バッタもん日記

人生は短い。働いている暇はない。知識と駄洒落と下ネタこそ我が人生。

STAP細胞騒動に関する愚見

1.はじめに

STAP細胞を巡る騒動は未だに続いています。今回は、この一連の騒動に関する私見を述べます。もっとも、私は分子生物学に関しては専門外ですので、あくまで科学の世界のルールという観点から考察します。博士課程ドロップアウト者で、論文を日本語・英語で計2報しか掲載できなかった私にその資格があるかどうかはわかりませんが。
ちなみに、論文のテーマはどちらも牛のうんこです(本当)。学会発表は口頭・ポスターで合わせて4回行いましたが、やはりテーマは全て牛のうんこでした(本当)。
参考(宣伝):うんこと食料自給率 −物質循環−

2.小保方氏本人による検証実験の是非

科学の定義は色々あるかと思いますが、「再現性」「普遍性」が重要な候補として考えられると思います。つまり、「いつでも・どこでも・誰でも」が鉄則だということです。特定の個人の手でしか起こせない、他人の手で再現できない現象は科学ではありません。だからこそ、科学論文では「材料及び方法」や「Materials and Methods」という項目において実験の方法を詳細に説明することが必須なのです。*1
従い、検証実験に小保方氏本人が参加する意味は全くありません。本人が参加したのでは検証になりません。*2小保方氏がすべきことは、実験担当者が論文の内容を再現できるように、STAP細胞の作製方法を詳細に説明することだけです。

そもそも、STAP細胞に関するNature誌の論文が全て撤回されている以上、STAP細胞に関する研究は既にこの世に存在しません。存在しない研究を検証して何の意味があるのでしょうか。
Retraction: Stimulus-triggered fate conversion of somatic cells into pluripotency(Nature)
Retraction: Bidirectional developmental potential in reprogrammed cells with acquired pluripotency(Nature)

次善の策としては、「小保方氏が関与せずにSTAP細胞の存在が確認される」→「STAP細胞の作製法が確立される」→「小保方氏が再度論文を投稿する」という流れでしょう。小保方氏が検証実験に参加してしまっている以上、もはや絵空事ですが。ましてや、科学の世界でお尋ね者になってしまった小保方氏の論文を掲載する学術誌はもはや世界のどこにも存在しないと思います。

この実験が成功しても論文捏造という事実は消えません。また、この実験の成果を論文として発表することもできません。失敗しても、「STAP細胞の存在が完全に否定されたわけではない」と強弁して悪魔の証明を持ち出せば終わりです。最初から何の意味もない実験なのです。

3.科学の世界のお尋ね者

(1)もはや学術誌には相手にされない
科学の世界では、学術誌はimpact factorという数値により、影響力を評価されます。小保方氏がSTAP細胞に関する論文を投稿した学術誌のimpact factorは以下の通りです。
Cell:33.1Science:31.5Nature:42.4
私が所属していた分野では、世界最高レベルの学術誌でもimpact factorは3ぐらいでしたから、どこの異次元の世界の話かと思ってしまいます。
小保方氏はCell誌とScience誌の査読において研究の重大な不備を指摘され、またScience誌には画像の捏造も指摘されました。しかし、査読者の意見を無視して研究結果を改めませんでした。その後Nature誌に論文を2報投稿し、掲載されてしまいました。そして、2報とも撤回されました。つまり、小保方氏は意図はどうあれ、結果として科学の世界の最高峰である3つの学術誌をコケにしたわけです。もはや国際的なブラックリストに名を連ねてしまったと考えるべきでしょう。

(2)不正により得た地位
現在の日本では、論文が学術誌に掲載されずに苦しんでいる科学者、博士論文が書けずに博士号が取得できない科学者、職に恵まれない科学者は数多くいます。そしてそれは本人の能力不足による自業自得というわけでは必ずしもありません。一方の小保方氏は、捏造論文をNatureという超一流誌に掲載し、捏造博士論文で博士号を取得し、理化学研究所というステータスの高い研究機関で職を得ました。これでは恨みを買って当然です。

(3)日本分子生物学会の怒り
また、この騒動に関して日本分子生物学会は強い怒りを表明しています。懸念や憂慮ではなく、明確に怒りです。
特定非営利活動法人 日本分子生物学会 研究倫理委員会
はっきり言ってしまえば、小保方氏は日本中の分子生物学者を敵に回してしまったのです。
この文章なんて、行間から怒りが迸り出ているとしか言いようがありません。

4.小保方氏の今後

今回の騒動において、どこまで小保方氏に責任があるのかはわかりません。しかし、小保方氏が撤回された論文2報の筆頭著者である以上、科学の世界において不正の報いを受けることは避けられません。
私は小保方氏が今後、科学者として生きていくことは不可能だと思います。その理由を述べます。

小保方氏の母校であり、同氏に博士号を授与した早稲田大学は、同氏の博士号を剥奪することを決定しました。ただし、1年以内に適切な博士論文を提出すれば博士号を認めるという猶予付きですが。
小保方氏が期限内に論文を提出できるかどうか、それは私にはわかりません。ただし、再度不正が発覚したら早稲田大学の研究・教育機関としての権威は完全に失墜しますので、仮に論文を提出できたとしても、審査は恐ろしく厳しいものになると予想できます。提出されるであろう論文がその審査を突破できる確率は非常に低いのではないかと思います。
また上に述べたように、小保方氏は日本中の分子生物学者を敵に回してしまいました。そのため、博士論文は日本中の分子生物学者の目により過酷な検証を受けるはずです。それこそ学術誌の査読審査の比ではないぐらいに。よって、小保方氏が博士号を保持し続けられる可能性は低いと思います。

現在、博士号を持たない人間が科学の世界で科学者として職を得ることはほぼ不可能です。しかも、「まだ博士号を取得していない」のではなく「博士号を剥奪された」のですから、採用する研究機関は絶無でしょう。ましてや、Natureに捏造論文を掲載して撤回させられたような札付きの科学者を。博士号の再取得も無理でしょうし、まさかディプロマ・ミルを利用するわけにもいかないでしょうし。

残念ながら、小保方氏に科学者としての将来はないと思います。

5.おわりに

このような騒動が二度と起こらないように科学の世界の自浄作用を期待したいところですが、個人的には難しいと思います。そして、それは全て科学者自身の責任であるとは言い切れません。

