第40代レーガン、第42代クリントン、第44代現職のオバマです。これを見ると、ジャガイモ飢饉は世界の歴史を大きく変えたと言えます。
このジャガイモ飢饉について手軽に学ぶには、以下の書籍がお薦めです。

伊藤章治 ジャガイモの世界史 中公新書
山本紀夫 ジャガイモのきた道 岩波新書
鵜飼保雄・大澤良 品種改良の世界史 作物編 悠書館
酒井伸雄 文明を変えた植物たち NHKブックス

以上、「飢饉」という観点から、色々と埒もないことを述べました。あまり一貫性のない内容ですが、強いて主題を挙げるとすれば、「食料という観点から歴史を眺めるとなかなか面白い」というくらいでしょうか。ありきたりですが。食料は直接に人口に影響を及ぼしますので、歴史を動かす重要な要因であると言えます。
次回は、今回も軽く触れていますが、「日本の主食は米である」という言説と合わせて述べられることが多い、「欧米の主食はパンと肉である」という言説を批判的に考えてみたいと思います読者の方々のご意見を受けて、今回のテーマから派生した内容を先に書きます。

*1:薩摩藩の国力は琉球や清国との密貿易によるものかもしれませんが。

*2:アイルランドの食生活が極端にジャガイモに依存していたことを批判することはできません。アイルランドという土地は気候や土壌に恵まれないので、農業を行うには厳しい土地です。満足に収穫できる作物がジャガイモぐらいしかなかったのです。また、栽培されている品種が一つだけだったことも、大きな原因でした。しかし、これもやむを得なかったと言えます。当時は品種改良技術が未熟で、アイルランドの厳しい環境で栽培できる品種は極めて限られていたためです。