バッタもん日記

人生は短い。働いている暇はない。知識と駄洒落と下ネタこそ我が人生。

おじいさんは山へしばかりに −日本における森林の利用と破壊の歴史− その2 日本の植生の特徴と変化(1)

おじいさんは山へはばかりに行きました。野糞。

1.はじめに

今回の記事では、人間による利用と破壊が植生にどのような影響を及ぼすかを述べるわけですが、最初にその大前提として必要となる基礎知識を説明します。中学校卒業レベルの科学知識があれば理解できるような説明になっているつもりです。

(1)植生は年平均気温と年降水量で大よそ決まる

植物が生きるために必要な資源は日光と気温と水です。植物は根から吸い上げた水と、葉の気孔という微小な穴から吸収した空気中の二酸化炭素を材料とし、日光をエネルギー源として炭水化物(ブドウ糖)と酸素を造り出します。この活動を光合成と呼びます。また、気温が高すぎたり低すぎたりすると生命活動が制限を受けますので、気温はある程度の範囲内であることが必要となります。*1ところで、光の強さは専用の測定装置が必要となり、環境の指標としてあまり便利ではないことと、気温と日光には強い関係があることから、気温と降水量が植生を考える上での大きな基準となります。
もちろん他にも土壌の肥沃さや風の強さ、積雪量*2、地形、海からの距離(潮風や砂嵐の影響)など様々な条件がありますが、基本的には植生は年平均気温と年降水量で決まると考えて下さい。

(2)日本の植生はなかなか多様でタフである

世界的に見て、日本の地理的な特徴は以下のような点です。

  • 気温が比較的高い
  • 降水量が多い
  • 南北に長い

参考までに、古い文明を誇る各都市と欧米各都市の気候条件を表にまとめると、以下のようになります。日本が温帯に位置する先進国としては、非常に気候条件に恵まれた国であることがよくわかります。

気温が高く、降水量が多いということは、植物の生育に適しているということです。つまり、日本は非常に植物が多様です。また、日本列島は南北に長いために気候帯が亜寒帯から亜熱帯まで多様で、さらにそれに応じて植物も多様になります。
また、気候条件が植物の環境に適しているということは、植物の生長(回復)が早く、多少の破壊を行っても植生は消滅しない、たとえ植生が消滅してはげ山になっても放置すればいずれは森林に戻る、ということです。日本の植生はなかなか頑健です。世界的に森林面積が急速に減少している中で、現代の日本では国土面積の7割近くを森林が占めており、世界有数の豊かな森林に恵まれた国であると言えます。
参考:平成26年度 森林・林業白書 参考資料

中国の古都である西安は砂漠同然の黄土高原*3に囲まれていますし、数々の古代文明を生んだ地中海沿岸部も植生がかなり劣化していることがうかがえます。古代ギリシャやローマの遺跡は大体が荒地の中に存在しています。日本の古墳が立派な森林に覆われているのとは全く違います。(大仙陵古墳画像検索古墳に興奮。
長い歴史を誇る国々で深刻な森林破壊が起こり現在も回復していないのに対して、それなりに歴史の長い日本で森林が豊富に残っている理由として、「日本の文化は森林に優しい」ということを主張する人がいます。歴史や環境の専門家にもいます。個人的にはそれはそれである程度正しいと思いますが、上の表に示した通り、日本で森林が残った理由として最も大きいのは「気候に恵まれていたから」、という身も蓋もないことだと思います。このような思想は排外主義や国粋主義紙一重ですので、用心して下さい。*4

(3)用語の定義

専門的な話を理解するにはまず用語と概念を理解しなければなりませんので、簡単に説明しておきます。

  • 撹乱:森林が破壊されること
    • 自然による撹乱
      • 強風
      • 洪水
      • 土石流
      • 山火事
      • 積雪
      • 火山の噴火(溶岩・火山灰・火砕流
      • 病虫害*5
    • 人為的な撹乱
      • 樹木の伐採:燃料・木材
      • 樹木の枝打ち:燃料(柴刈り)
      • 枯れ枝拾い:燃料(柴刈り)
      • 落葉拾い:肥料
      • 草刈り:肥料・飼料など(芝刈り)
      • 家畜の放牧
      • 火入れ:森林化を防ぎ、草原を維持する(画像検索 若草山 山焼き阿蘇 野焼き
  • 遷移:撹乱からの植生の再生
    • 一次遷移:火山活動などにより、地上にも地中にも植物が存在しない状態から始まる遷移*6
    • 二次遷移:伐採後の森林のように、地上にも地中にも既に植物が存在する状態から始まる遷移
      • 一次遷移と異なり、既に土壌が存在しており、さらに土壌中には種子や根などの植物体が生存しているので、植生の回復は一次遷移よりはるかに早い。
  • 極相林:遷移の最終段階(極相)に達しており、今後大きく変化しないと考えられる森林(ただし、自然撹乱による部分的な破壊と再生は時々起こっている)
  • 原生林:極相林のうち、人間による影響がないと考えられる森林
  • 天然林・自然林:人間による植林ではない森林(要するに人工林ではない森林)
  • 二次林:二次遷移の途上にある森林(薪炭林など)
  • 陽樹:成長に強い光を必要とする植物で、遷移初期に多い
  • 陰樹:成長に強い光を必要としない植物で、遷移後期に多い
  • 樹木希林

遷移は陽樹林→陰樹林という順序で進みます。陽樹は成長に強い光を必要としますので、日陰となる成木の下では若木が育ちません。一方の陰樹は陽樹の下でも育ちます。そのため、やがて後継者となる若木が育たなかった陽樹は枯死して消滅し、陰樹林が成立することとなります。


(4)植生は自然に変化する(遷移)

人間に破壊されれば植生が変化するのは当然ですが、人間が何もしなくても自然現象として植生は変化します。それが上に述べた遷移です。日本の温暖地における遷移を簡単に図示すると、次のようになります。撹乱はこの図で植生を左に進ませる力です。

落葉や枯れ枝は、本来有機物として土壌に還元されるべき資源です。落葉を肥料(堆肥の材料など)として、枯れ枝を燃料として収奪すると、土壌の肥沃性は低下します。これにより、やせた土壌を好む植物に適した環境が形成されます。典型的な樹種がアカマツです。いずれ説明しますが、アカマツ林は森林破壊の産物であり、アカマツしか生えない貧しい植生です。浮世絵などによく見られるように、日本人が原風景としてアカマツ林を好むということは、かつての日本の植生が非常に貧しかったことの何よりの証拠です。

広大な面積が荒地と化し、風雨により土壌が流出したりでもしない限り、利用を停止すれば植生は回復します。植生の回復の速さ、つまり図で植生が右に進む力は、おおよそ気温と降水量で決まります。そのため、北海道やシベリアのような寒冷地では伐採後の森林の回復が遅くなるため、伐採計画には慎重を要します。
もっとも、逆に熱帯多雨林では、気温が高いために微生物の活動が盛んで、落葉や枯れ枝などの土壌に供給された有機物がすぐに分解消失してしまい、もともと土壌がやせていること、スコールに代表されるように降水量が多すぎて土壌の流出が激しいことが理由で、積極的な植林を行わない限り森林の再生は難しくなります。

2.植生の利用

農村生態系でよく見られる植生は、上の図のはげ山〜薪炭林です。つまり、農村の植生を維持するには、上で述べたような撹乱(利用)を続けて遷移を止める必要があります。この利用による破壊と自然の回復の差し引きにより、植生が荒廃してはげ山になるか、回復して森林になるかが決まります。つまり、里山は近代以前の農業の存在が大前提となっている植生であり、利用と管理を続けなければ維持できない植生である、ということです。言い換えると、現代社会では化学肥料と化石燃料の普及により、里山を必要としなくなりました。残念ながら里山は消え行く運命にあります。里山を賛美する意見は強いのですが、全国的にまとまった面積の里山保全するのはもはや無理だと思います。しばかりをするおじいさんが消えた以上、里山も消えます。

(1)薪炭林の利用サイクル

里山のシンボルとも言える薪炭林は、文字通り薪や炭などの燃料を生産する林です。燃料は日々の生活で必要となる資源であり、また農村に貴重な現金収入をもたらす商品でもありました。そのため、薪や炭の生産性の向上のため、薪炭林に用いられる樹種は以下のような条件を満たす必要があります。