科学の世界では、予算や人員が減らされる一方で、業績としての論文執筆を求める圧力はどんどん高まっています。科学者は雑用に追われながらも、外部から予算を獲得し、論文を執筆する日々を強いられています。さらに、理化学研究所に限らず、3年とか5年とかの雇用期限付きの職*3に就いている科学者も多いのが現状です。1本の論文に生活と人生がかかっているわけです。じっくりと丁寧に研究することはもはや不可能になりつつあります。そのような状況では不正が起こることは避けられません。職や生活が安泰なのに地位や名誉、金のために不正を行う悪徳科学者が少なからずいることは否定しませんが。
綱紀粛正、違反者に対する厳正な処罰は当然ですが、科学者に金と時間を与えることももう少し考えて欲しいと思います。科学の世界に限らず、倫理と罰だけでは不正はなくなりません。「貧すれば鈍する」「衣食足りて礼節を知る」と昔からよく言う通りです。みんな貧乏が悪いんや。

しかし、今の文部科学大臣がアレではねぇ。今回の騒動がややこしくなった背景には、あの大臣が早稲田大学の卒業生だということもありそうです。理化学研究所が文部科学省の独立行政法人である以上、文部科学大臣の意向は無視できないでしょうから。

現時点の理研の検証過程では残念ながらSTAP細胞の存在は証明されていません。ただ、小保方さん本人は200回以上作成に成功したと言っているわけですから、私はやっぱりチャンスは提供するべきだと思いますよ。

下村博文 文部科学大臣インタビュー【後編】 教育は、未来への「有効な先行投資」だ 少子高齢化時代を切り拓く、教育のイノベーション

何と日付は先月末です。この期に及んでこの有様。文部科学大臣が日本の科学を滅ぼそうとしています。嗚呼嘆かわしや。

*1:天文学や地球科学、進化学や生態学のように原理的に再現が不可能な分野も多々ありますが

*2:理化学研究所では本人ですらSTAP細胞を再現できないことを明らかにし、小保方氏に引導を渡すという冷徹な計画もあるようですが。そんな冷徹さがあるならば、捏造が発覚した直後に、騒動が大きくなってこじれる前に小保方氏に厳正な処分を下して欲しかったところです。

*3:研究職を「アカポス」と呼びます。「アカデミックポスト」の略称です。また、雇用期限のない職を「テニュア」とか「パーマネント」と呼びます。

日本で無農薬農業が難しい理由

1.はじめに

日本では有機農業や無農薬農業はあまり普及していません。一方、EU諸国では有機農業や無農薬農業はある程度普及しています。また、ネオニコチノイド系農薬はEU諸国で規制が強いのに対して、日本ではそれほど厳しくは規制されていません。有機農業の普及状況について、農林水産省の資料(有機農業の推進に関する現状と課題 生産局 農産部 農業環境対策課)より作成した資料をご覧下さい。

差は歴然ですね。なぜ日本ではEU諸国に比べて有機農業や無農薬農業の普及が遅いのか。今回はそれを考えてみたいと思います。


2.自然条件

結論から先に行ってしまうと、「日本の自然環境では無農薬農業が難しいから」ということです。原因は、気温と降水量です。日本は温暖多雨のため、雑草・害虫・病原体の活動が盛んになるので、農薬に頼らざるを得ないということです。図で簡単に説明します。

これらの数字を見れば、日本の気候条件では無農薬農業が難しいことがよくわかると思います。日本の夏の暑さと雨の多さを考えれば、農業者に無農薬栽培をしろと要求するのは無体な話です。
どうしても無農薬でなければ嫌だという方は、真夏の炎天下の水を張った水田で一日中草むしりをして農家の苦労を実体験して下さい。あるいは、農家と個人契約して米1kgに2000円ぐらい払って支援して下さい。


3.政治・経済条件

つい先日発売された、昭和堂の「農業と経済」という雑誌に非常にいい論文が掲載されていたので、引用します。[出典:昭和堂 農業と経済 10月号 西沢栄一郎(法政大学経済学部教授)]。

P16-17
EUの共通農業政策(CAP)における環境支払いは、1985年の「農業構造の効率改善に関する規則(797/85)」にはじまる。(中略)その後、環境に関連するものとして生産の転換および粗放化、休耕などの項目が追加され(中略)
こうした政策が導入された背景としては、1980年代に顕在化した農産物の過剰と環境悪化があった。CAPの価格支持、輸入課徴金、輸出補助金などの保護政策に支えられ、EU各国では農業経営の大規模化と集約化が進んだ。それは生産量の増加と食料自給率の上昇をもたらしたが、農産物の過剰にも悩むことになった。(中略)集約度を減らすことや、休耕して農業生産をしないことは、この2つの問題に資するものであった。

この説明が全てです。
EU諸国では保護政策と農業技術の進歩により、長期に渡って農産物の過剰生産が大きな問題になっています。つまり、何とかして生産量を減らしたいわけです。無農薬農業はその一環です。文中では「粗放化」と表現されていますが、要するに効率の悪い栽培方式に切り替えることで、農業生産量を積極的に減らそうとしていると言えます。食料自給率がエネルギーベースで40%にも満たない日本ではとても無理な話です。


4.おわりに

農薬は必要悪です。使わなくても農業ができるのならば、使うべきではありません。しかし、現状では日本で無農薬農業が主流になることは極めて難しいと言わざるを得ません。
もっとも、一部の農業者の不勉強や怠慢、消費者の無理な要求により、農薬が過剰に用いられていることは事実です。農業技術や農薬自体の進歩、農業者や消費者の意識改革により、農薬の使用が減っていくことを期待しましょう。いきなり無農薬、というのは無理な話です。実際のところ、農薬の毒性はどんどん低下していますし、出荷量もどんどん減少しています。状況はそれほど暗くないと言えましょう。
参考:農薬の生産・出荷量の推移(平成元〜24農薬年度)(農水省)
参考:教えて! 農薬Q&A 農薬は安全?(農薬工業会)

「かびんのつま」というダメな漫画

1.はじめに

このブログでは、今年の1月に「かびんのつま」という化学物質過敏症を取り上げた漫画を批判しました。今回の記事はその拡大発展版です。単行本が4月末(1巻)7月末(2巻)に刊行されましたので、まとめて読むことができました。
同作品は小学館の漫画雑誌、「ビッグコミック スペリオール」に連載されており、作者はあきやまひできという人物です。あきやま氏が化学物質過敏症の患者である妻を支える姿がノンフィクションとして描かれています。
同氏はこの作品を「世間に化学物質過敏症の存在を伝え、警鐘を鳴らすための啓蒙漫画」として制作しているようです。本人のtwitterより引用します。

