バッタもん日記

人生は短い。働いている暇はない。知識と駄洒落と下ネタこそ我が人生。

俺は正しい。根拠はお前が出せ。

何だか上のタイトルのようなことを大真面目に言う人、さらにはそういう人を支持する人が増えているようで不安です。

例1:「○○という事実がある」「情報源を出せ」「今から探す」
例2:「××は放射能が原因だ」「根拠を出せ」「自分で探せ。甘えるな」
例3:「米のとぎ汁は放射能を防ぐ効果がある」「実験で証明しろ」「効果がないと実験で証明しろ」

私は論理学には無知ですが、これはただの説明責任の転嫁であり、詭弁としか思えません。
この手の方々が重症化してある種の教祖のような存在になってしまうと、客観的に考えることができなくなり、「根拠など必要ない。俺が正しいと言っているのだから正しいのだ」と豪語するようになります。
実例;
http://twitter.com/#!/iiyama16/statuses/162144926803558400

こんなホラ吹きジジイが支持を集めているところを見ると、人間は信じたい物を信じてしまう生き物だということがよくわかります。信じるかどうかの基準は「根拠がある(客観的に正しい)こと」ではなく、「自分の信念に合う(主観的に正しい)こと」になってしまうわけです。


2/29 補足;
「主観的に(自分にとって)正しいこと」が唯一の判断基準となってしまうと、「正しいかどうかを決めるのは俺だ」「根拠は必要ない」「俺の正しさを理解できない奴は無視してもいい」と考えるようになってしまうのでしょうか。

こういうデタラメな態度を取る人間を信じてしまう心理はよくわかりません。
もしかしたら、海外文学や哲学書、抽象芸術を愛好してインテリを気取る「文学青年」や「哲学青年」、「芸術青年」に近いのかも知れないなどと邪推しています。そんな俗物がまだ生き残っているかは知りませんが。
人間は他者の理解を拒む物・人物に惹かれる習性があるような気がします。「普通の人間に理解できない○○を理解している俺は真実に目覚めている」といった具合に。

3/3 さらに補足
迷える者は、根拠もなしに自信たっぷりに断言する者を、「自分を救ってくれる頼もしい人」と感じてしまうのでしょう。「自信を持つ者」は「自信を持たない者」の羨望の対象となり得ます。カルトの教祖と信者の関係がその典型です。
昔のとあるTVアニメ作品で、「言葉の意味はよくわからんが、とにかく凄い自信だ」という台詞がありましたが、例え主張がデタラメでも自信と勢いがあれば簡単に人を騙せるということですね。