  • 成長が速い
  • 伐採後の切り株からの再生力が強い:種子を植えて新しく木を育てるより早い

このような条件を満たし、薪炭林を更生する樹種は、コナラ・クヌギミズナラ・カシワ・アベマキなどの落葉性ブナ類が全国的によく見られます。ブナが無難です。昆虫好きにはお馴染みの樹種です。九州や四国などの南西部では、温暖な気候に適したシイ類やカシ類などの常緑性ブナ類も見られます。*7落葉性のブナは秋に大量の落葉を出しますので、薪炭林は肥料生産の場としても重要でした。
薪炭林の利用サイクルを図示すると以下のようになります。

木は毎回大よそ同じ高さで伐採されるため、伐採と再生を繰り返した木は独特の形状を示します。クヌギではこれを「台場クヌギ」と呼びます。インドの山奥で修業したわけではありません。台場クヌギ画像検索
木の伐採を繰り返すと再生力が落ちますので、成長が遅くなった木は根ごと伐採し、種子を植えて新しく木を育てて同じサイクルを繰り返します。

(2)草原の利用

現在の日本では草原はほぼ消滅していますが、戦後しばらくまでは草原は様々な目的で利用されていました。統計値の信頼性の問題がありますが、江戸時代から明治時代初期の日本では国土面積の2-3割が草原だったようです。想像を絶する数字です。
かつての草原の用途は以下のようなものです。

  • 肥料:刈り取った草を農地に投入する。農地面積の10倍程度の草原が必要だったとされる。
  • 飼料:輸送・農耕に用いられていた家畜の餌となる。
  • 敷料:畜舎の床に敷き詰め、家畜の体が排泄物で汚れないように吸着させる。その後堆肥化されて農地に投入される。
  • 各種資材:茅葺き屋根、蓑、笠など。

現在では化学肥料が普及しました。家畜による輸送は自動車に、農耕は農業機械に変わりました。敷料はおがくずが主流です。金属や各種プラスチックが普及し、草を資材として用いることもなくなりました。薪炭林と同様に、草原も存在意義を失って消えゆく運命にあります。
参考:茶草場の伝統的管理は生物多様性維持に貢献(研究開発法人 農業環境技術研究所)
参考:阿蘇地域世界農業遺産 草原の維持と持続的農業


次回の記事では、

  • 気候が植生の種類に及ぼす影響
  • 日本の植生の分類
  • 日本の植生の種類が歴史に及ぼした影響

などを解説します。

いずれ使う写真がこちらです。先月のシルバーウィークに鎌倉で撮影しました。この2枚の写真をよく見れば、私の言わんとすることが予測できると思います。古い写真と比較してみて下さい。
長崎大学附属図書館 幕末・明治期 日本古写真メタデータ・データベース 鎌倉地域

 

*1:詳しくは次回説明しますが、冬季の月平均気温が5℃を下回るか否かが重要な基準となります。

*2:日本海側の地域は世界有数の豪雪地帯なので、樹木は積雪の重さに耐えるために独特の樹形になります。

*3:黄砂の大きな発生源ですね

*4:いわゆる「鎮守の森」を礼賛する意見が専門の森林学者の間にも多いことにやや疑問を覚えます。最近の研究では鎮守の森も利用(破壊)を受けていて、極相林に近付き始めたのは明治時代以降だということことがわかっています。

*5:最近ではナラ枯れやマツ枯れが問題となっています。

*6:前回でも述べましたが、植生どころか土壌すら全く存在しない状態からどのように植生が回復するのか、というのは非常に面白いテーマです。森林学の教科書には桜島伊豆大島三原山の事例がよく出てきます。

*7:常緑性ブナ類は冬季の低温に弱いためです。

おじいさんは山へしばかりに −日本における森林の利用と破壊の歴史− その1 概略

おじいさんは山へしばかれに行きました。おじいさんはドMでした。

1.はじめに

昔話の「桃太郎」の冒頭は、「おじいさんは山へしばかりに行きました」で始まることが一般的です。では、この「しばかり」とは何を意味するのか。このネタは森林学の書籍を読むと、高い確率で出てきます。
現代の日本に生きる我々の感覚としては、「芝刈り」が容易に想像できると思います。しかし、正解は「柴刈り」です。「芝」と「柴」はどう違うのか、おじいさんはいかなる目的で「柴刈り」に行ったのか。今回の記事では、森林の利用と破壊を中心として、日本における環境問題の歴史を考えてみたいと思います。
とても1本の記事でまとめられる分量ではないので、数回に分割して掲載します。この記事では、導入と内容の整理を兼ねて、概略を示します。科学論文の冒頭に「abstract」が掲載されているようなものとお考え下さい。
なお、後の記事でも繰り返し強調しますが、「かつての日本は環境に優しかった」「現代の日本は環境に優しくない」という俗説は必ずしも正しくない、ということは最初に強調しておきます。現実はそれほど単純ではありません。現代の日本は森林に非常に優しいこと、森林資源が急速に回復していることかつての日本ははげ山だらけだったことを覚えておいて下さい。
この分野の名著、「日本人はどのように森をつくってきたのか(コンラッド・タットマン著、熊崎実訳、築地書館)」Pより引用します。

今日の青々とした緑は第二次世界大戦後の数十年の森林回復によるものであって、(中略)この数十年の植林と自然更新により国土の大きな部分が若い造林地と天然林に覆われ、日本は他の温帯地域のどこよりも森林の豊かな国になった。(P27)

日本の歴史で深刻な森林消失の見られた時期が三つある。その最初のものが古代の略奪期であって、あとの二つは近世の一五七〇〜一六七〇年と現代の二〇世紀前半に起こっている。(P30)

参考文献は最後にまとめて紹介します。

2.植生の種類と変化

(1)日本の植生

世界的に見て日本は気温と降水量に恵まれているため、寒冷な高山地方や、浸水と土壌の浸食・堆積が繰り返される河川沿岸、厳しい潮風や砂嵐に曝される海岸、土壌に水分が多すぎるため樹木が育たない湿地などでない限り、長期的には森林が成立します。言い換えると、森林以外の植生(草原など)が成立している場所では、人為的な植生の破壊(改変)が行われたということです。
例えば、熊本県阿蘇山の草千里は広大な草原で有名ですが、あの植生は家畜の放牧と草刈り、火入れにより維持されている植生です。つまり、純粋な自然の植生ではなく、半人工・半自然の植生です。人間が農業に利用するために改変した植生です。だからダメだと言っているわけではありません。念のため。阿蘇の草原は生態学的に非常に重要です。

(2)利用・破壊による植生の変化

人間の影響を全く受けない自然環境でも、植生は常に変化しています。これを「遷移」と言います。長期に渡って環境が安定して破壊を受けなかった場合、遷移は止まります。この遷移の最終段階を「極相」と呼び、極相に至った植生を「極相林」と呼びます。ただし、極相林と見なされる森林でも、枯死や風水害により樹木が倒れた時にできた隙間(「ギャップ」と呼びます)では、小規模な遷移が起こります。つまり、極相林でも部分的な破壊と再生は常に起こっています。また、現在の地球上では人間活動の影響を受けていない植生は事実上存在しないので、「極相」という概念をあまり重視しない研究者も多いようです。

植生は利用(破壊)と保護(放置)により、可逆的に変化します。植生がなくなったために土壌が風雨による侵食を受けて流失してしまい、植生が回復できなくなった場合は別ですが。*1利用(破壊)が弱いと遷移が進み、強いと遷移が逆行します。主に西日本を中心とした温暖地の植生の変化を簡略に表すと、次のようになります。

裸地(はげ山)⇔草原⇔低木林(藪)⇔マツ林⇔落葉広葉樹林常緑広葉樹林照葉樹林・極相林)*2

「芝」とはイネ科を中心とした背の低い草を意味します。同じくイネ科を中心とする背の高い草(主にススキ)は「茅(かや)」と呼びます。「茅葺き屋根」の「茅」です。「柴」とは主に低木の枝を指します。用途は燃料です。おじいさんは山へ燃料の調達に行ったわけです。