「かびんのつま」はテーマも社会的なものになってきていると言うこともあり「おさなづま」以来の話題作になってほしいと思っています。
過敏症の認知がなされていくかどうか、この2巻で決まると思います。なにとぞよろしくお願いいたします。
「かびんのつま2」買ってくださった方々ありがとうございます。もっともっと化学物質過敏症が日本で認知されますように。

あきやま氏の意気込みは評価したいと思います。しかし、残念ながら現状ではこの作品は世間に警鐘を鳴らす作品とはなり得ず、逆に失笑を集めて世間の化学物質過敏症という病気に対する疑念を深める結果になっていると思います。少なくとも話題にはなっていません。新聞に取り上げられたことはあるようですが、この程度では世間を動かすことはできません。

妻の闘病支える実録漫画 かびんのつま(あきやまひでき)(朝日新聞)
実録コミック:「かびんのつま」に理解を 夫が描く(毎日新聞)
医療ルネサンス シリーズ 化学物質過敏症(4)妻の闘病 漫画で紹介

今回はこの漫画がいかに酷い漫画であるかをグダグダと述べたいと思います。いや、この漫画は本当に酷いのです。おかしなところに付箋を貼ったら大半のページに付箋を貼ることになってしまい、意味がないので付箋を貼るのをやめたぐらいです。
この漫画を簡単に表現すると、「不条理コメディ漫画」でしょうね。そう考えればそれなりに楽しめます。作者の意図とは全く違いますが。


2.いきなり結論

この漫画の単行本2冊と未掲載の雑誌連載を読んだ感想は以下の通りです。なお、これは作者の妻(以下、かおり氏)のみに関する感想であり、化学物質過敏症の患者全てに対するものではないことはあらかじめ強調しておきます。

  • 科学的にデタラメな記述が多過ぎる。
  • かおり氏の症状の一部は幻覚や妄想に起因している可能性があるので、あきやま氏はかおり氏を精神科に連れて行くべきである。
  • 漫画として面白くない。
  • 科学者・医師の監修を仰ぎ、科学的・医学的な精度を高めるべき。
  • 他の漫画家に作画を担当してもらい、漫画としての質を高めるべき。

以下に上記の内容を細かく述べます。


3.各論

(1)科学的にデタラメ
はっきり言ってしまえば、この作品は徹頭徹尾科学的にデタラメなので、個別にあげつらってもあまり意味がありません。それでも、特に個人的に特におかしいと感じた部分を挙げます。

1)「無農薬」=「安全・美味しい」ではない
この作品は、日本人の心にフードファディズム、ゼロリスク症候群を植え付けたおぞましい漫画、「美味しんぼ」と同様に、農薬忌避を貫いています。しかし、無農薬農産物が慣行の(農薬を使って栽培された)農産物より味や栄養価、安全性の点で優れているという事実はありません。あきやま氏やかおり氏が無農薬農産物が慣行農産物より優れていると感じるのはただの思い込みです。人間の味覚なんて気分や体調、思い込みですぐ変わります。この作品は根本的に科学的根拠のない俗説に基づいています。
参考 食品安全情報blog オーガニックについてのレビュー発表

2)化学の知識がない
この作品では化学物質過敏症やアレルギーに関して、「体内の有害物質の蓄積量が許容量を超えた時に発症する」と説明されています。この許容量は、「物質別の缶」として表現されています。この説明自体は大よそ納得できますが、問題は有害物質として挙げられている物質の中におかしな物があることです。列挙すると、クエン酸グリシングルタミン酸ナトリウムグリセリンなどです。どう考えてもこれらの物質が有害だとは思えません。クエン酸が有害ならば好気呼吸(クエン酸回路)ができませんので死んでしまいます。柑橘類は食べられません。グリシングルタミン酸はタンパク質の構成材料となるアミノ酸です。人間の体にも当然含まれています。グリセリンは脂肪の構成材料です。いずれも有害どころか、積極的に摂取すべきであったり体内で合成されたりする物質です。もちろん、過度の摂取は有害ですが。食品添加物としての利用を考慮しても、現状の日本人の食生活で問題が起こるとは思えません。
下でも述べますが、かおり氏が臭いを感じて体調が悪化する物質として「ph調整剤」なるものが挙げられています。しかし、普通「ph」という表記はしません。正しくはご存知のように「pH」です。学校の教科書にも必ずそう記載されています。誤植や単純ミスの可能性も否定できませんが、あきやま氏は「pH」という言葉を知らないのではないかと思います。
推測するに、有害そうな物質の名前を適当に記載しただけなのでしょう。せめて高校レベルの勉強ぐらいはして欲しいところです。

3)経皮毒デトックス
下でも触れますが、あきやま氏は「皮膚から毒物が侵入して健康に悪影響を及ぼす」といういわゆる「経皮毒」の概念を信じています。同様に、体内の毒素を排出すると称する「デトックス」という概念も信じています。2巻から引用します。

化学物質過敏症という病はデトックスがあまりできない体質の人が多い。(P23)

石油製品でできている運動靴は履けないので(P66)

服のボタンもプラスチックだからダメだ…
ズボンの中のゴムもダメ… 直接触れられないからタオルで…(P67)

汗をかいて毒を出そう…
デトックスにいい石を持っていたのを思い出した。
オーストリア バドガシュタインの石。
ラドンの石で微量の放射線を出しているらしい。(P76)

体の中の毒を出さないとこの病は治らないというのに。(P116)

残念ながらこれらの概念は医学的に否定されています。

(2)幻覚・妄想
かおり氏は五感に異常が生じています。視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚の全てにです。目に見えない物が見え、聞こえない物が聞こえ、存在しない臭いを感じ、温感と味覚がなくなっています。かおり氏の訴える症状は科学的に不可能なことばかりです。
ゆえに、感覚の異常に伴う幻覚を化学物質過敏症の症状と誤認しているのではないかと思います。また、感覚の異常は脳に起因する面もありますので、脳の機能障害により幻覚だけでなく妄想も生じているのではないかとも考えられます。ここでは、特におかしな点を上げます。念のために強調しておきますが、幻覚や妄想は脳の不調に起因する症状であり、詐病であるとは考えておりません。かおり氏の苦しみは事実でしょう。私は原因に疑問を呈しているわけです。

1)見えない物が見える
かおり氏は常人には見えない化学物質が目に見えるそうです。道行く人々の体から出るシャンプーや香水の臭いが目に見えると述べられています。特に酷いのが、2巻の20〜21ページと39〜43ページです。

