バッタもん日記

人生は短い。働いている暇はない。知識と駄洒落と下ネタこそ我が人生。

疑似科学における「個人の自由」「自己責任」という欺瞞

以前にも書きましたが疑似科学信奉者は批判されると、「個人の自由」「自己責任」という言葉を持ち出して自分の行為を正当化し、批判を無視します。これは正しい態度なのでしょうか。
私は全くそうは思いません。なぜならば、疑似科学に傾倒した人間は必ず他人を巻き込むからです。他人を巻き込んだ時点で、「個人の自由」「自己責任」という言い訳は全く成立しなくなります


よく問題になるのが、いわゆる「自然出産」です。簡単に説明すると、出産の際に病院(もしくは病院と密に連携している助産所)以外の場所で出産することです。よくある「天然志向」「医療忌避」の一種であり、何ら自慢できる物ではありません。そして、医療が介入しないのですから、病院で出産する場合に比べて事故のリスクは大幅に上昇します。
この「自然出産」を推進・擁護する連中は、口を揃えて「本人(母親や家族)がリスクが上がることを承知の上でやっているのならば問題はない」と言います。この物言いは正しいのでしょうか?

出産におけるリスクとは何でしょうか。考えるまでもなく、母親や子供の命が危険にさらされることです。「個人の自由」「自己責任」とは人間の命より重いのでしょうか
また、例え母親本人がリスクを承知し、自分や子供が死ぬことを覚悟していたとしても、母親の自己満足のために死んでしまった子供はどうなるのでしょうか。子供は一切の意思表明ができません。母親に従うことしかできないので、最初から選択肢がありません。「個人の自由」「自己責任」などというものは全く与えられていないのです。
母親に「個人の自由」「自己責任」を認めるのならば、子供にも与えるべきでしょう。母親と子供は別人格なのですから。この場合は、「最も安全な出産方法を選ぶ」つまり「病院で出産する」という当たり前の方法を選択すべきです。子供の唯一にして最大の権利は、「無事に産まれてくること」なのですから。


さて、「自然出産」の話を冒頭に持ってきたのは、私が疑似科学を嫌う理由を説明するための前置きです。
私は以前、小学生相手の塾講師を数年間勤めておりました。そこでは色々な親子を見る機会に恵まれました。そして思ったのが、上に述べたように「子供は親に逆らえない」ということです。

私は塾講師としては無能だったので、下層クラスを押し付けられることが多く、多くの悲劇を目撃しました(私もその悲劇の加害者であったことは間違いありませんが)。とは言っても話は簡単で、ほとんどが「無理矢理勉強させようとする母親と勉強したくない子供の喧嘩」に過ぎませんでしたが。
保護者面談の際に、母親に「私はあの子のためを思って勉強させているのになぜわかってくれないのでしょうか」と泣かれた時は、危うく「あんたの子供に勉強させるのは間違いでっせ。それは親の横暴でんがな」と言いそうになりました。

話がそれましたが、何が言いたいかというと、親が疑似科学に没頭した場合、子供が必ず巻き込まれるということです。特に親が「子供のために」というお題目を持ち出している場合は尚更です。
具体的には、マクロビオティックを子供に押し付けたために子供が発育不良を起こしている例や、ホメオパシーを信仰して子供を病院に連れて行かずに無駄な苦しみを与えている例、腐った米のとぎ汁が放射線を防ぐと信じて子供に飲ませて下痢させている例、「放射線はほんの少しでも危険だ」と信じて子供を連れて遠方に引っ越し、子供の生活を破壊してしまう例などが多々あります。

子供を巻き込んでいる以上、自分だけの問題ではないのですから、「個人の自由」「自己責任」という言い訳は通用しません。例え子供に了解を取ったところで、子供には親に逆らう選択肢は最初からないのですから、無意味です。「子供の了解を取った」のではなく、「親に従わせた」だけです。


また、疑似科学は非常に「カルト」や「ネズミ講」に似ています。信奉者がやたら善意に溢れている点、優越感を植え付ける点、胡散臭い指導者がいる点など、共通点を挙げれば切りがありません。
そして、私の考える最悪の共通点が、「被害者が加害者になってしまう」ことです。
「カルトに騙されて入信させられた被害者」がいつの間にやら「カルトの手先になって多くの人間を入信させた加害者」になってしまった、という話はカルトが話題になる度に出て来ます。

何らかのきっかけで疑似科学を実践し始めた人が気に入ってしまい、他人に対しても勧める、ということはよくあります。インターネットの発達により気軽に情報を発信できるようになったため、いとも簡単に疑似科学をばら撒くことができてしまいます。そして他人に勧めた時点で、「被害者」から「加害者」へと変貌してしまいます。責任を問われる立場になってしまうのです。加害者に「個人の自由」「自己責任」などという言い訳を使う資格はありません

疑似科学信奉者は、自分の信じる疑似科学を他人に勧める場合、必ず「自己責任」という言葉を付け加えます。実にわかりやすい責任回避です。「私は提案しただけです。信じたのは貴方です。酷い目に遭っても私の責任ではありません」という言い訳を用意しているわけです。
しかし、彼らが他人を勧誘する際に、疑似科学のネガティブな情報を伝えることはまずありません。ポジティブな情報を一方的に与えておいて、「信じるか信じないかは貴方次第」というのは一種の情報操作・隠蔽であり、卑怯な態度です
現在では、株や債権などの資産運用の際には、証券会社は顧客に対して適切なリスクの説明を行うことが義務付けられているようです。また、医療の世界でも、「インフォームド・コンセント」の元、医師が患者に対して治療法のリスクの説明を行うことが広まっています(※)。
都合の悪い情報を一切提示せずに他人に疑似科学を勧めておきながら、「個人の自由」「自己責任」などという言い逃れが通用するはずがありません。


前回と同様に最後で結論を述べておくと、『他人を巻き込んだ時点で「個人の自由」や「自己責任」という言い訳は通用しない』です。


(※)私は医療、法律には無知なので、記述に問題があれば指摘して頂けると助かります。


10/9追記
PseuDoctor様のご指摘により、「自然出産」の説明を改めました。流石は医療の専門家です。ご指摘に感謝します。