(3)植生ごとの用途の違い

上に挙げた植生の用途を簡単に示すと、以下のようになります。

(3-1)草原:肥料・家畜の飼料・家畜の敷料・各種資材(茅葺き屋根など)

草原の草は農地の肥料として重要です。諸条件により比率は大きく変わりますが、江戸時代には田畑の10倍ほどの面積の草原を必要としたとの研究があります。

(3-2)低木林:燃料・肥料

低木の枯れ枝は燃料に、落葉は肥料になります。

(3-3)マツ林:燃料・肥料

マツは油分(松脂)を多く含んでいるので、枝や葉はいい燃料になります。マツタケも重要な収入源でした。

(3-4)落葉広葉樹林:燃料(柴・薪・炭)・肥料(落葉)・材木

いわゆる里山です。薪や炭を取るための森は「薪炭林」と呼ばれました。そのまんまですね。薪炭林の樹種は、昆虫好きならばお馴染みの、クヌギ・コナラ・クリ・アベマキなどのブナ科(ドングリの木)が中心です。成長が早いこと、切り倒しても切り株から芽が出て再生する能力(萌芽再生力と言います)が高いことが特徴です。

(3-5)常緑広葉樹林

集落に近い森林は全て利用されるため、天然の森林は集落から遠いか、地形が険しいために利用が難しい場所にしか残りません。そのような森林は里山と対比する形で、「奥山」と呼ばれます。

3.日本の森林の利用と破壊の歴史

(1)縄文時代

日本人は既に縄文時代から森林を積極的に利用していました。大陸から稲、雑穀、イモ類などの作物の栽培技術が導入される以前は、獣肉と並んで木の実が重要な食物でした。東日本で特に重要な食料源はクリでした。またクリは木材としても有用でした。青森県三内丸山遺跡の土壌を分析すると、周辺地域の土壌と比較してクリの花粉が極端に多いこと、クリの遺伝的多様性が低いことから、クリが栽培されていたことが明らかになっています。集落の消滅によりクリ林も消滅したと考えられています。なんとなく、栗廃る。

(2)古墳時代平安時代初期

大和王朝は奈良・京都・大阪を中心に、遷都を繰り返しました。その度に都や寺社の建設が行われましたが、建材としての木材の需要は膨大だったようで、時代を経るごとに材木の供給先が都から遠ざかる傾向が記録から読み取れるそうです。

(3)戦国時代末期〜江戸時代

戦国時代には全国の大名が富国強兵のために城郭や砦、城下町を整備したため、膨大な木材が消費されました。
徳川家康が江戸に幕府を開いたことにより、日本は統一国家となりました。政治が安定したため、人口が急増しました。そのために農地が拡大し、肥料需要が増加しました。また、経済活動も発展したため燃料や建材としての木材の消費量が増加しました。ゆえに、江戸時代前半に森林面積は大きく減少しました。浮世絵を見ると、背景にははげ山が目立つそうです。
江戸時代後半には、幕府や各藩が森林資源の荒廃と水害、土砂災害の多発に危機感を覚えて森林保護政策を実施し、さらに人口増加が停止したため、森林面積は回復しました。なお、この時期に日本の林業は、自然に育つ木を伐採するだけの収奪・放置型から、植林を行う育成型に変化したようです。
また、江戸時代全般に、日本全国で森林や草原の利用権、境界線を巡って紛争や訴訟が絶えなかったそうです。

(4)明治時代

明治時代前半には、人口が急増したこと、産業振興が最優先課題とされたこと、江戸時代の幕府や各藩の森林保護政策が破棄されたことにより、森林破壊が急速に進みました。林保護が反故にされたわけです。
後半になると、やはり明治政府が森林資源の荒廃に危機感を覚えて若手の官僚をドイツに留学させ、当時の世界最先端の林業を学ばせました。ドイツ流林業と日本の伝統林業の融合により、森林資源は回復し始めました。この時期の林業の大きな成果の一つが明治神宮です。

(5)戦中・戦後

アメリカに石油の輸入を止められたため、燃料としての木材の需要が増加しました。さらに、食料増産のために森林が農地に変えられました。戦後も、復興のために膨大な木材の需要がありました。そのため、全国で森林の荒廃が進み、至る所にはげ山があったようです。

(6)高度成長期以降

林業振興のために植林が進んだこと、一方で国産材が外材に価格競争で敗れために林業が衰退し、森林伐採が行われなくなったこと燃料が木材から化石燃料に移行したこと化学肥料が普及したことなど様々な理由により、現代の日本では資源を森林に依存する必要がなくなりました。そのため森林資源が急速に回復しています。日本からはげ山はほぼなくなりました。

4.森林を破壊する産業

産業が森林を破壊するのは現代に始まったことではありません。大昔からよくあることです。思い付くままに具体的な産業を列挙すると、以下のようになります。後日の記事で個別に説明します。特に養蚕は説明を要しますね。

金属生産(特に製鉄)
製塩
窯業
養蚕 養蚕はようさん木を使う
鉄道

5.森林破壊に起因する災害

森林破壊は様々な災害の原因となります。上に同じく具体的に挙げると、以下のようになります。後日の記事で個別に説明します。特に獣害については少々詳しく考察します。

水害
土砂災害
飛砂害(海岸部の砂嵐)
獣害

6.人口増加と森林破壊

環境問題の原因を突き詰めると、ほとんどが人口増加です。森林破壊が進む時代はほぼ例外なく人口が増加している時代です。高度成長期以後に日本の森林が回復途上にある理由として、人口増加が停滞しているという点も無視できないと思います。

7.森林に付随するあれこれ

小ネタを少々。

(1)白砂青松は人工林

日本の海岸ではクロマツ林が成立していることがよくありますが、あれはほとんどが人工林です。クロマツ林は森林破壊の産物です。

(2)砂浜の縮小

(1)とも関係しますが、日本全国で砂浜が縮小している理由の一つは森林資源の回復です。

(3)マツタケの高騰

マツタケが希少な高級食品になった理由も森林資源の回復です。意外ですが、マツタケの生産を増やすには森林を破壊する必要があります。

(4)京都嵐山の紅葉

景勝地や神社仏閣の植生も大きく変化しつつあります。嵐山の紅葉も、積極的な保護を行わなければ今後消滅する可能性が高いと考えられています。

(5)火山と植物学者

火山が噴火すると植物学者が喜びます。もちろん、不謹慎を承知の上ですが。
その理由は、溶岩や火山灰、火砕流などにより地面が覆い尽くされて植生が消滅した場合、遷移を観察できるからです。時間は掛かりますが。森林学や植物生態学の書籍には、必ず伊豆大島三原山や、鹿児島の桜島の事例が出てきます。特に、今も噴火中の小笠原の西之島新島のように、陸地から遠く離れた海域に海底火山の噴火により新しく島ができた場合は格別です。植物の侵入経路が限られていますので、いつどのような植物が定着するかが学術的な関心を大いに集めます。*3

8.植生の保護をどう考えるか

上に述べたように、日本では利用条件により、様々な植生が成立します。そして、植生には非常に多面的な価値があり、単純に評価できるものではありません。生物多様性、景観、大気浄化、水害防止、土砂災害防止、水源涵養、娯楽、騒音防止、防火などなど。例えば、里山と極相林のどちらが優れているか、という比較は意味がありません。どちらも保護すべき重要な植生です。そして現代の日本で最も危機に瀕している生態系は、意外にも農地の草原だったりします。植生の多様性も保護されてしかるべきです。生態学的には「生物多様性」は「種の多様性」と「遺伝子の多様性」と「生態系の多様性」の三つよりなると考えられているわけですから。

参考:茶草場の伝統的管理は生物多様性維持に貢献(独立行政法人 農業環境技術研究所)

また、上に述べたように、日本の農業は森林や草原を必要としていました。それにより、里山が生まれました。これは日本が世界に誇れる農地生態系だと思います。しかし、現代の農業は構造の変化により、もはや森林や草原を必要としていません。大げさに言うと、里山は農業における存在意義を失ってしまったのです。そのような状況では、産業上の価値がない里山を守る社会的意義は何かを考えねばなりません。国も地方自治体も財政難に苦しむ現状では、「環境を守れ」とお題目のように唱えるだけでは何も守れません。