(自宅で夫婦で並んで寝ている場面で。その日あきやま氏は喫煙した。)
間もなく僕の口から、煙の形をした息が吹き上げてきたという。
「うわー! タバコが!」(P20)
呼吸がさらに深くなる まるで火山そっくりに 吹き上げてくる。
「す…すごい! ニオイが見えるようになった!」
さらに火山灰のようなものが かおぴゃん(引用者注:かおり氏の夫婦間でのあだ名)の顔に降りかかった。
「タバコが降ってきた……」(P21)

大泉学園駅前にて)
「化学物質が街中から噴出して…大泉学園の駅前が燃え上がってる」(P40)
「こんなの気のせいなんじゃない? 気のせいだよ…」(P41)
「これは気のせいじゃない! ホントに燃えてる!」
妻は燃え上がる大泉学園駅前を見た。これが化学物質過敏症が重症化した時に見えた風景だった。(P42)
大泉学園駅前は化学物質が至る所から噴出して、化学物質過敏症が重症化した妻にはまるで燃えているように見えた。(P43)

これらはもはや幻覚・妄想としか言いようがありません。

2)聞こえない音が聞こえる
電磁波が音として聞こえるそうです。また、エスカレーターは電磁波の濁流のように感じられるそうです。2巻135ページより引用します。

上の階の住人がパソコンのスイッチを入れる。
「ん? 天井からスイッチ音!」
「強い電気が壁の中を流れ始めた… 何か音が…」
「電気の流れる音が… 鐘が鳴ってるみたい!」

3)存在しない臭いを感じる
かおり氏は様々な物質の臭いに敏感に反応するそうです。2巻の121〜123ページに列挙されているので、引用します。

ネオニコチノイド系農薬、有機リン系農薬、次亜塩素酸、pH調整剤、ポリプロピレン、ポリエチレン、リン酸塩、ポリリジン、ステビア、次亜硫酸ナトリウム、香料、着色料、ソルビン酸カリウム

これらの物質の中には全く臭いを有さないか、仮に臭いを有しても弱過ぎて、通常の住環境における濃度では人間には感知できない物質もあります。人間は非常に嗅覚の弱い動物ですから。例えばポリエチレンやポリプロピレンは臭いがないからこそ食品の容器や包装の資材として用いられるわけです。かおり氏は一体何の臭いを感じているのでしょうか。上でも述べたように、聞きかじっただけの体に悪そうな物質の名前を何の根拠もなしに適当に並べただけだと思います。

4)皮膚から毒が吸収される
前回も書きましたが、「合成ゴムのスリッパを履くと、スリッパに含まれている化学物質が体内に侵入し、呼吸が苦しくなる。底が畳になっているスリッパを履くと平気だ」ということが述べられています。足の皮膚から毒物が瞬時に吸収され、血管を経由して瞬時に脳に達し、瞬時に呼吸が阻害されるとは考えられません。気分の問題でしょう。「合成ゴムは体に悪い」と思い込んでいるから症状が出るのだとしか考えられません。

5)謎のおまじない、「アース」
かおり氏は体が帯電して苦しくなると(あくまで本人の説明)、「アース」という行為を行うと体から電流が抜けて楽になるそうです。具体的には、土の地面の上にタオルを敷き、その上に立つことで大地に電流を放出するそうです。これを「アース」と呼ぶのはいささか苦しい気がしますし、効果があるとも思えません。ただのおまじないに過ぎず、気分の問題でしょう。そもそも体から電流を抜くのであれば、パソコンを自作したり改造したりする際に行うように、流し台やスチール棚などの金属の塊を触った方が効果があると思います。

6)マルチプロテクター、アルミ箔
かおり氏は紫外線や排気ガス、電磁波を防ぐためと称して、アルミ箔を多用しています。具体的には、窓や通気口などの住居の隙間をふさいだりや外出時の衣服の内側に貼り付けたりなどです。果たして効果があるのでしょうか。そもそも多種多様な化学物質に反応しているのに、アルミ箔には反応しないというのも妙な話です。気休め以上の効果はないと思います。

7)電磁波への反応が恣意的過ぎる
かおり氏は電磁波過敏症も発症しており、様々な電磁波に対して鋭敏かつ重篤な反応を呈します。しかし、よく作品を読んでみると。おかしな点が多々あります。
例えば、上記のように階上の住民が使用するパソコンから発せられる電磁波に反応して苦しくなると称しています。マンションの床や天井を通過した電磁波に反応するのだとしたら大変なことです。ところが、かおり氏は何と飛行機や電車に乗れます。
ドイツで洞窟療法なる胡散臭い療法を受けるために、飛行機で往復しています。その間に電磁波で苦しんだとは述べられていません。
また、単行本の3巻に掲載されるであろう話で、都会では暮らせないので温泉地での療養を計画し、電車で移動します。移動の途中で様々な電磁波に反応して苦しむわけですが、電車には全く反応していません。温泉の湯を循環させるモーターの電磁波には反応しているのに。
この件に関して、作者は体調や電磁波の周波数の問題だという苦しい言い訳をしていますが、説得力がありません。結局、かおり氏がある物体から発せられる電磁犯に反応するのは、「当人がその物体が電磁波を発すると思っている場合に限られる」のではないかという疑いを抱きます。気にしなければ反応しないのではないかと。

電磁波過敏でも感じる周波数と感じない周波数があります。携帯の電磁波はダメでも電車の電磁波は大丈夫と言う方もいます。その逆もいます。
この日は症状が少し治まっていて「電線の電磁波はあまり感じない」というシーンがその前にあります。

8)音への恐怖
かおり氏は音にも反応しているようです。単行本未掲載の第31話(スペリオール2014年7.11号)より引用します。

「なんだこれは…駅ってすごい音!」(P300)
ケータイ呼び出し音 電車の通過音 その他改札音
「電磁波の音なのかなんなのかわからないけどすごい音がしてる」
音にも過敏になってしまったということか…(P301)
通過する電車音が脳を剣のようにつらぬいて行った
「音が痛い!」(P303)
「発射音が岩みたいになってぶつかってくる!」(P305)

最早これは化学物質過敏症とは何の関係もありません。私は精神科医ではないので無責任かつ不正確かも知れませんが、不安障害やパニック障害を疑うべきでしょう。

以上より、「早く精神科に連れて行け」が率直な感想です。精神科を受診したらかおり氏の病状が改善されるか、それは実際に受診してみないことにはわかりません。しかし、受診する価値はあるはずです。なお、この夫婦は酸素カプセルだの洞窟療法だのの胡散臭い治療法には大金を出すのに、病院に行くことは頑なに拒否しています。理由は2巻のあとがきによると、以下の通りです。苦しい言い訳ですね。

