バッタもん日記

人生は短い。働いている暇はない。知識と駄洒落と下ネタこそ我が人生。

疑似科学を信じてセレブになろう!

先日、疑似科学を他人に勧める連中に共通する要因として、「善意」があると説明しました。それに関連して、疑似科学を信じる連中に共通する要因として、「優越感」を挙げたいと思います。簡単に言えば、「偉そう」で「お高くとまっている」ということです。
以下は私が実際に受けた意見です。

私は科学に縛られない。科学に縛られている貴方は気の毒だ
私は権力やマスメディア、御用学者の情報操作には騙されない。貴方は洗脳されている
私は真実に目覚めた。貴方も早く目覚めて下さい
信じられる人だけ信じてくれればいい。信じられない人はどうぞご自由に
参考1(「ナノ純銀除染」の伝道者)
「政府、官僚の大本営発表を信じる方、ご苦労様です。頑張ってください」
参考2(腐った米のとぎ汁教祖)
「私は既存の医学体系を信じておりません」
「私は,医学・生物学など既存のサイエンスは頭から馬鹿にしています」
参考3(EM教祖、比嘉照夫)
「EM発酵堆肥を活用した成果の評価に、素人学者が参入する余地は全くない」※1

いかがでしょうか。要するに、「(既存の)科学を信じない私は偉い」というだけの話です。
鼻持ちならない優越感が溢れ出ています。しかも根拠があるならばまだ許せますが、何の根拠もないので腹が立つのを通り越して哀れにすら感じられます。なぜこのような優越感を抱くに至るのか、考えてみます。

人間は自尊心、優越感がなければ生きていけません。自分が他人より優れているという実感が欲しいわけです。その実感をどのように得るか。他人より優れている点、自慢できる点は何か。地位、名誉、収入、業績、美貌など、色々と考えられます。しかし、これらはそう簡単に手に入る物ではありません。努力が必要です。そんな努力は面倒だからしたくありません。もっとお手軽に優越感を得たい自分は他人とは違うのだと思いたい。ならばどうすればいいか。

法律やら資本主義やら科学やら、既存の枠組みの下ではどうにもなりません。であれば、枠組みから逸脱すればいい。「枠組みを守らないこと」をステータスにしてしまえばいいのです。法律を否定すればアウトローですし、資本主義を否定すれば革命家、科学を否定すれば疑似科学信奉者(あるいはオカルティスト)です。
昔のヤンキーが無法行為(夜の校舎で窓ガラスを壊して回ったり盗んだバイクで走り出したり)を自慢したように、「科学を信じないこと」を自慢すればいいのです。そうすれば、自分は他人にはできないことを実行している特別な人間だと思い込めます。
科学なんか信じてるの? 遅れてるね。科学なんてただの机上の空論で、説明できることはほんの少ししかないんだよ。もっと視野を広げた方がいいよ。私は○○(疑似科学)を始めてから、色々なことがよくわかるようになったよ。どう? 一緒にやってみない?」と言えるようになればご立派(末期症状)です。

また、上でも少し触れていますが、疑似科学は権威を有する既存の常識(科学)に反するので、反権力・反体制の傾向を帯びます。そのため、疑似科学を信じればアナーキストの気分を味わえ、「世間に反抗する私って素敵」という妄想に浸れます。※2
さらに、疑似科学信奉者はあくまで少数派です(多数派になったら社会が崩壊します)ので、少数精鋭のエリートを気取ることもできます。

くどい位にこのブログによく出て来る「自己責任」という言葉を、無理矢理この「優越感」に結び付けて考えてみます。「自己責任」という言葉を盾にして疑似科学を実践することを正当化する人の心理状態は、次のようなものではないかと邪推します。
批判を乗り越える。リスクを覚悟する。何が起こっても責任は全て自分で取る。誰のせいにもしない。全て自分で考えて決める。ああ私は何て格好いい
ここまで来れば「優越感」と言うよりは、もはや「自己陶酔」ですね。※3、4

疑似科学とカルトはよく似ていると繰り返し述べていますが、カリスマ気取りの教祖が信者を絶賛し、非信者を罵倒することで信者に優越感を植え付けて信念を強固にさせる点が共通しています。信奉者同士が褒め合い、切磋琢磨(?)する点も同じです。
みんな優越感に浸りたいのです。自分は特別な人間だと思いたいのです。セレブになりたいのです。でもそう簡単にはなれないので、疑似科学を信じることで、せめて心だけでもセレブになろうとするわけです。これは客観的には現実逃避でしかないので、痛々しいとも浅ましいとも涙ぐましいとも言えます。私は疑似科学信奉者を見る度に、『ああ、この人は「心のセレブ」なんだな』と生温かく見守っております。※5


※1
比嘉照夫は、厳密には「疑似科学信奉者」ではなく「疑似科学教祖」なので例としてはあまり適切ではありませんが、悪い意味でスケールが大きくわかりやすい人物ですので、参考としました。
※2
こう考えれば、疑似科学はいわゆる「中二病」とよく似ていますね。
※3
論より証拠、「自然出産+自己責任」「ホメオパシー+自己責任」「マクロビオティック+自己責任」「米のとぎ汁+自己責任」で検索してみて下さい。
※4
これはあくまで邪推に過ぎず、何の根拠もありません。藁人形論法だと言われればその通りです。しかし、疑似科学信奉者が「自己責任」という言葉を使うとき、行間から「キリッ」とか「うっとり」というような擬態語が伝わってくるような気がしてしまいます。あくまで主観ですが。
※5
念のために補足しておきますが、今回の記事は、客観的には差し迫った事情もないのに疑似科学を信じる連中を対象としております。現代医学では治療法がない難病に苦しみ、藁にもすがる思いで疑似科学を信じている方々を批判するほど、私は外道ではありません。