9.悪しき懐古主義

養蚕は蚕主義です。
「昔の日本は森林に優しく、現代の日本は森林に優しくない」とは決して言えません。それは不毛な懐古主義です。
江戸時代の農業がエコロジカルでサステイナブルだったとも必ずしも言えません。里山はある意味農地生態系の形としては理想ですが、非常に資源管理が難しかったため、江戸時代には全国各地で里山とは名ばかりの無惨なはげ山が広がっていたそうです。このはげ山こそが日本の原風景だったのではないか、と唱える研究者すらいるほどです。
また、人口増加や経済発展に伴う食料と換金作物の増産により、農村では常に肥料が不足していました。肥料は、一昨年の記事で説明したような都市部から運ばれる人間の排泄物や、農地周辺で採集される植物性肥料だけではとても足りず、北海道のニシンや九十九里浜イワシなどが魚肥として用いられました。はるか彼方の海から肥料を得たのでは物質循環が成立していたとは言えません。
環境問題を考える上で、「昔は良かった」などというノスタルジーは何も生みません。程度の差はあれ、今も昔も環境問題は厳然と存在しています。

*1:そのような光景は、古い文明が栄えた地中海沿岸部でよく見られます。

*2:実際の遷移は気温、降水量、土壌、周囲の植生(種子の供給源)、地形などの無数の要因の影響を受けますので、実に多様で複雑です。

*3:溶岩で覆われた西之島、花咲き鳥歌う島になるか(AFPBB News)

国立環境研究所公開シンポジウム「ネオニコチノイド系農薬と生物多様性」レポート

1.はじめに

7/15(水)に、茨城県つくば市国立環境研究所にて、公開シンポジウム「ネオニコチノイド系農薬と生物多様性〜何がどこまで分かっているか? 今後の課題は何か?」が開催されました。記事にて報告します。
実に楽しく、有意義なシンポジウムでした。しかも私は業務として参加したので、会社から交通費が出ておりました。参加費は無料でしたが。皆さんも会社の金で公然と遊べる身分を目指しましょう。

  

  

会場内での写真撮影が禁止されていたのが残念です。

講演内容は以下の通りです。
ネオニコチノイド系農薬の基礎知識  永井孝志(農業環境技術研究所)
ネオニコチノイド系農薬等のハナバチ類への影響  中村 純(玉川大学)
ネオニコチノイド系農薬の生態リスク評価  五箇公一(国立環境研究所)
水田におけるネオニコチノイド系農薬影響実態  日鷹一雅(愛媛大学)

私は十数年前に大学の農学部に入学し、それ以来数え切れないほどの生物学者を見ています。その私の実感は、「フィールド系の生物学者はアクが強い方が多い」です。今回の四名もまさにそうでした。特に五箇さんは顔も服装も講演内容も全てが実にロックでした。(五箇公一画像検索
NatureやScienceの論文だからといって無条件に信用してはいけない、との説明の際に表示された画像が某元女性科学者で、会場に爽やかな笑いが起こりました。同じ国立研究法人でも国立環境研究所は環境省の管轄で、理化学研究所文部科学省の管轄ですからネタにできるわけですね。
永井さんはあのレイチェル・カーソンを思い切り批判していましたし。

2.前提条件

ネオニコチノイド系農薬の問題を考えるに当たっては、以下のような事実が大前提となります。これらの問題を無視してこの農薬を論じる意見は何の価値もないので全く無視して構いません(私見ですが)。

  • 日本の気候条件では無農薬農業は非常に難しい(参考:拙ブログ記事 日本で無農薬農業が難しい理由)。
  • 日本の農業労働力の減少と高齢化が急速に進んでおり、農薬による省力化は必須である。
  • つまり、残念ながら現状では「農薬は必要悪である(パネルディスカッションでの五箇さんの発言そのまま)」。
  • 国際的な学術誌に論文として掲載されていない情報は科学の世界で評価を受けていないので価値が低い。ただし、NatureやScienceは商業誌なので、世論に便乗したり煽ったりする傾向がある。
  • 因果関係と相関関係は全く別の問題である。無関係の現象が同様の推移を示すことは起こり得る。

3.個別の内容(パネルディスカッションも含む)

(1)ネオニコチノイド系農薬の基礎知識  永井孝志(農業環境技術研究所
  • 米国ではかつて様々な医療器具に関して根拠もなしに危険だとする主張が横行し、行政が「予防原則」に基づいて規制を強めた。さらに規制そのものが根拠となってしまい、社会の不安とさらなる規制という悪循環が起こった。企業がリスクを恐れて医療器具の開発・製造を避けるようになり、患者が不利益を受けた。やがてデータの蓄積と共に各種器具の安全性が確認された。「予防原則」を無制限に進めることは社会の利益にならない。
  • EUアメリカでネオニコチノイド系農薬の規制が進んでいるが、そもそも環境への悪影響はデータ不足によりほとんど評価されていないので、本来は判断ができないはずである。
  • 現状のミツバチの暴露量に関するデータでは、悪影響が生じるとは考えられない。極端な過大評価が行われている。
  • EUでの規制に関しては内部でも反対意見が多く、科学ではなく政治に基づく判断である。
  • 生態系への影響について、他の農薬との比較が行われていない。他の農薬の方が影響が小さいとは言えない。
  • 近年の日本におけるネオニコチノイド系農薬の消費量は横這いである。かつての他の種類の殺虫剤の使用量はもっと多かった。
  • 浸透移行性、神経毒性が問題視されるが、同様の殺虫剤は昔からある。
  • ADIから判断すると毒性が低い。
  • ミツバチへの毒性はネオニコチノイド系農薬より、養蜂で使用される防ダニ剤の方が強い。
  • 科学的な評価が行われていない。ネオニコチノイド系農薬は特別な農薬ではない。世界的にマスメディアが強い予断と偏見を持ち、世論を誘導している。
(2)ネオニコチノイド系農薬等のハナバチ類への影響  中村 純(玉川大学

この内容は今年の3月に行われた日本農薬学会のシンポジウムとほぼ同じですので、拙ブログ記事の内容を再編集して再掲します。講演時間の関係で前回の方が内容が多いので、詳しくは当該記事をご覧下さい。