「なぜ病院に行かないのか」という質問をよく受けます。
病院に連れて行きたかったのですが、目に光を当てての診察なので光過敏症の妻には無理とあきらめていました。重症になってからは一刻も早く診察してもらいたかったのですが、病院は消毒臭の強い場所なので息ができなくなると思い、連れて行くことができませんでした。
現在は専門医に診てもらうことができ、色んな物に過敏になる多種化学物質過敏症(MCS)と診断されています。

「ああそうですか。でも他の病院にも行った方がいいと思いますよ」としか言いようがありません。


4.漫画としてダメダメ

(1)画力が低い
あきやま氏は人物の表情を描くのが苦手のようです。かおり氏は様々な症状に苦しんでいるわけですが、あまり苦しんでいるように見えない場面が多々あります。苦しくて悲鳴を上げているのに薄笑いを浮かべているように見えたりさえします。
また、作画の癖なのか、夫婦そろって常にポカーンと口を開けています。そのため、表現は悪くなりますが、間抜け面に見えます。ゆえに、深刻なドキュメント漫画のはずなのに、緊張感がありません。まるでギャグ漫画です。
また、あきやま氏は眼鏡を掛けていますが、目は描かれません。漫画で眼鏡を掛けた人物の目を描かないのは、表情・感情を隠し、不可解な人物、珍妙な人物であることを強調するための手法であることが一般的です。これもまた緊張感に欠ける原因となります。

(2)演出力が低い
かおり氏の苦しみを描くために様々な描写が行われていますが、上に述べたように表情の描写力がないこと、妻の幻覚や妄想をそのまま絵にしていること、などが理由で、実に珍妙な絵面が続きます。もう少し構図や物語の流れなどを考えて欲しいところです。妻が苦しんでいるのはわかりますが、どうしても失笑してしまいます。

(3)台詞が不自然
この作品の目的は化学物質過敏症の解説なので、どうしても説明が多くなります。あきやま氏はまずいことにその説明を原則として台詞で行っています。そのため、台詞が冗長かつ説明口調になり、非常に不自然です。行動や演出で説明できればいいのですが、上記のようにそれもできていません。

商業誌に連載されている作品なのですから、漫画として面白くなければ成功とは言えません。上に述べたように社会に警鐘を鳴らしたいのならば、まずヒットして商業的な成功を収めなければなりません。読まれなければ広まりません。


5.改善案

グダグダと長文で述べたように、この作品には多大な問題があります。そこで、作者の「化学物質過敏症に対する警鐘を鳴らす」という希望を叶えるためには作品をどのように改善すればいいかを勝手に提案します。

(1)監修者
とにかくこの作品は医学的、科学的にデタラメなので、専門知識を有する医師や科学者の監修を仰ぐべきだと思います。私のような医学・科学の素人にこれだけ突っ込まれる時点でアウトです。もっと医学的・科学的な考証を重視すべきです。

(2)作画者
あきやま氏はプロの漫画家ですが、残念ながら技術の面で優れているとは言えません。これは現時点でヒット作と呼べる作品がないことからも明らかです。作画力・演出力に秀でた他の漫画家に作画を担当させた方がいいと思います。つまり、漫画作品としての面白さ、質を高めようということです。面白くなければ売れませんから。

要するに、本人の手に余るから助っ人を呼べ、ということです。


6.スペリオールという雑誌

このスペリオールという雑誌は、福島県に関する悪質なデマを流した「美味しんぼ」が掲載されている「スピリッツ」と同じく小学館ビッグコミック系列の漫画雑誌です。ということは、連帯責任ではありませんが、編集部には何も期待できないかも知れないということです。スピリッツ編集部は「美味しんぼ」騒動に関してあれだけの批判を受けながら苦しい弁明に終始し、謝罪や反省を行っていないわけですから。スペリオール編集部も同じ穴の狢である可能性があります。
スペリオールで今春に連載が終了した老舗のラーメン漫画、「らーめん才遊記」で「化学調味料が体に悪い」という俗説を完全に否定していたので、個人的にはこの雑誌の編集部には切れ者がいるのではないかと期待していました。しかし「かびんのつま」の体たらくを見ると、どうやらそれは過大評価だったようです。
あろうことか、「かびんのつま」の雑誌掲載時に冒頭の欄外で「SFとしても好評」などというような紹介文を掲載したこともあります。この作品は厳しく言えば「科学的にデタラメなヨタ話」、オブラートに包めば「荒唐無稽なファンタジー」です。「SF(科学フィクション)」ではありません。この文章はSFに対する侮辱であり、編集部の見識を疑います。
どうもこの編集部にはあまり期待できそうにありません。


7.おわりに

何事も、自分の体験したこと(主観的な事実)が客観的な事実であるとは限りません。人間の感覚なんていい加減なものです。錯覚や誤解は常に起こり得ます。私は子供の頃から目が悪く、視力に自信がありません。また、母に「あんたは都合の悪い時に耳が遠くなる」と怒られたことがあるぐらいですので、聴力にも自信がありません。自分の感覚や体験が本当に正しいのかを批判的に考えることは重要です。
本当にこの作品を通じて世間に対して化学物質過敏症に関する警鐘を鳴らしたいのであれば、作者も編集部も抜本的な再考が必要となりましょう。

ヒガンバナに見る「和食」の貧しさ−伝統の捏造−

1.はじめに

昨年12月に、「和食」がユネスコ国際連合教育科学文化機関)の無形文化遺産に登録されました。
私個人は、この件に関して複雑な印象を抱いております。日本の食文化が世界的に評価されたことは喜ぶべきだと思いますが、この件が一部の偏狭な「和食原理主義者」や「食の排外主義者」に利用される可能性があるからです。
「和食」は「伝統的な日本の食文化」であると定義されていますが、これは非常に曖昧な定義です。「伝統」とは一体何でしょうか。「和食」は「伝統的」に世界に自慢できるほど豊かだったのでしょうか。今回は、「和食」と「伝統」の関係について、とある有毒植物を例として考えてみたいと思います。


