バッタもん日記

人生は短い。働いている暇はない。知識と駄洒落と下ネタこそ我が人生。

科学は疑似科学に勝てません

私は大学時代は至って不真面目な学生だったので、ろくに勉強しませんでした。研究室に所属して、専門分野のみに集中するようになってからの勉強量(読んだ論文の数)には自信がありますが、基礎的な勉強をかなり疎かにしたので、色々と無知を晒しております。当然ながら科学哲学などまるで勉強しておりません。普段は「素人が専門家のやることにケチを付けるな。まず勉強しろ」などと言っている割には自分には甘いので、科学について駄文を書きます。

私の科学(自然科学)に対する捉え方は次の通りです。

「科学はこの世界(自然現象)を説明するための手段(哲学)である。当然、唯一絶対ではないし、万能でもない。しかし、今のところ科学を上回る手段は存在しないので、科学を信用する」

この考え方は特におかしなものではないと思います。


昨年の東日本大震災以降、疑似科学が大きな影響力を持つようになっています。
疑似科学」の定義は難しいのですが、ここでは「インチキ科学」ぐらいの意味でお考え下さい。

面白いことに、疑似科学の提唱者はほぼ例外なく「万能」を売り文句にします。
例えば、EMは土壌に撒けば肥料になり農薬や重金属や放射性物質を無害化する。水中に撒けば水質を浄化する。飲めばどんな病気も治る。余談ですが、EMの万能性を巡って呆れたトラブルがあったようです。
同様に、マクロビオティックを実践して玄米を食べれば、どんな病気も治る。
また、優しい言葉を掛ければ水の結晶が美しくなるから、みんな健康になり、世界は平和になる。
等々

科学の専門家、科学を商売としている人間は、科学の領分や限界をよく知っておりますので、「万能」という言葉には慎重になります。自然界はあまりに複雑なので、「万能」ということが果たして可能なのかよく考える必要があるからです。これだけ医学・薬学が発展しても「万能薬」が未だに存在しないことからも明らかです。

この「万能」という概念から何が言えるのでしょうか。私の解釈はこうです。

疑似科学は人間の願望を満たすために産み出された安直な手段である」

科学は本来この世界を理解する手段であり、人間の夢を叶えることを第一の目的とはしておりません(大きな原動力となっているのは事実ですが)。ところが、疑似科学提唱者・信奉者は、科学を「人間の夢を叶えるお手軽で便利な魔法」と捉えているようです。魔法だから万能なのは当然です。
だからこそ、疑似科学は人間の心をひきつけてやまないのです。対して努力もせずに、時間も金も掛けずに夢を叶えてくれるのですから、支持されるのは当然です。

また、科学は根本的に人間の気持ちを考慮しませんので、どうしても「冷たく」見えてしまうことが避けられません。何より大事なのは「正しいかどうか」です。「当事者がどう思うか」ではありません。人間の感情と自然現象は全く無関係ですから。個人の「思い」で物理法則は変わりません。
一方の疑似科学は、人間の夢を叶えることのみを目的としていますので、非常に「優しく」見えます。何より大事なのは「当事者がどう思うか」です。個人の「思い」で物理法則は変わるようです。

福島原発の事故の影響に怯える人にとって、「腐った米のとぎ汁が放射線を消す」と教えてくれる人は、まるで救世主のように思えることでしょう。それに対して、「根拠がない」と口出しする人はまるで外道のように思えることでしょう(個人的経験あり)。

科学は冷たく、疑似科学は優しいのです。これでは、科学は疑似科学に対して全く勝ち目がありません。

「ギリギリ科学少女ふぉるしぃ」という疑似科学を揶揄した歌がありますが、その中にこのような歌詞があります。

「救いを求める一般市民に科学はなにもしてくれない」

これに尽きます。

先日とある弁護士の科学に対する無知・無理解を批判しましたが、知的階層である弁護士でもこれですから、状況は極めて厳しいと言わざるを得ません。誰か何とかして下さい。


続きと補足