  • ミツバチの農薬に起因すると考えられる異常は最近初めて起こったことではない。数十年前から断続的に起こっている。
  • 送粉者(花粉媒介者)としての能力はミツバチより野生のハナバチ類の方が重要であり、野生のハナバチが減少している。
  • 野生のハナバチには農地周辺の餌場(蜜と花粉の供給源であるお花畑)と営巣場所(むき出しの土の地面)が必要であり、農地とその周辺の開発の影響が大きい。
  • 農地周辺のお花畑が減少したことでミツバチの農地への依存が強まり、農薬の影響を受けるようになった。
  • 世界的にミツバチは増加し続けている。ミツバチの個体数に決定的な影響を及ぼすのは養蜂業の動向である。先進国では養蜂が衰退している。
  • ミツバチの異常の原因で大きいのは病気・害虫・餌場不足による栄養状態の悪化である。
  • ミツバチは強い社会性を有する生物であり、実験室で数個体を隔離して行った毒性試験では強いストレス状態にある。野外試験では室内実験と同様の結果が出ない。
  • ネオニコチノイド系農薬が原因だとされる被害の報告はあるが、他の農薬でも同様の報告はあり、ネオニコチノイド系農薬だけが特に毒性が強いとは言えない。
  • 現状の蜜や花粉中のネオニコチノイド系農薬濃度はミツバチに影響が出る水準ではない。
  • 現状のネオニコチノイド系農薬によるミツバチへの主要な影響は、農地周辺に飛来したミツバチが種子コート剤(EUの場合)あるいは散布剤(日本等の場合)に直接的に曝露することによるものである。
  • ミツバチの個体の大半は何もしておらず、働く個体に異常が生じれば余剰個体が埋め合わせるので、巣全体としては、多少の個体数の減少では影響を受けない。
  • EUでは世論に押されてネオニコチノイド系農薬の使用を規制しているが、ミツバチの状況は好転していない。また、優れた農薬であるネオニコチノイド系農薬に代わる農薬や農薬以外の手段を考えなかったため、農業生産に悪影響が出ている。
  • オーストラリアではネオニコチノイド系農薬を規制していないが、ミツバチへの影響はない。
  • ミツバチの減少の大きな原因は養蜂業の問題である。
    • 上記の餌場の減少による栄養状態の低下(病気や害虫への抵抗力の低下にもつながる)。
    • 巣の衛生状態の悪化による病気や害虫、ストレスの増加(巣内の過密飼育・巣の使い回し)。
  • ミツバチの減少を食い止める対策は、農薬の規制より農地周辺部にお花畑を増やすことが重要。
    • ミツバチの健康状態が改善され、個体数も増加する。
    • ミツバチが農地に依存しなくなり(農地に近付かなくなる)、農薬の影響が減る。
    • ミツバチ以外のハナバチにも好影響が出る。
    • 送粉者の増加により受粉効率が良くなり、農業生産に好影響が出る。
    • 耕作放棄地の維持(農地復元の可能性を残す)。
    • 景観の向上。
  • ネオニコチノイド系農薬は斑点米カメムシの防除に用いられることが多いので、斑点米の基準を変えれば使用量を減らせる。消費者の意識改善が必要。
  • CCD(蜂群崩壊症候群)が起こっているのはアメリカとスイスだけである。
  • そもそも日本の養蜂は外来種であるセイヨウミツバチを利用している。蜜源植物もニセアカシアを始めとする外来種が多い。元々生態学的に難しい側面のある産業である。
(3)ネオニコチノイド系農薬の生態リスク評価  五箇公一(国立環境研究所)
  • 農薬の生物への影響は特定の種を用いて行われるが、種間の感受性の差が非常に大きいので、評価が難しい。
  • ネオニコチノイド系農薬の中でも毒性と環境への影響が一致しない。
  • ネオニコチノイド農薬(現在認可されている薬剤は7種類)の毒性・物理性・化学性は様々であり、一括して論じることはできない。
  • 農薬の種類ごとに分解性・残留性・流出性が異なり、影響が及ぶ範囲、期間が異なる。
  • 農薬が影響を及ぼす生物群も異なる。
  • メソコズム試験*1の結果から見ると、フィプロニル(ネオニコチノイド系ではないがEUネオニコチノイド系農薬3剤と同様に使用規制された浸透移行性殺虫剤)がトンボに悪影響を及ぼしている可能性はかなり高い。
  • しかし、トンボは水田農業に強く依存している。水田の栽培方式の変化の影響も無視できない。*2
  • ネオニコチノイド系農薬を使わなければ問題が全て解決するというわけではない。
  • 農業人口の減少と高齢化が進む現状では、ネオニコチノイド系農薬による省力化(水田の苗箱処理剤など)は無視できない。無農薬農業は考えられない。
  • 農薬の進化は非常に速い。より選択性や分解性の高い農薬の開発が進んでいるため、農薬の評価や管理の枠組みや、農薬に関する議論もその進化に対抗して進化していかなければならない。
(4)水田におけるネオニコチノイド系農薬影響実態  日鷹一雅(愛媛大学
  • 農村の生態系は非常に複雑で無限の要因が存在するので評価が難しい。農村や栽培方式の歴史が多大な影響を及ぼすため、農薬単独の影響を論じることができない。
  • 農村に生息している生物種は地域差が大きいので、地域間の比較が難しい。対照区が設定できない。生物多様性のデータの蓄積が重要。*3
  • ネオニコチノイド系農薬の使用実態、各剤の毒性や理化学性、実験圃場と野外の比較など、総合的な考察が必要である。
  • 無農薬農法や有機農法の推進者の中にも、水田除草のために外来種スクミリンゴガイ:いわゆるジャンボタニシ)を撒くなど、生態学的におかしなことを推進するような人も多い。農業は極めて地域性が強い営みであり、ある地域で成功した手法がほかの地域でも成功するとは限らない。

4.おわりに

結局のところ、このネオニコチノイド農薬の生物多様性への影響の問題は非常に複雑で、「ネオニコチノイド系農薬をやめればよい」という単純な結論には至らないということです。
農村の生物多様性が低下していることは事実であり、程度の解釈は難しいものの、ネオニコチノイド系農薬がその原因の一つであることは否定できません。では、この農薬を全廃すれば問題は全て解決するのか、この農薬なしで日本の農業は成り立つのか、などなど総合的な考察が必要となりましょう。教条的に農薬を忌避しても何の解決にもなりません。現状では農薬が必要悪であるという現実を受け止めた上で、より安全性の高い農薬や、農薬の使用量をより少なくする技術、農薬のみに依存しない作物保護技術が開発されることを期待しましょう。実際に農薬の安全性は年々高まっており、使用量も年々減っているわけですから。

余談ですが、あのグリーンピースのメンバーが参加していました。パネルディスカッションの質問の際に自ら名乗っていました。どんなヒステリックな質問を飛ばすのかとワクワクしましたが、非常に大人しい内容だった上に回答に対して反論もしなかったので、拍子抜けしました。大まかには「無農薬は可能だと思うか」「無理」というようなやり取りでした。

*1:ご本人による試験の解説はこちらです。

*2:素人考えですが、特に水管理の変化の影響が大きいと思います。トンボは卵から幼虫の時期を水中で過ごしますが、水田に水を入れる期間が短くなっています。「乾田直播」や「中干し」などで検索してみて下さい。

*3:同じく素人考えですが、例えば、ある地域で特定の生物種が確認できなかった場合、元々生息していなかったのか、農薬のせいで死に絶えたのかが判断できない、というようなことかと思いました。

老舗人文系出版社のトンデモ農業本

京都にミネルヴァ書房という出版社があります。私は専門外なので詳しくありませんが、人文書の版元として有名なようです。
この出版社が最近『いま日本の「農」を問う』というシリーズ書籍を刊行していますので、注目しておりました。今月刊行された新刊がこちらです。

環境と共生する「農」

著者名に注目して下さい。農業に詳しい方ならば、見覚えのある名前があるはずです。
そう、株式会社 ナチュラル・ハーモニーの代表、河名秀郎氏です。この人物は非常にオカルトじみた主張、と言うよりはオカルトそのものの主張を常に行っており、はっきり言ってしまえば、農業書を書かせるべきではない人物です。トンデモ本を平気で刊行する出版社ではなく、伝統のある老舗出版社ならば、このような人物の著書を刊行してはいけません。版元としての格が下がります。農業と環境の共生、農業における環境問題ならば、日本全国にいくらでも適切な専門家がいます。なぜよりによってこのような人物に執筆させるのか、理解に苦しみます。農水省の傘下には、農業環境技術研究所というそのものズバリの研究法人があるぐらいなのに。

河名氏の執筆部分がいかに酷いかを引用します。全編に渡って学術的根拠は全くなく、ひたすら主観的な思い込みを語るのみです。

自然栽培にしても、マクロビオティックにしても、物理的理論や科学的根拠よりも感性や感覚、つまり自然観から生み出されたもので超自然科学の分野といえるかもしれない。(P221)

私は、長い間「宗教だ」「オカルトだ」「胡散臭い」といわれ続けてきた。肥料も農薬も使用せずに栽培できるという今の農学では到底ありえないことを主張し、実践しているのだから無理もない。(P224)

本書は専門書ではないので、理論・根拠、または現代農業の常識と言ったものをいったん横に置き、起きている事実を前提に自然栽培とはいかなるものなのかをつづっていきたい。(P226)

肥料を与えず育てた自然栽培の野菜は腐らずに枯れていくという話(P240)

学者によっては、腐敗も発酵も同じ現象だという。しかし、私の五感は、腐敗と発酵は全く別の現象だと認識しているのである。(P241)

仮説ではあるが、肥料のみならず農薬やその他の農業資材、または大気中の物質、現在では放射性物質なども含めたトータルな「反自然物」の含有量によって発酵の強弱のレベルに差が出てくるようにとらえている。不自然さの総量といってもよい。(P243)

肥料を使わないバイオダイナミック農法で作物ができるのは宇宙のエネルギーによって引き起こされる生体内元素転換なる働きの結果であるという。(P261)