2.ヒガンバナはどう利用されてきたか

ヒガンバナは恐らく中国を原産地とする植物で、日本に人為的に導入されたとされています。水稲栽培の技術を有する人々の手で持ち込まれたのでしょう。水田の周りなどに群生しており、秋の彼岸の頃に花を咲かせることから、秋の風物詩になっております。ヒガンバナの真紅の花弁は、稲の緑と金色といいコントラストを描きます。
ところで、この種には大きな特徴があります。それは、「3倍体である」ということです。高校で生物を学んだ方々はお分かりだと思いますが、ヒガンバナ3倍体であるために減数分裂ができず、種子ができません。*1繁殖は球根(鱗茎)によります。人間の手を借りない球根による繁殖は、洪水により流されるか、動物に咥えられて運ばれるか、ぐらいです。非常に効率が悪いと言えます。人間が意図的に繁殖させなければ分布の拡大は不可能です。つまり、現在生えているヒガンバナは誰かが何らかの目的を以て植えたものである、ということです。その目的は2つありますが、それらを理解するうえで必須の知識は、「ヒガンバナは球根にアルカロイド系の毒を含む有毒植物である」ということです。

目的の1つは、動物除けです。日本の農業は水田稲作が主体であり、漏水しないように水田の畔を維持しなければなりません。邪魔になるのがネズミやモグラなどの巣穴を掘る動物です。ヒガンバナの球根からは毒が土壌中ににじみ出ますので、畔にヒガンバナを植えると動物が寄り付かなくなる、とされています。
また、日本で火葬が普及したのは比較的最近のことであり、以前は土葬が一般的でした。動物に死体を荒らされては困ります。墓場にヒガンバナが生えていることが多いのも同様の動物除けです。*2

もう1つの目的は、食用です。ヒガンバナの毒は水溶性なので、長時間水にさらせば毒が消え、食用になります。いわゆる救荒植物(食料不足の際に食べる植物)として水田周辺に植えられているわけです。


3.現代ではヒガンバナはどう利用されているか

上に述べたようにヒガンバナは伝統的に非常食として利用されてきたわけですが、現代では食料としての価値を完全に失っています。一方、同じく救荒植物であった山菜類は未だにその地位を保ち、食料としての価値を残しています。山菜の採集のために山に入ることは、事故や遭難、クマとの遭遇などの様々なリスクがあります。山菜はリスクを冒してでも手に入れる価値のある食料だと見なされているわけです。*3ところが、ヒガンバナは何のリスクもなく手に入る植物であるにもかかわらず、誰も見向きもしません。*4ヒガンバナは現代では完全に観賞用の植物です。*5
これは言い換えると、「日本人は伝統的にヒガンバナですら食べざるを得ないような厳しい食生活を送っていた」ということです。何しろ日本人は、少なくとも江戸時代までは常に飢饉に怯え続けていたわけですから。


4.日本の伝統的な食文化とは

日本を含めた東南アジア、東アジアの食生活には大きな特徴があります。それは、「穀物偏重」です。
食文化の大家である石毛直道氏(国立民族学博物館名誉教授)の名著、「世界の食べもの 食の文化地理(講談社学術文庫)」から引用します。

東アジア、東南アジアにおいては、食事というものは主食と副食の二種類のカテゴリーの食品から構成されるものである、という観念が発達している。たとえば現代日本語では、飯(あるいはご飯)に対置されるのがおかずであり、正常な食事とは飯とおかずの両者から構成されている、という観念がある。そして、食事そのものが飯とも呼ばれる。(P12)

普通主食にあたるものは、腹をふくらませることを第一の目的とした穀物やイモ類などの炭水化物に富んだ食品で、原則として味付けをしないことが共通点としてみられる。それに対して、副食は肉、魚、野菜などを味つけした料理で、主食を食べるさいの食欲増進剤としての役割を担っている。(P13)

米さえ確保できたら最低の食事は保証されるという、主食偏重で、栄養学的には貧困な伝統的食生活が、経済上昇の結果、数おおくの副食物と米という組み合わせの食事に変化して、健康によい現代日本の食生活ができあがったのだ。(P163)

米が日本人の食卓の主役でありつづけたのである。副食は飯を食べるための脇役、いわば食欲増進剤であった。(P176)

もう一人、北岡正三郎氏(大阪府立大学名誉教授)の名著、「物語 食の文化 美味い話、味な知識(中公新書)」のまえがきから引用します。

豊食の時代である。飽食とも書く。20世紀の後半、工業先進国は未曽有の豊かな社会を実現し、巷にたべものが溢れた。社会の隅々の庶民に至るまで、たっぷりのたべものが日常的に手に入り、好きな物を好きなだけ食べられる時代になった。人類の歴史始まって以来のことである。これまで一握りの権力階級や豪商、金持ちを別として、世の大多数の庶民は十分な食糧が得られず、毎日総じて粗末な食事を繰り返し食べ、生きて来た。20世紀後半は正に古来人々が夢見た地上の楽園であった。幸いにしてわが国もこれに加わった。

語弊があるかとは思いますが、敢えて断言します。「豊かな和食」とは、現代の産物です。「伝統的な和食」とは、栄養学的に貧しい食文化です。和食を推進している農水省ですら、1980年ごろの和食の栄養バランスが理想だとしています。
参考:和食 日本人の伝統的な食文化(農水省)

明治時代には、都市の貧民の間では残飯の購入が一般化しており、残飯業者が軍施設や学校の寮など、まとまった量の食事が出される施設から残飯を回収して販売していたようです。明治時代ですらこれです。
「和食」について語る際には、いつ頃の時代の、またどのような階層の人々の食文化を対象としているのかを念頭に置く必要があります。深く考えることなく「日本人は伝統的に豊かな食生活を送ってきた」と述べることは明確に間違いです。一部の時代、一部の人々を除いてそんな事実はないのですから。個人的には、それは貧しい食生活に耐えて命をつなぎ、現代に生きる我々をこの世に生み出してくれたご先祖様に対する冒涜だと思います。「和食は伝統的に豊かだった」と言い張りたい方々には、ヒガンバナを食べることをお薦め致します。


5.おわりに

「伝統的な和食」の過大評価は、「江戸しぐさ」や「歴史修正主義」などと同様に、歴史の捏造、伝統の捏造です。虚偽の歴史、虚偽の伝統を誇ったところで無様なだけです。
近い内にこのブログで記事にしようと考えていますが、現代の日本では食文化と排外主義が結びつく傾向があり、今回の和食の無形文化遺産登録もその傾向に拍車を掛ける恐れがあります。「和食は体にいい。洋食は体に悪い」などと主張する書籍は既に多数刊行されています。。
クジラやフカヒレ、フォアグラの問題が国際的に複雑化するのは、単なる資源管理、環境保護、動物愛護の問題ではなく、食文化の問題だからです。日本の鯨肉の消費量の低迷を考えると、日本人が捕鯨固執する理由はないはずです。ところが、現状では捕鯨が環境問題ではなく食文化の問題になってしまっているので、出口が見えなくなりました。
それほど食文化の問題は面倒なのです。ゆえに、軽率な食文化論は排除せねばなりません。