現代農業の理論農学においては、畑でニンジンを栽培すればニンジンは畑の土の養分を吸収して生育するから土の養分は減少するので、毎年肥料を畑に投入しなければニンジンの収穫量は減少していく、という考え方である。しかし、土の養分とニンジンの成分の変化を正確に計算して成り立った実験データがあっての理論ではない。あくまでも推論なのだ。(P261)

理論農学では説明がつかないということは、その理論が正確ではないといえるのではなかろうか。自然栽培の現実から導かれる自然農学は実際に栽培できているという事実を認め、その事実を説明できる研究が求められる。畑に種を蒔いてニンジンが育つということは自然現象であるから、土の養分もニンジンの成分も刻一刻と変化していく。このような自然現象の変化を画一的な理論で計算して正確に表そうとすること自体無理なのだ。(P262)

シュタイナーのバイオダイナミック農法、岡田茂吉氏の自然栽培は、土が生きていれば必要な養分は供給せずとも作られると説いている。宇宙にはそのためのエネルギーが充満しているという。この説は、いまだ科学で証明されていないため非科学的なトンデモ話とされているが、私が自然栽培を通してこの目で見た植物の世界、自然のメカニズムは、まさに二人の説を体現していた。宇宙の起源も元素転換がなければ成り立たない。だとすると人体も土も作物も自然界のなかで元素転換が起きているとしてもあえて不可思議とはいえない。(P262)

フランスの科学者ルイ・ケルブランは1935年から「生物学的元素転換」と題し、研究と実験を続け、1960年代、動植物あるいは人体において生物学的元素転換という現象が起きているという理論を世に出した。(P263)

人は、動物性の食品に頼らずともコメや野菜からでも身体に必要なあらゆる物質を生み出し、生命を維持していけるだけの機能が本来備わっているというのがマクロビオティック思想の本質だと私は考える。その機能が働いていれば、栄養素などいちいち考えなくても良いということである。まさにルイ・ケルブランの提唱した生体内元素転換そのものである。(P263)

ともあれ肥料を入れなくてもニンジンが継続的にできているという動かせない事実を素直に認識し、それから理論を考える自然農学が真の科学と言えるのではないだろうか。元素転換論やエネルギー保存の法則エントロピーの概念から近い将来証明されていくことを期待する。(P264)

自然を育む土について自然栽培的にまとめてみよう。土とは、太陽(火素)月(水素)地球(土素)の融合されたエネルギーを植物の利用できるエネルギーに変えていく地下工場である。(P267-268)

岡田氏以外にも各種、自然農法なるものを唱えた方々がいるが、決定的な違いは、この「宇宙エネルギー論」である。エネルギー論を持ち合わせない自然農法は、本質的に現代一般農業と変わらない養分供給型の延長上にあるといわざるをえない。(P268)

農業に限らず、トンデモさんは既存の学問を机上の空論として嘲笑します。医学などでも同様です。
しかし言うまでもありませんが、既存の学問、例えば農学や医学は現場(農地や臨床)のデータを常にフィードバックしながら休むことなく進歩し続けています。農学も医学も現場で役に立つことが至上命題とされる実学なのですから当然のことです。机上の空論と呼ばれるべきは、トンデモさんの理論の方です。上に引用した部分からもそれは十分にうかがえます。自分は土壌学・肥料学を空理空論だと批判していながら、空理空論の極みである生物学的元素転換などというヨタ話を自説の根拠に用いているわけですから。定説は十分な根拠があるからこそ定説たり得るわけです。


今回このようなトンデモ農業書が刊行されてしまったことは非常に残念です。とは言いましても、実は農業書においてトンデモ本は全く珍しくありません。一昨年に私が批判した「奇跡のリンゴ」などはその典型です。河名氏もトンデモ本を多数執筆しています。
問題は、老舗の名門出版社がトンデモ本を刊行してしまったということです。人文系出版社の編集者には理系の素養がないのでしょうか。「元素転換」などという言葉が出た時点で、「この人物の著書を刊行してはいけない」と判断して欲しかったところです。


無肥料栽培がいかにデタラメであるかを解説した拙ブログ記事はこちらです。

日本農薬学会大会特別講演「ネオニコチノイド系農薬の使用規制でミツバチを救えるか」レビュー

昨日(3/20)、玉川大学にて開催された、日本農薬学会第40回大会に参加しました。目的は、同大学ミツバチ科学研究センター所属の中村純教授によるネオニコチノイド系農薬の規制に関する講演です。非常に重要な内容だと思いますので、レビュー記事を書く次第です。


東京都と神奈川県の間で帰属を巡って紛争が絶えないとの噂がある地、町田市。

この大学はミツバチの研究に関して日本一です。今回の講演の会場としては最適でしょう。

日本全国から農薬メーカーと農水省の御用学者が集結する呪われた学会です(大嘘)。

発表の内容を私が勝手にまとめると、以下のようになります。

  • ミツバチの農薬に起因すると考えられる異常は最近初めて起こったことではない。数十年前から断続的に起こっている。
  • 送粉者(花粉媒介者)としての能力はミツバチより野生のハナバチ類の方が重要であり、野生のハナバチが減少している。
  • 野生のハナバチには農地周辺の餌場(蜜と花粉の供給源であるお花畑)と営巣場所(むき出しの土の地面)が必要であり、農地とその周辺の開発の影響が大きい。
  • 農地周辺のお花畑が減少したことでミツバチの農地への依存が強まり、農薬の影響を受けるようになった。
  • 世界的にミツバチは増加し続けている。ミツバチの個体数に決定的な影響を及ぼすのは養蜂業の動向である。先進国では養蜂が衰退している。
  • ミツバチの異常の原因で大きいのは病気・害虫・餌場不足による栄養状態の悪化である。
  • ミツバチは独自の基準で花を選んでおり、ただ植物が生えていればいい、ただ花が咲いていればいい、というものではない。
  • ミツバチは強い社会性を有する生物であり、実験室で数個体を隔離して行った毒性試験では強いストレス状態にある。野外試験では室内実験と同様の結果が出ない。
  • ネオニコチノイド系農薬が原因だとされる被害の報告はあるが、他の農薬でも同様の報告はあり、毒性が強いとは言えない。
  • 現状の蜜や花粉中のネオニコチノイド系農薬濃度はミツバチに影響が出る水準ではない。
  • ミツバチの個体の大半は何もしておらず、働く個体に異常が生じれば余剰個体が埋め合わせるので、巣全体としては、多少の個体数の減少では影響を受けない。
  • EUでは世論に押されてネオニコチノイド系農薬の使用を規制しているが、ミツバチの状況は好転していない。また、優れた農薬であるネオニコチノイド系農薬に代わる農薬や農薬以外の手段を考えなかったため、農業生産に悪影響が出ている。
  • オーストラリアではネオニコチノイド系農薬を規制していないが、ミツバチへの影響はない。
  • Science誌は商業誌なので、質が低くても話題になりそうな論文を掲載する傾向がある。つまり、世論に便乗している。
  • ネオニコチノイド系農薬について騒いでいるのは環境保護団体、反農薬団体、マスメディアのみである。科学に基づく議論が欠けている。ミツバチがシンボルとして祭り上げられているに過ぎない。ミツバチを守ることではなく、農薬を規制することが目的となっており、本末転倒である。
  • ミツバチの減少の大きな原因は近代化された養蜂業の問題である。
    • 上記の餌場の減少による栄養状態の低下(病気や害虫への抵抗力の低下にもつながる)。
    • 選抜による遺伝的多様性の低下(環境が変化すると総崩れになる)。
    • 巣間の競合(地域内の過密飼育)。
    • 巣の衛生状態の悪化による病気や害虫、ストレスの増加(巣内の過密飼育・巣の使い回し)。
    • 養蜂は一種の畜産なので、畜産同様に管理技術を向上させるべき(補助的な餌の給与・薬剤の使用)。
  • ミツバチの減少を食い止める対策は、農薬の規制より農地周辺部にお花畑を増やすことが重要。
    • ミツバチの健康状態が改善され、個体数も増加する。
    • ミツバチが農地に依存しなくなり、農薬の影響が減る。
    • ミツバチ以外のハナバチにも好影響が出る。
    • 送粉者の増加により受粉効率が良くなり、農業生産に好影響が出る。
    • 耕作放棄地の維持(農地復元の可能性を残す)。
    • 景観の向上。