6.参考文献

(1)ヒガンバナ
ヒガンバナの博物誌、栗田子郎、研成社
救荒雑草 飢えを救った雑草たち、佐合隆一、全国農村教育協会
毒草・薬草辞典、船山信次、サイエンス・アイ新書
日本の有毒植物、佐竹元吉、学研

(2)食文化
世界の食べもの 食の文化地理、石毛直道、講談社学術文庫
「物語 食の文化 美味い話、味な知識、北岡正三郎、中公新書
お米と食の近代史、大豆生田稔、吉川弘文館
家庭料理の近代、江原絢子、吉川弘文館

(3)飢饉の歴史
図説 人口で見る日本史 縄文時代から近未来社会まで、鬼頭宏、PHP
人口から読む日本の歴史、鬼頭宏、講談社学術文庫
大飢饉、室町社会を襲う!、清水克行、吉川弘文館
飢餓と戦争の戦国を行く、藤木久志、朝日選書
近世の飢饉、菊池勇夫、吉川弘文館


追記

現代の農業が優れている大きな点は、「生産量が増えた」と同時に「生産量が安定した」ということです。近代以前でも、豊作が続けば農民でも豊かな食生活を送ることは不可能ではなかったはずです。しかし、凶作が続くとたちまち飢饉が起こります。現代の世界で飢餓が絶えない原因は生産量の問題ではなく、配分と流通の問題です。

現代の日本では、どの地域の人々も、どの階層の人々も大体同じような物を食べています。これは現代の産物です。「田舎の貧乏人は麦飯しか食べられないのに都会の金持ちは白米を食べている」という状況ではありません。そもそも大麦の生産量が低迷している現状では麦飯はかえって高く付きます。*6
このような状況では、地域、階層により食文化が異なるということはなかなか想像しにくいと思います。

江戸や京都、大坂などの都市部に豊かな食文化が花開いたことは紛れもない事実ですが、近代以前の日本の人口の8割近くは農民であったことを忘れてはなりません。
寿司や蕎麦、天ぷらなどの江戸で発達した料理はあくまで都会のものです。同様に、懐石料理はあくまで武士や貴族、商人などの富裕層のためのものです。大多数の農民は料理をしようにも調味料すらなかったわけですから。明治時代以降の食生活の変化も、都市部から始まりました。
農民が豊かな食事にありつけるのは正月と盆、村祭りなどの「ハレの日」ぐらいのものでした。これも地域、時代による差は大きいと思いますが。
要するに、一部の地域、一部の階層のものでしかなかった食文化を「日本全体の伝統」と表現するのは過大評価であり捏造ではないか、ということです。「昔の日本で豊かな食生活を送れたのは一部の金持ちだけです。庶民がいい物を食べられたのは大きなイベントの時だけです。今の和食の多くは明治時代以降、高度経済成長時代以降に成立しました」ということもあわせて伝える必要があります。
江戸の食文化については別記事で軽く触れていますので、そちらもご参照下さい。

「貧農史観」も行き過ぎるとイデオロギーに他ならず、歴史観が歪むので程々にしておきます。

*1:ごく稀に種子ができるそうですが、発芽しないそうです。

*2:「血を連想させる真っ赤な花」、「墓場に生える花」ということで、この花を縁起が悪いとして嫌う人も少なからずいます。

*3:ヒガンバナは分類上ネギ類に近いので、葉や球根がネギ類に似ています。そのため、アサツキやノビル、ギョウジャニンニクと間違えて食べ、中毒を起こす事件がたまに起こります。

*4:ヒガンバナが生えている場所は大抵人里で私有地なので、勝手に採集するわけにはいかないという理由もありますが。

*5:ジャガイモのように有毒ではあっても作物として優れていた場合、品種改良がおこなわれて毒の少ない品種が開発されますが、ヒガンバナでは観賞用では改良が行われているものの、食用化に向けた改良は行われていません。それだけ食用としての価値がなかったわけですね。

*6:貧しい庶民の食物であった雑穀がいつの間にやら健康食品になっているというのは倒錯していて面白いと思います。

オランダ農業が日本農業の参考にならない理由 補足

先日の記事では、オランダでは農産物の輸出の際に陸路が利用できるので、海路や空路しか利用できない日本ではオランダの真似はできないと述べました。ここがやや伝わりにくかったようですので、陸路の優位性を簡単に述べておきます。

時間のロスがない

前回述べたように、野菜や果物、花などの園芸作物では、鮮度が商品価値に決定的な影響を及ぼしますので、輸送時間は重大な条件です。
陸路の場合は、トラックで輸送することになります。農家と小売店の契約形態にもよりますが、基本的には農地から小売店までの直行便です。時間のロスはありません。
一方の海路や空路では、船舶や航空機の便の発着時間に拘束されます。海港や空港で待たされるということです。トラックならば一日中出せますが、船舶や航空機ではそうはいきません。さらに、直行便がなくどこかを経由する場合にはこの待ち時間がさらに延びます。

積み替えの回数が少ない

忘れてはいけないことは、農産物は衝撃に弱い生ものだということです。イチゴや桃を想像すればよくわかると思います。陸路が海路や空路に比べて有利となる理由は時間だけではありません。輸送や積み替えの際の衝撃により農産物の品質が低下し、商品価値が低下してしまうのです。つまり、積み替えの回数は極力少ない方がいいのです。農産物の輸出を簡単なフローチャートにしてみましょう。

積み替えの回数が少ないことで、陸路では農産物が衝撃を受ける回数が少ないことがよくわかると思います。
また、トラックや船舶、航空機が保冷設備を有していても、積み替えの際に温度が上がり、鮮度が低下することは避けられません。輸送の際の積み替えの回数は、輸送時間と同様に重大な問題です。


前回からの繰り返しになりますが、日本は農産物の輸出に向いていない国です。日本国内の農産物市場の縮小が明らかとなっている以上、海外への輸出に注目せざるを得ないのは当然です。さりとて、輸出への過度の期待は禁物です。


参考資料
輸送中の果実の傷みを大幅に軽減できるイチゴ包装容器(独立行政法人 農業・食品産業技術総合研究機構)
モモ輸出における輸送中の衝撃の発生程度と果実の荷傷み防止方法(独立行政法人 農業・食品産業技術総合研究機構)
平成20年度農林水産物貿易円滑化推進事業 生鮮農林水産物・食品の航空輸出促進に関する調査報告書(農水省)
農林水産物・食品の輸出に係る物流検討会 課題と対応(農水省)
農林水産物・食品輸出の物流に係る課題と現状の補足(農水省)