以上をまとめると、

ネオニコチノイド系農薬はミツバチの減少と全く無関係ではないが、農業全体、養蜂業全体の問題こそが大きな原因である。偏った不正確な情報に惑わされないように用心すべき。

となりましょうか。「デマを流して恐怖を煽る連中にはご用心」とは様々な分野に当てはまります。そもそもこの問題に関して騒いでいる連中は、食の安全やワクチンの安全性、被曝の危険性などの問題でもよく見掛ける面々ですね。

小沢一郎の低俗な農業擁護論

1.はじめに

私は純然たるノンポリ(死語)人間です。自民党民主党共産党社民党も支持しません。
つい先日、政治界のトラブルメーカー、小沢一郎が農業擁護、食料自給率向上を訴えていました。

農業は食糧安全保障や自給率、地域活性化の観点から考えるべき(BLOGOS)

端的に言ってしまえば、非常にありきたりで浅薄な意見です。自民党自由党民主党で政権を担った政治家の見解としてはあまりに拙劣です。現実味が全くありません。言いたいことはわかりますが、ここまで論理が杜撰では呆れる他ありません。この記事を読んでいささか頭に来ましたので、批判記事を書く次第です。

2.農業擁護論の背景

小沢は自民党自由党時代は保守のタカ派の政治家だったはずです。いつの間にやらリベラル左派のような顔をしています。また、自民党民主党時代には原発を推進する政策を導入しましたが、いつの間にやら脱原発派のヒーローに収まっています。私にはこの政治家は筋金入りのポピュリストにしか見えません。つまり、一貫性や信念などなく、時代ごとに有権者に好評を博しそうな政策を主張するだけなのではないかと。そして「ポピュリスト」という単語を念頭に置くと、この記事の背景がよくわかります。

現在の日本は食料輸入大国です。ここで、食料の輸入先の国として大きいのが、アメリカと中国です。つまり、食料自給率向上は対アメリカ、対中国の依存を減らすということです。反米、反中国というイデオロギーに適います。
また、食料自給率の向上は極論すれば国産食料の支持、外国産食料の排除ですから、国粋主義、排外主義にも適います。
さらに、日本人には農業、農村に対するノスタルジー、ファンタジーが根強く存在しています。ジブリ映画の「となりのトトロ」が大人気を博する理由でもあります。

早い話が、農業擁護論は広く支持を得やすいので、政治家の道具としては便利な言説だと言えましょう。そのために、農業に関心も見識もない政治家が、何の根拠もない情緒的な農業擁護論をぶち上げるわけです。

3.各論批判

元記事を引用しながら批判を行います。

ただ単に競争力のある一部の農産物が株式会社の運営の下で生き残るというだけのことです。

農業に企業が参入し、農地を集約して効率化を進めていけば、今までの農業従事者のほとんどは切り捨てられていくことになります。そして、企業は利益を追求する集団ですから、利益が出ないとなれば、さっさと撤退してしまいます。

私は、農業に自由競争の原理を導入して勝ち組だけを育てるというやり方は全く日本のためにならないし、資本主義の歴史にも民主主義の原理にも反すると思います。

現在の日本では、農業に経済を持ち込むことを嫌う人が少なからずいます。「農家は金儲けに走るな」などと言う人もいます。私はこれは根本的に間違っていると思います。農業は農家にとって商売であり、地域にとって産業です。農業が、農家が金儲けに走るのは当然のことです。それを否定する資格は誰にもありません。さらに言うと、農家はどんどん金儲けに走るべきです。上手くやれば農業は儲かるということが世間に知れ渡れば、新規参入する農家や経営規模を拡大する農家が増えて競争が起こり、農業が活性化するわけですから。
「農家に経済や競争を持ち込むな」という主張は、過酷な競争から農家を守っているように見せ掛けて、農業を衰退させるだけです。

初期資本主義の段階で生産性の高い工業製品に力を入れ農業を切り捨てたイギリスは、その反省から農業政策にも予算をつぎ込み、現在の食糧自給率は70%程度までになりました。ドイツは100%、フランスは120〜30%、アメリカやオーストラリアはもっと高い水準です。

政治も経済も国土も何もかもが違う日本とEU諸国を、ただ先進国であるという理由だけで同列に語るのはあまりに粗雑です。
以下の表をご覧下さい。EU諸国と比べて、日本の農業が置かれた状況はあまりに厳しく、EU諸国並みの食料自給率など望むべくもないことがよくわかると思います。これだけ人口が過密で、これだけ農地が少ない国で、どうすれば食料自給率が上がるというのでしょうか。

日本の食糧自給率は今や40%を切っていますが、私は本来100%にすべきだと思っています。日本には耕地面積も十分あります(後略)

断言します。現在の日本で「食料自給率100%」という水準は、努力目標ですらありません。無知に基づく絵空事です。これどれだけ非現実的な数値であるかを、宮城大学食産業学部教授の三石誠司氏の書籍、「空を飛ぶ豚と海を渡るトウモロコシ 穀物が築いた日米の絆(日経BP)」から引用します。

2009年の国内耕地面積は461万haとなっています。これに対し、日本の年間輸入穀物数量を各々の品目の平均単収で逆算し、必要な耕地面積を計算すると約1200万ヘクタールに相当します。(中略)「国民が消費する農産物を生産するには、国内農地面積の約3.5倍(約1700万ヘクタール)が必要」ということです。私たちは、ここでも見たくない「当たり前の」現実と直面しなければなりません。(P179-180)

私たちは、今のままの生活を続けている限り、基本的に1億人以上の国民の胃袋を満たすためには国内の農地だけでは不十分であるという現実をもう一度しっかりと認識すべきだと思います。(P202)

主要穀物を完全に自給していくことは十分可能です。

現在の日本の主な穀物自給率を以下の図に示します。

意外なことに、最も消費量が多い食品は、米ではなくトウモロコシです。大半は家畜の飼料ですが。現在の日本は最も消費量の多い品目の自給率が0%なのです。0%を100%にしろとは何の冗談でしょうか。絵空事にも程があります。

コメ作りはある程度制限して、その分を大豆や麦、あるいは畜産、酪農などに向けていけばいいのです。

それを世間では「減反政策」と呼びます。既に数十年に渡って実施されています。米どころである岩手県を選挙区とする小沢が減反政策を知らないはずがありません。
水田から大豆や麦類、飼料作物の畑に転作することが全国的に進められています。それでも各品目の自給率の向上は遅々たるものです。

大豆や麦、トウモロコシなど飼料穀物の反収(10 アール当たりの収穫量)は現在、欧米の半分程度です。耕作地に手をかけて、単位面積当たりの収穫量を多くするのが日本農業の特色ですから、これらの作物も品種改良を進め、精一杯手をかけて育てていけば、必ず欧米並みの収穫量にすることができるはずです。

上記のように水田を他の作物の畑に切り替えると、上手く行かないことがよくあります。その理由として大きなものが、水の問題です。日本は雨とそれに起因する地下水が多すぎるのです。大豆や麦類、トウモロコシは日本より乾燥した地域を起源とする作物なので、水分過剰により収穫量や品質が落ちてしまうのです。「水田 転作 湿害」で検索して下さい。これは技術で克服するのは非常に困難です。農業は自然環境に強い影響を受けますので。

4.おわりに

現在の日本の農業・食料を取り巻く状況は非常に厳しいと言わざるを得ません。しかし、それでも日本人は現実を見据えながら行動せねばなりません。農業・食料に関しては様々な主張が飛び交っています。TPPやFTAへの参加も関係して、今後はますます。状況が複雑になると思われます。情報の取捨選択の際には、まず何より統計数値と技術を念頭に置いて下さい。食料自給率の改善は言葉にするのは容易ですが、実行に移すのはあまりに困難です。一見よさそうな政治家のいい加減な言葉には用心しましょう。

STAP細胞騒動に関する愚見

1.はじめに

STAP細胞を巡る騒動は未だに続いています。今回は、この一連の騒動に関する私見を述べます。もっとも、私は分子生物学に関しては専門外ですので、あくまで科学の世界のルールという観点から考察します。博士課程ドロップアウト者で、論文を日本語・英語で計2報しか掲載できなかった私にその資格があるかどうかはわかりませんが。
ちなみに、論文のテーマはどちらも牛のうんこです(本当)。学会発表は口頭・ポスターで合わせて4回行いましたが、やはりテーマは全て牛のうんこでした(本当)。
参考(宣伝):うんこと食料自給率 −物質循環−