オランダ農業が日本農業の参考にならない理由

1.はじめに

TPPやFTAへの対策の一環として、日本の農業を輸出志向に切り替えようという提案が盛んに為されています。日本は少子高齢化の解決の見込みが全くないので、日本国内の農業市場が今後縮小することは明らかです。だから、海外への農産物輸出を増やすことで農業を振興しよう、という理屈はよくわかります。
その際、日本と同じ先進国で、狭小でありながら農産物の輸出で大きな成功を収めているオランダが目標例としてよく提示されます。

参考:オランダの農林水産業概況(農水省)
オランダの農業と農産物貿易 ─強い輸出競争力の背景と日本への示唆─(農林金融)
オランダ並みのトマト収穫、植物工場で都市部への安全・安定生産が実現へ【後編】(日経BP)
安倍首相も驚いたオランダ植物工場(日経ビジネスONLINE)

ここで、オランダを参考とすることは妥当なのでしょうか。結論から先に行ってしまうと、技術の面では大いに参考になると思います。ただし、仮に日本がオランダを上回る農業技術を手に入れたところで、オランダのような農産物輸出大国になることは絶対に不可能です。その理由を簡単に述べます。


2.オランダのアドバンテージ

オランダの農業で特に日本の注目を集めているのが施設園芸作物です。簡単に言うと、温室やビニールハウス、植物工場などで栽培される野菜や花や果物です。
世界の農業に関する生産量、貿易量を見ると、大半は米や小麦、トウモロコシなどの穀物です。ところが、穀物は単価が安いので、薄利多売方式になります。となると、アメリカやオーストラリア、中国やブラジルのように広大な国土で大量に穀物を栽培できる国が有利になります。狭い国は、消費量が少なくても単価が高い野菜や果物、花で勝負を挑むことになります。ここでは、施設園芸作物の輸出について日蘭比較を行います。具体的には、オランダが施設園芸作物の輸出を行うに当たり、日本と比較して有利な点を挙げます。

(1)前提条件
まず、以下の点を頭に入れておいて下さい。

施設園芸作物は鮮度が非常に重要である

野菜や花、果物などの園芸作物は、時間単位で品質が低下します。輸出先との距離や輸送手段が決定的な条件となります。

施設園芸では光熱費の負担が非常に大きい

施設園芸は、季節や天候に左右されず一年中栽培ができることが大きな利点となります。言い換えると、常に環境を制御するためにエネルギーが必要となるということです。したがって、光熱費が大きな要因となります。特に、光合成のための光に太陽光ではなく電気による人工光を用いる場合、光熱費はさらに高くなります。

参考:植物工場のコストの実態−タイプ別コスト−(経産省)
植物工場の現状と今後の展望 農林水産省植物工場 千葉大学拠点の取り組みから(千葉大学)
植物工場への取組について(兵庫県)

(2)地理
世界地図を見れば明らかですが、オランダからイギリス、フランス、ドイツのような消費地はすぐ近くです。今では英仏海峡トンネルも開通していますので、離島でもない限り、陸路で輸出ができます。他にも、オランダは国土が狭くて平坦なので、空港や海港への輸送も迅速です。最初から輸出に有利なのです。

(3)政治
現在EU諸国の間で、深刻な政治上の対立はありません。せいぜいイギリスとスペインのジブラルタル問題ぐらいでしょうか。少なくとも、日本と韓国の竹島問題、日本と中国の尖閣諸島問題のような重大な懸念はありません。政治が貿易に悪影響を及ぼす可能性はほぼありません。EU参加国間では国境も簡単に越えられます。
それに加えて、関税もありませんし、共通の通貨であるユーロを用いているため、為替相場による経営リスクや、両替に伴う時間やコストの問題もありません。

(4)経済
オランダは、イギリス、ドイツ、フランス、ベルギー、ルクセンブルクなどの国民所得の高い国家に囲まれています。顧客は膨大にいます。

(5)光熱費
オランダ農業は北海油田で採掘される安価な天然ガスに大きく依存しています。また、天然ガスは暖房に用いられるわけですが、その際の熱を使って発電を行い、電力を売却することも一般的に行われています。この売電が経営の大きな柱となっています。
「ぬぅ、まさかあれは……」「何、知っているのか!? 売電!?」

参考:植物工場の現状と展望(経産省)
高生産性オランダトマト栽培の発展に見る環境・栽培技術(千葉大学)
オランダの施設園芸(農水省)

また、オランダは夏でもそれほど気温が上昇しないので、冷房に要する費用も安上がりになります。


3.日本のディスアドバンテージ

(1)地理
日本が農産物の輸出先として重視しているのは、中国や東南アジアの富裕層です。これらの国々への距離と輸送手段を考えると、輸出に有利だとは言えません。

(2)政治
経済規模と距離を考えると、中国が重要な輸出先となります。しかし、尖閣諸島などの領土問題や歴史認識を巡って関係が悪化している現状では、あまり期待はできません。台湾とも尖閣諸島に関して対立関係にあります。

(3)経済
まだまだアジアは経済的な発展の途中にあり、高価な日本の農産物を購入する高所得層の数は十分とは言えません。

(4)光熱費
日本では今後、電気代やガス代、石油価格の上昇が予想されます。施設園芸のようなエネルギー消費型の栽培方式はますます経営が厳しくなるのは間違いありません。
さらに、元々日本の夏は暑いので冷房に要する費用が高く付きます。さらに今後の温暖化やヒートアイランド現象により、冷房費の負担がより大きくなるものと予想されます。


4.おわりに

日本国内の市場が縮小することが明らかである以上、日本農業は輸出を検討せざるを得ません。その際に、農産物の輸出に成功している国を参考とするのは妥当な選択です。しかし、農業は産業の一種である以上、地理、政治、経済などの要因を無視することはできません。オランダとは農業を取り巻く環境があまりに異なりますので、参考とするのはあくまで技術の点に留めなければなりません。日本は農産物の輸出に向いていません。研究者はそれぐらいわかっていますが、国民の間に過度な期待が高まらないように政策を考えてもらいたいところです。

「美味しんぼ」の移籍先

美味しんぼ」は、スピリッツから同じ小学館ビッグコミック系列である、スペリオールに移籍すればいいと思います。
美味しんぼ」と「かびんのつま」という二大フードファディズム天然崇拝電波エコ漫画が並び立つ悪夢のような光景が楽しめます。
同レベルにデタラメでクソな作品ですから、実にお似合いです。