2.小保方氏本人による検証実験の是非

科学の定義は色々あるかと思いますが、「再現性」「普遍性」が重要な候補として考えられると思います。つまり、「いつでも・どこでも・誰でも」が鉄則だということです。特定の個人の手でしか起こせない、他人の手で再現できない現象は科学ではありません。だからこそ、科学論文では「材料及び方法」や「Materials and Methods」という項目において実験の方法を詳細に説明することが必須なのです。*1
従い、検証実験に小保方氏本人が参加する意味は全くありません。本人が参加したのでは検証になりません。*2小保方氏がすべきことは、実験担当者が論文の内容を再現できるように、STAP細胞の作製方法を詳細に説明することだけです。

そもそも、STAP細胞に関するNature誌の論文が全て撤回されている以上、STAP細胞に関する研究は既にこの世に存在しません。存在しない研究を検証して何の意味があるのでしょうか。
Retraction: Stimulus-triggered fate conversion of somatic cells into pluripotency(Nature)
Retraction: Bidirectional developmental potential in reprogrammed cells with acquired pluripotency(Nature)

次善の策としては、「小保方氏が関与せずにSTAP細胞の存在が確認される」→「STAP細胞の作製法が確立される」→「小保方氏が再度論文を投稿する」という流れでしょう。小保方氏が検証実験に参加してしまっている以上、もはや絵空事ですが。ましてや、科学の世界でお尋ね者になってしまった小保方氏の論文を掲載する学術誌はもはや世界のどこにも存在しないと思います。

この実験が成功しても論文捏造という事実は消えません。また、この実験の成果を論文として発表することもできません。失敗しても、「STAP細胞の存在が完全に否定されたわけではない」と強弁して悪魔の証明を持ち出せば終わりです。最初から何の意味もない実験なのです。

3.科学の世界のお尋ね者

(1)もはや学術誌には相手にされない
科学の世界では、学術誌はimpact factorという数値により、影響力を評価されます。小保方氏がSTAP細胞に関する論文を投稿した学術誌のimpact factorは以下の通りです。
Cell:33.1Science:31.5Nature:42.4
私が所属していた分野では、世界最高レベルの学術誌でもimpact factorは3ぐらいでしたから、どこの異次元の世界の話かと思ってしまいます。
小保方氏はCell誌とScience誌の査読において研究の重大な不備を指摘され、またScience誌には画像の捏造も指摘されました。しかし、査読者の意見を無視して研究結果を改めませんでした。その後Nature誌に論文を2報投稿し、掲載されてしまいました。そして、2報とも撤回されました。つまり、小保方氏は意図はどうあれ、結果として科学の世界の最高峰である3つの学術誌をコケにしたわけです。もはや国際的なブラックリストに名を連ねてしまったと考えるべきでしょう。

(2)不正により得た地位
現在の日本では、論文が学術誌に掲載されずに苦しんでいる科学者、博士論文が書けずに博士号が取得できない科学者、職に恵まれない科学者は数多くいます。そしてそれは本人の能力不足による自業自得というわけでは必ずしもありません。一方の小保方氏は、捏造論文をNatureという超一流誌に掲載し、捏造博士論文で博士号を取得し、理化学研究所というステータスの高い研究機関で職を得ました。これでは恨みを買って当然です。

(3)日本分子生物学会の怒り
また、この騒動に関して日本分子生物学会は強い怒りを表明しています。懸念や憂慮ではなく、明確に怒りです。
特定非営利活動法人 日本分子生物学会 研究倫理委員会
はっきり言ってしまえば、小保方氏は日本中の分子生物学者を敵に回してしまったのです。
この文章なんて、行間から怒りが迸り出ているとしか言いようがありません。

4.小保方氏の今後

今回の騒動において、どこまで小保方氏に責任があるのかはわかりません。しかし、小保方氏が撤回された論文2報の筆頭著者である以上、科学の世界において不正の報いを受けることは避けられません。
私は小保方氏が今後、科学者として生きていくことは不可能だと思います。その理由を述べます。

小保方氏の母校であり、同氏に博士号を授与した早稲田大学は、同氏の博士号を剥奪することを決定しました。ただし、1年以内に適切な博士論文を提出すれば博士号を認めるという猶予付きですが。
小保方氏が期限内に論文を提出できるかどうか、それは私にはわかりません。ただし、再度不正が発覚したら早稲田大学の研究・教育機関としての権威は完全に失墜しますので、仮に論文を提出できたとしても、審査は恐ろしく厳しいものになると予想できます。提出されるであろう論文がその審査を突破できる確率は非常に低いのではないかと思います。
また上に述べたように、小保方氏は日本中の分子生物学者を敵に回してしまいました。そのため、博士論文は日本中の分子生物学者の目により過酷な検証を受けるはずです。それこそ学術誌の査読審査の比ではないぐらいに。よって、小保方氏が博士号を保持し続けられる可能性は低いと思います。

現在、博士号を持たない人間が科学の世界で科学者として職を得ることはほぼ不可能です。しかも、「まだ博士号を取得していない」のではなく「博士号を剥奪された」のですから、採用する研究機関は絶無でしょう。ましてや、Natureに捏造論文を掲載して撤回させられたような札付きの科学者を。博士号の再取得も無理でしょうし、まさかディプロマ・ミルを利用するわけにもいかないでしょうし。

残念ながら、小保方氏に科学者としての将来はないと思います。

5.おわりに

このような騒動が二度と起こらないように科学の世界の自浄作用を期待したいところですが、個人的には難しいと思います。そして、それは全て科学者自身の責任であるとは言い切れません。

科学の世界では、予算や人員が減らされる一方で、業績としての論文執筆を求める圧力はどんどん高まっています。科学者は雑用に追われながらも、外部から予算を獲得し、論文を執筆する日々を強いられています。さらに、理化学研究所に限らず、3年とか5年とかの雇用期限付きの職*3に就いている科学者も多いのが現状です。1本の論文に生活と人生がかかっているわけです。じっくりと丁寧に研究することはもはや不可能になりつつあります。そのような状況では不正が起こることは避けられません。職や生活が安泰なのに地位や名誉、金のために不正を行う悪徳科学者が少なからずいることは否定しませんが。
綱紀粛正、違反者に対する厳正な処罰は当然ですが、科学者に金と時間を与えることももう少し考えて欲しいと思います。科学の世界に限らず、倫理と罰だけでは不正はなくなりません。「貧すれば鈍する」「衣食足りて礼節を知る」と昔からよく言う通りです。みんな貧乏が悪いんや。

しかし、今の文部科学大臣がアレではねぇ。今回の騒動がややこしくなった背景には、あの大臣が早稲田大学の卒業生だということもありそうです。理化学研究所が文部科学省の独立行政法人である以上、文部科学大臣の意向は無視できないでしょうから。

現時点の理研の検証過程では残念ながらSTAP細胞の存在は証明されていません。ただ、小保方さん本人は200回以上作成に成功したと言っているわけですから、私はやっぱりチャンスは提供するべきだと思いますよ。

下村博文 文部科学大臣インタビュー【後編】 教育は、未来への「有効な先行投資」だ 少子高齢化時代を切り拓く、教育のイノベーション

何と日付は先月末です。この期に及んでこの有様。文部科学大臣が日本の科学を滅ぼそうとしています。嗚呼嘆かわしや。

*1:天文学や地球科学、進化学や生態学のように原理的に再現が不可能な分野も多々ありますが

*2:理化学研究所では本人ですらSTAP細胞を再現できないことを明らかにし、小保方氏に引導を渡すという冷徹な計画もあるようですが。そんな冷徹さがあるならば、捏造が発覚した直後に、騒動が大きくなってこじれる前に小保方氏に厳正な処分を下して欲しかったところです。

*3:研究職を「アカポス」と呼びます。「アカデミックポスト」の略称です。また、雇用期限のない職を「テニュア」とか「パーマネント」と呼びます。